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入院48日目


 消灯後は「ショーシャンクの空に」を観る。
 わざわざ言うまでもない名作で、もう何度観たかは数えられないけれど、アンディと共に脱獄して自由の身にならないと年を越した気にならないのだ。
 独房と、カーテンで仕切られた病床を勝手に重ねて、まだ幽閉されて1か月半やそこらだが、レッドのいう「施設慣れ」という言葉がやけに響いた。
 ここでの生活にも慣れて、生来の怠け癖も出てきて、なんだか現時点では働く意欲が削がれてしまったように思う。それでも、一生ここにいるわけにもいかないので、あくまで一時的な贅沢すぎる悩みであり、「施設慣れ」はそれを何週も繰り返した先にあるものだというのは重々承知しているつもり。本当だろうか?

 日付が変わるとともに眠りについたが、隣の爺さんが夜中に電気をつけて電動カミソリで髭を剃りだしたりとお構いなしだったので、何度となしに起こされた。6時半に父からのLINEで起こされる。

 なんといっても、今日明日は箱根駅伝である。
 父にとっては箱根駅伝こそが正月であり、これを観ないと年が始まった気がしないのは僕の「ショーシャンクの空に」と同じである。
 高校時代は新潟代表の駅伝選手で、直々にスカウトもあり、東海大の襷をかけて箱根路を駆け抜ける将来が約束されていた。が、家庭の事情でその夢は絶たれてしまった。
 だからというわけではないけれど、父の箱根駅伝に対する想いは並々ならぬものがあった。
 僕はそんな父の想いを素通りしてサッカー部と軽音楽部で学生時代を終えたが、箱根駅伝は正座して観る、という習慣は根付いた。まあ、片道5時間半も正座はできないから言葉の綾ではあるけれど。
 今年の駅伝シーズンは群雄割拠の駅伝戦国時代といわれるほど、どこの大学にもタレントが揃っている。中央大の吉居、駒澤大の田澤、順天堂大の三浦はもちろん、早稲田大の中谷や石塚、創価大のムルワや嶋津、山梨学院大のオニエゴ、東京国際大のヴィンセントや丹所、国士舘大にもヴィンセント…挙げればキリがない。
 それを象徴するように、出雲駅伝、全日本駅伝と続く今シーズンの学生三大駅伝の二つの優勝校は、東京国際大、駒澤大と決して一強でない。
 どちらも青山学院大は二位で、今回の箱根駅伝で往路優勝こそしたものの、区間賞はいずれも青学以外で被りがない。結果としてチームの総合力で青学が勝っていたというだけで、どこが総合優勝するのかはまだまだひと波乱あるような気もするのである。なにより、続く往路二位の帝京大もなかなかに不気味な存在だ。
 復路のオーダーがどうなるか分からないが、どこの大学も前半にスター選手を畳みかけるオーダーで、わりと往路でお腹いっぱいな感じは否めない。5区の山登りで大学間の距離が開いて、それが明日の山下りでどうなるか。

「…さてさて箱根駅伝はここからがますます面白くなってくるわけですが、この続きはまた明日(みょうにち)申し上げることにいたしましょう。今日のところはお馴染み箱根駅伝往路で、読み終わりでございます」

 …少しさかのぼって、7時ごろに夜勤のベテラン看護師さんが検温にやってきたとき、テレビを観て、あら箱根駅伝じゃなーい、としばらくその話題になった。
 どこを応援しているの、と訊かれ、青学が活躍するのはあまり面白くないですねと余計な一言を挟みそうになったが、初出場の駿河台大とかですかね、とそこは無難に答えておいた。
 すると彼女が、私青学応援してるのよねえと言ったので、余計なこと言わないでよかったと本気で思った。
 隣の爺さんも箱根駅伝を観ているようで、しきりに創価大が何位なのかを気にしていた。スポーツって、わりとセンシティブな話題なのである。僕にはその意識が足りていない。

 日勤の担当看護師さんは、もう一人の同い年の方。
 昨日と同じように大晦日は何を観ていたか訊かれ、格闘技と答えたら、今度は「ぽいですね!」と笑われた。どうやら彼女も昨日の娘と一緒に紅白を観ていたそうで、同期の看護師たちで集まって年を越している画は想像するだけでも微笑ましかった。

 そんな風にして、世間話をしていたり駅伝を観ていたりすれば、一時でも病気のことは忘れられるが、この空腹はどうしようもない。
 夕方だと時間も時間でこっそり食べると血糖測定でバレるので、仕方なく寝て過ごした。起きると窓の外は真っ暗で、よく分からないが数分おきに上空を飛行機が通過していた。

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