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入院35日目



 こーんにーちはー。

 錦鯉が優勝した瞬間は、カメラに切り抜かれたおじさんたちが片っ端から泣いていて、なぜかこちらまでもらい泣きさせられてしまった。
 正直一回戦の時点ではオズワルドかと思っていたが、決勝でも勢いをそのままに駆け抜けたのが錦鯉で、納得の優勝だと思った。お笑いを語れる身ではないけれど。

 暗がりの中で、テレビを点けていたのは僕だけだった。22時を少し回ったころには大人しくテレビを消したが、しばらくは興奮で眠れなかった。
 毎年毎年、夢や希望を与えてくれるなあと思う。

 人生なんていつ歯車が回り出すかは分からない、もしかしたらそのまま錆びて回ることはないのかもしれない。それでも「ライフイズビューティフル」と言って漫才を締めた長谷川さんにはいろいろと学ばせていただいた。


 結局、最終奥義『蒸気でホットアイマスク』で1時ごろにようやく記憶を失くし、4時に一度目覚めたが、読書をする気にはなれず二度寝。5時ごろの採血で起こされる。

 どうやら受験生は一晩中起きていたようで、僕と入れ違いで寝息を立て始めた。


 今日は二度目のエンドキサンパルス療法。

 前回の投薬では数日後に軽い倦怠感や吐気があった程度で、副作用は大して重いものではなかった。しかし、量が増えてくればまた話も変わってくるわけで、当たり前だが、どうなるかは入れてみないとわからない。

 またしても防護エプロンのようなものを身に着けた研修医と看護師が集まってきて、物々しい雰囲気に包まれる。こうなると否応にも緊張させられる。

 一週間前のステロイドパルスで入れた点滴のルートをみてもらったが、逆血が確認できず確実性を重視したいとのことで取り直しに。ほどよい場所が見当たらず何度かミスって、結局利き腕で取ることになった。 


 制吐剤と生理食塩水がものすごい勢いで体内に入っていく。
 エンドキサンを投与する前の準備である。冷たい液体が勢いよく流れ込んでくる感覚が気持ちいい。これは1時間半ほどで終わる。

 本番のエンドキサン500mlも、1時間というハイペースで落としていく。
 ダブルチェックから投薬までの流れも慣れたもので、こちらもスムーズに勢いよく入っていくが、体調にはとくに変化は見られず。

昼は大好きな鶏肉のトマト煮だったのに…


 ちょうどお昼時と重なっていたのだが、エンドキサン投与直後のバイタルチェックなどで立て込んでいるため、しばらく昼食はおあずけ。
 ようやく許可が下りて、大好きな鶏肉のトマト煮に箸を伸ばすと、点滴からピーピーと音がする。『滴下異常』…なんのことだろうとナースコールを押す。
 しばらく看護師さんに見てもらうが、機器自体に異常はなかった。ふたたび箸を持ったところ、ピーピー。また看護師さんが寄ってくる。
 どうやら利き腕を高い位置に上げたことにより、点滴が落ちにくくなり、エラーを吐いているらしい。点滴よ、そこは機械で制御ならんのか。
 これではまともに昼食もとれない。仕方なく、箸の持ち手を左右入れ替え、時間をかけてなんとか食べ終えた。



 受験生とはカーテン越しに話す仲になった。

 身体的な痛みは鎮まったが、エコーで確認したところ腹水はまだまだ抜けていないらしく、予想以上に入院が長引いていることから精神的に参っているようだった。受験のストレスと、夜眠れないのも相まって、無理もない話だろう。

 とにかく、よく喋る子である。喋っていないと死んでしまうタイプだと勝手に思っている。
 僕は常に会話の着地点を探してしまうので、一旦会話が始まると、どう終わらせようかということばかりに神経を使ってしまう。ただ、会話を愉しめていないわけではないので誤解なさらぬよう。

 誰よりも患者の気持ちに寄り添える看護師になると、話していることも立派である。とくに頼んでいないが、治療が始まって外来に下りれない僕を気遣って、ブラックコーヒーも買ってきてくれた。耳栓のお返しかなとも思うが、本当に心の底から嬉しかった。

 回診の先生曰く尿蛋白の値も落ち着いてきているらしく、あとは腹水を抜くために利尿剤を使ってたくさんトイレに行けば一週間もかからないうちに退院できるだろう。
 それまでは、引き続きよろしくね。

ブラックコーヒーは親愛の証


 エンドキサン投与の直後は、やはり独特の浮遊感みたいなものはあるが、目立った変化などは20時現在ではいまのところない。あとは、生理食塩水の点滴が夜中まで続き、ひととおりの投与は完了する。

 今日の朝の時点の血液検査結果は、少しだけ蛋白の値がよくなっているとのこと。だが、ここ数か月で行き来している値の範囲内ではあるので、とくに一喜一憂できるものではない。
 今回のエンドキサンの二回目の投与でどうなるか、来週のリツキシマブでも変化はあるのか、まだまだネチネチとした闘いはこれから。

 僕はここで年を越す。受験生にとっての冬はとても重いものだけど、社会に出た僕の22の冬なんか、いくらでもくれてやる。付き合ってやる。
 ライフイズビューティフル。僕もそう言えるように。

 

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