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入院47日目(元日)



 2022年が、音もなく始まった。

 消灯後も堂々とテレビを点け、RIZINを観終えて満足し、ようやく消す。年越し数分前に意識的に寝落ちした。そのため、わざとだが、年越しの瞬間は意識がない。独りでカウントダウンするほど阿呆らしいことはない。


 5時ごろに採血で起こされる。そこからゴロゴロして、6時には顔を洗ったりで活動を始める。

 一年の計は元旦にあり。

 元旦というのは元日の正午までを指す。僕は割とこの言葉が好きだ。
 一年が始まる節目として、この午前中だけ頑張ってちゃんと計画立てよう、そしたら一年間通して良い感じになるから、という目標設定とリターンが怠け者にとってはちょうどよい。じゃあちょっと頑張ってみようかな、という気にさせてくれる。

 しかしながらだいたい、一年が決まる、というのは大袈裟で、これこそ人間が決めた節目ごときで決まってたまるかと信じていない。
 恰好つけているわけではないが、僕らにとっては"今日"や"いまこの瞬間"しかないわけで、一年という大層なスパンでものごとを考えるのは少しナンセンスとも思える。
 まあ、長期的な目標設定は必要だけれど、僕みたいに怠け癖があると、今日を頑張る原動力は必ずしもそんな先のものを対象としていない場合が多い。マラソンだって、あそこの電柱まで、を繰り返すとゴールにたどり着く。常時ガス欠人間はそんなことばかり考えている。

 そんな風にぶつくさ言いながら、ちゃんと今年の抱負は考えたわけで、「とりあえず病気を治し、無理せず自分の身体との付き合い方を知る」という控えめなものにした。早く寛解させて、なるべく人気の少ない秘湯まで湯治の旅に出向きたい。


 初日の出は病室の窓からは見えず、エレベータホールまで出向いても建物が多く、お天道様は拝めなかった。
 実は生まれてこの方、初日の出というものを見たことがない。でも、建物の隙間から覗く朝焼けが綺麗だったのでそれでいいかなと思う。新年の挨拶を家族や友達、会社の人たち数名に向けてLINEで送った。お手軽な世の中になったなと、皮肉ではなく純粋にそう思う。

 病室に戻ると、突然スマートフォンが点かなくなった。
 原因は薄々感じてはいたが対処を後回しにしていたストレージ不足。強制再起動をして、データをなるべく削除したりPCに移したりして復旧。

 朝食はおせち料理だった。
 隣の爺さんはこんな甘いもん食えるかと文句を言っていた。また、隣の病室の婆さんが認知症らしく、死んでやると意味不明な奇声を発して騒いでいた。結局はベッドごとどこかに運搬されて平穏は取り戻されたわけだが、朝からお祭り騒ぎの正月気分に浸った。本音を言うと、静かな正月がよかった。

 31日、1日と奇数日が続くため、風呂に入れず、身体拭きのバケツを持ってきてもらう。
 資格勉強、読書、コンビニへの買い出し、昼寝、そのすべてが朝イチに立てたスケジュールと寸分違わず進む。緻密な計画のもとにダラけるというのはとても気持ちがいいものである。


 トイレで例の同い年の看護師さんと擦れ違う。
 30日から三連勤という可哀そうなシフトである。

 彼女は休日によくテレビを観るそうで、おすすめのドラマとか、よくテレビの話題を持ちかけてくれる。
 昨日の夜は何を観ましたかと問われて、格闘技ですねと答えたら、ああそっち側の人なんですねえと苦笑していた。そっち側とはどっち側なのだろうとしばらく真剣に考えたが、まあ言わんとしていることもなんとなく分からないでもない。こちらから彼女に何を観てましたかと訊き返したら、紅白です、と答えた。


 今日の血液検査の結果は、腎機能横ばい、まあ蛋白はちょっと減っているかなあ、という具合。まあ、こんなもんでしょう。
 (4+)というのを初めて見たけれど、実際の数値を表すクレアチニン比は減っているから、やはりあまりあてにならないのだなと感じた。


 さて、本年も、一日一日頑張っていきましょう。そうすれば、一年はその一日一日の集大成なので、自ずと良いものになるでしょう。

 まあ、中には体調が優れないだとかさまざまな要因でベストを尽くせない日もあるわけで、それはそれで無理しないでできる範囲でやっていけばいいでしょう。一日一日の積み重ねだけれど、その一日が欠けたぐらいで一年が決まるわけでもないですし。その辺は都合よく解釈していきましょう。

 それが僕の今年の抱負です。…別に抱負というか、いままでもそんなだったんですけどね。
 でも、noteってそういうことを書く場所なんじゃないでしょうか。自分への免罪符的な…って、これ以上書くと怒られそう。誰が見てくださってるか分かりませんからね。

 
 

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