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【性別適合手術と妻へのプロポーズ8】子宮・卵巣摘出手術と、母から届いた手紙

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。自己紹介はこちらからご覧ください。
自分は男性だと思いながらも、一体何者かわからずに生きてきた私。戸籍も男性として生きていくと決め、私はついに性別適合手術を受けることを決意します。前回の乳腺・乳房切除手術である胸オペに続き、今回は子宮・卵巣摘出手術のことについてお伝えします。
(本シリーズはこちらから)

31歳で乳腺・乳房切除手術を受けた私は、1年後、32歳の時に子宮・卵巣摘出手術を受けました。

自宅からは少々遠方にあるレディスクリニックで、膣から機器を入れて子宮・卵巣を取る手術を受けました。開腹手術は完治まで時間がかかると聞いていたので、仕事を休む日をできるだけ少なくしたかったこと、そして「胸オペ」の時、麻酔が途中で切れるという経験もしていたため、GID(性同一性障害)外来の医師に相談したところ、このクリニックを教えてもらいました。

手術は3泊4日で行われました。入院して翌日には手術を受け、その後2泊して帰る日程です。

私が入院した時、クリニックには、既に性別適合手術を済ませた人がいました。医師から「聞きたいことがあるのなら、その方がお話ししてもいいとおっしゃっていますよ」と言われたので、私は面会を希望しました。個人的なことはもちろん聞きませんでしたが、手術前の過ごし方や手術後の身体の状態のことを教えてもらいました。

経験談を聞いても、手術が始まるまでは、とても緊張していました。怖いなあ、痛いのかなと心配ばかりしながら、でも、とうとうここまで来れたことに喜びも感じていました。当時の彼女で、その後、妻となる女性と電話ばかりしていました。

手術の前には、母親から手紙が届いていました。母には、子宮と卵巣の摘出手術が決まったことはメールで知らせていました。返事がメールではなく手紙で届いたときには「やっぱり最後の最後まであれこれと反対するのかな」と綴られている文面を予想しました。

しかし、母からの手紙にはこう書かれていました。
「やっと男として認めてもらえる日が来たと肩の荷を降ろして、これからの人生を楽しんでください」

「男になれてよかったね」ではなく、「やっと男として認めてもらえる日が来た」という母の言葉に、私のことをわかろうとしてくれていることをひしひしと感じました。予想外の母の言葉はとてもうれしかったですし、私は母に心から感謝しました。

手紙にはこうも書かれていました。
「私の子どもに生まれてきてくれてよかった。幸せになろうね」。

心の性と身体の性の違和感の理由がわからず、ずっと一人苦しみ、自分は何者なのかがわからず悩んできました。20代半ばでようやくGID外来の受診にたどり着いたとき、医師からは「親はこの事態を一生理解できない」「親にとって田崎さんは、これからも娘のままだ」と言われました。

医師の言うとおり、きっと母親の中では私はまだ娘であり、これからも娘なのでしょう。でも、ここまでわかろうとしてくれているのであればそれでもう十分だと私は思いました。たとえわからなくても、わかろうとしてくれていること、それ以上に、私のことを否定せず「生まれてきてくれてよかった」と受け止めてくれたことでもう十分でした。

手術は全身麻酔でした。女性用の手術台に乗った瞬間、意識がなくなり、目が覚めたときにはすべて終わっていました。

ベッドの上でもうろうとしている私に看護師が、「摘出した子宮と卵巣を見ますか?」と尋ねました。血が苦手な私は怖くて「見なくていいです」と返事をしたのですが、看護師は「もう見ることがないから見ておきなさい」と子宮と卵巣をわざわざ持ってきれくれました。

子宮には筋腫が6個もありました。生理のたびに私はこれで苦しめられていたのだ、でももう生理も来ることはない……そのとき、解放されたような気持ちを味わったのは事実です。

ただ、私にとって、子宮と卵巣の摘出は、生理から解放されるためという以上に、身体的性別と性自認を一致させるための行為でした。そして、戸籍の性を男性に変えるための手術でした。

手術には当然リスクもあったわけですが、生理の煩わしさから解放されるためにリスクを冒したのではなく、身体的性別と性自認を一致させるためにリスクを受け容れたのです。

子宮・卵巣摘出手術の後、陰茎や陰嚢の形成する手術を受ける人もいますが、私は受けませんでした。泌尿器系の病気のリスクが高くなること、形成された陰茎は海綿体を含まないため、性的に興奮しても勃起しないことなどを考えて、形成手術を選択しませんでした。200万円ほどの手術料も大きな壁でした。私はエピテーゼ(医療用シリコンでつくった人工物)を選択することにしました。

性別適合手術が終わって、私は戸籍上の性別を女性から男性へと変更するための手続きを開始しました。そして、当時の彼女に結婚を申し込みました。彼女はどんな人なのか、なぜ彼女は私を受け容れてくれたのか、そもそも彼女にとって出会ったときの私は女だったのか、男だったのか。結婚を了承したとき、彼女にとって私はどんな存在になっていたのか。次回から、彼女との出会いと結婚についてお話しします。

〈次回のnoteは、7月27日(水)から再開します。また、それまでは時々、twitterで過去の投稿を振り返りたいと思います。よろしければ、フォローください〉

【私と母との物語は下記からご覧いただけます】

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