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【性別適合手術と妻へのプロポーズ5】面接での決意のひと言「男として雇ってください

このnoteでは、LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。自己紹介はこちらからご覧ください。
自分は男性だと思いながらも、一体何者かわからずに生きてきた私。戸籍も男性として生きていくと決め、私はついに性別適合手術を受けることを決意します。前回に続き、現在につながる男性ホルモン注射による治療や性別適合手術、そしてそんな転換期にはどのような仕事をしていたのかを綴ります。(本シリーズはこちらから)

乳腺切除手術、そして子宮・卵巣を摘出する性別適合手術を受けるため、200万円の貯金を目標に、トラック運転手になることを決意しました。

短大を卒業して、私はずっと保育士として働いていましたが、ホルモン療法を開始して、外見も少しずつ男性に近づいた私は、「男らしい仕事がしたい!」とトラック運転手を選んだのです。男性として生きていくことを決めたばかりのその頃の私は、「女らしさ」「男らしさ」にとらわれていたところがありました。いわゆるジェンダーバイアスが私の中にあったのです。

しかし、トラック運転手の夢はかなうことはありませんでした。運転が下手で、集荷、配送に遅れ、あげく物損事故も起こしてしまったのです。トラックの運転には、ある程度の図太さが必要だと言われます。狭いカーブでのカーブなどではどうしてもほかの車を待たせてしまうのですが、そこでトラック運転手が慌ててしまうと、かえって事故を起こしてしまうからです。ほかの車を待たせることなど気にせず、悠然と切り返しを行うメンタルが必要だと運送会社の社長からも言われていました。

しかし、私は、「早く曲がらないと!」と焦ってしまい、ブロック塀を壊してしまったのです。

お金も貯まらず、自信までなくしてしまいましたが、働かなければ、性別適合手術どころか生活することができません。一時期は「男らしい仕事」をめざした私でしたが、やっぱり自分には人とかかわる仕事が合っていると考え、ハローワークに紹介してもらったのが、学童保育支援センターでの支援員の仕事でした。

私が就職を希望した学童保育支援センターでは、県内の学童保育の実態調査を行い、1冊のガイドブックにまとめる事業に取り組もうとしていました。すべての学童保育を訪問し、子どもと一緒の時間を過ごしたり、指導員の相談を聞いたりする仕事は、私にはとてもやりがいがあるように思えました。

さっそく、履歴書を送り、面接を受けました。ハローワークの相談員には「就職では不利になるから性別移行のことは面接では言わない方がいい」と言われましたが、応募書類にも「性別移行をするつもりなので、女性ではなく、男性として雇ってほしい」と明記しました。そして、面接で「戸籍上は女性ですが、将来、性別適合手術をして、男性になります。男性として雇用してください」とはっきりと希望を伝えました。

私としては大切なことを思いきって口にしたつもりでしたが、面接官は「わかりました。検討します」と淡々とした様子でした。ちょっと拍子抜けしたような気もしました。

結果は無事、採用。男性支援員として採用してもらえることになりました。

出勤初日、私は同時期に採用されたほかの支援員にカミングアウトしました。当時、男性ホルモンを打ち出してまだ1年も経っていない時期でしたから、私の見た目は女性と男性どちらにも見えたはずです。私のカミングアウトを聞いた一人の中年女性は「へぇー、そんな人がいるんだ!」と素直に驚いていました。

一方、20代前半の女性支援員は、「私、トランスジェンダーの友だちがいるんですよ。だから、面接の時に田崎さんを見て『あ、この人、バリバリそうだ』って思ってましたよー!」とあっけらかんと言われました。二人のそれぞれの率直な反応を、なんだか面白いなあと思いました。

次回は、学童保育支援センターでの日々を振り返ります。

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