見出し画像

【特別編】一番難しい「親へのカミングアウト」

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介はこちら)
私は高校生の時、同級生に「私が好きになるのは同性の女性」「身体は女性だけど、男性の気持ちで女性を好きになっている」と生まれて初めてカミングアウトをしました。その後、信頼できる何人かの人にカミングアウトをしましたが、一番ハードルが高かったのが家族や親族へのカミングアウトでした。

■治療を前に始まった私のカミングアウト

高校3年生の時に同級生にカミングアウトして以降、自分の性自認や性的指向を打ち明けることはしばらくありませんでした。特に、短大時代は、性自認や性的指向が大きく揺れ動き、自分が何者で、どのように生きていくのか、ますますわからなくなったため、他者にカミングアウトする状態ではありませんでした。

次にカミングアウトするのは、短大卒業後、保育士の仕事を始めてからです。信頼できる同僚に恵まれたこともあり、少しずつカミングアウトする機会が増えてきました。

しかし、家族や友人の多くには打ち明けていませんでしたから、みんなは「男の子っぽい女の子」と思っていたはずです。

転機は26歳、GID(性同一性障害)外来で、性同一性障害の診断を受けたことです。ホルモン療法を行い、身体的な変化が表われたら性別適合手術を受けることを決意した私に、医師は「この人だったらだいじょうぶと思える人には、カミングアウトした方がいいですね」と言いました。

ホルモン療法を始めれば、1、2か月で顔つきや体格、声に変化が現れます。変化を受け入れてもらえるように、信頼できる人にはカミングアウトした方がいいという医師の勧めも頭では理解できました。気は進みませんが、しかたないなと思いました。

悩んだのは、親へどう説明するかです。親には、自分の性自認や性的指向について、一度も打ち明けたことはありませんでした。他人が私のカミングアウトを聞いてどんな反応をするのかを考えるだけでも不安なのに、いきなり親に「あなたの娘は男になります」と言ったら親はどう思うのか……。でも、子どもである以上、親にはちゃんと説明しなければいけないのではないか……私は悩みました。

私は、医師に「親には先生から説明してください」と言いました。医師は、「だれに説明するのかは自分で決めてください。説明も自分でしてください」と私に返しました。そして、こう言いました。「親に理解してもらうのは、最後でいいと思いますよ」と。

親にわかってもえらえるかどうか心配しているのに、親に理解してもらうのは最後でいい!? なんて冷たいんだ! こんな病院やめたほうがいいのではないかと私は悩みました。しかし、ここで病院を変えたら、受診にたどり着き、治療を開始するまでにまた何年もかかる。もうこの医師を信じるしかないと覚悟を決めました。

■「私は別にいいけれど、親がかわいそう……」

私は、まず信頼できる友人、そして親戚とカミングアウトしていきました。性同一性障害という診断を受けたこと、ホルモン療法を行い、将来は性別適合手術を受けたいということを。

私のカミングアウトを聞いて、8割くらいの人は、「普段から服装や振る舞いからなんとなくそうなのかなと思っていた」といった反応でした。

カミングアウトをいつ、だれに行うのか。そもそもカミングアウトするかどうかは、本人が決めることで強制されることではありませんし、正解もありません。ただ、私の場合は、カミングアウトしたことで多くの人に自分を受け容れてもらうことができ、気持ちがとても楽になりました。

でも、2割くらいの人は、私のカミングアウトに否定的でした。特に、親族から、「確かに昔から男の子っぽかったけど、心が男だなんて思い過ごしだよ」とか「そんなことを言われても、あなたは私にとってはこれからも女の子だよ」と、私の性自認を否定されることが何度かありました。私のことを思っての言葉なのだとは理解しながらも、受け容れてもらえないことで悲しい気持ちになりました。

「私は受け容れられるけど,あなたの親がかわいそう」と言われたときは、「私だって親を裏切っているような罪悪感に苛まれているのに……私のつらさは想像してもらえないの!?」と言葉を失いました。

カミングアウトしたことが原因なのかはわかりませんが、その後、連絡がつかなくなった人も何人かいました。だから、すべての人に受け容れられたわけではなかったけれど、それでもカミングアウトしていったことは、私にとってはよかったと思っています。

■わかってもらえなくても、親子であることは変わらない

カミングアウトの相手として最もハードルが高かった親には、ホルモン療法を始めた後に告白しました。両親は、私が高校生の時に離婚していて、父親とは疎遠になっていたこともあり、打ち明けたのは母親でした。

「もうホルモン療法を始めている」と正直に言うことで、母親を深く傷つけてしまうような気がしたので、私は「これからホルモン注射を始める」とウソを言いました。

母親は私にこう返しました。「中学校のころからそうだろうなと思っていた。あなたは普段から十分男に見えるのだから、治療なんて必要ない。やめておきなさい」

私は手短に答えました。「それは無理。もうやるって決めてるから」。母親は無言でした。

その日を境に、私と母親の間には、会話らしい会話はなくなりました。同居していなかったこともあり、4、5年、まともに話もしなくなりました。

たまに会っても、母親が治療のことなどを聞いてくることもありません。LGBTQに関する啓発冊子を母親の目にとまる場所に置いて帰ったことも何度かありましたが、感想を言ってくることもありませんでした。そもそも読んだのかどうかもわかりませんでした。

GID外来の医師は私に、「親に理解してもらうのは、最後でいい」と言いました。そして、こうも言っていました。「親にとっては、死ぬまで理解するのは難しいと思います」と。80歳をとうに超えた老母が、ひげ面の中年男性のことを「うちの娘は」と呼んでいると、ある親子のことを教えてくれました。老母にとっては、姿形は変わっても、娘はずっと娘なのです。

「親に理解してもらうのは、最後でいい」「死ぬまで理解するのは難しい」という医師の言葉を、私は悲しいことだなと思いましたが、同時に、それはしかたないことなのだと納得もしました。「治療なんてやめておきなさい」という言葉を残して、それから私と向き合おうとしなくなった母親は、確かに私を受け容れられなかったのでしょう。でも、もうそれはしかたないこと、そんなものなのだと思いました。

カミングアウトから14年ほど、そして性別適合手術から9年ほどが経った今、母親とは前よりも言葉を交わすようにはなりました。でも、彼女が私を受け容れたのかどうかはまだわかりません。そういえば、母親は弟のことは「うちの息子」と言いますが、私のことは息子とも娘とも言わず、「うちの子ども」と言います。医師の言ったとおり、死ぬまでわかってくれないのかもしれません。

ただ、数年前、母親が私に「新聞にLGBTQの記事を見つけた時は、必ず切り抜いていたよ」とぽつりと言ったことがありました。ああ、母親は自分のこと気にかけてくれていたんだ!身体の中がとても温かくなっていることを感じました。心の奥底では、母親にわかってもらいたいと願っていたのだと自覚しました。

これからも母親にとって私は、「息子」ではなく「子ども」のままかもしれません。いえ、「娘」のままなのかもしれません。でも、言葉にはとらわれなくていいと思っています。死ぬまで理解できなくても、死ぬまで親子であることは変わらないのですから。

【カミングアウトについての特別版はこちらから】

【これまでのマガジンはこちらから】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?