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茶ノ湯の掛物;013 名利共休

名利共休
みょうりともにきゅうす

これはお茶をやる人にはとてもなじみのある、特別な語です。

利休さんの由来といわれるものです。

利休さんの命日が2月28日
この季節になると、全国の稽古場で利休さんを偲ぶ。
こういう茶の世界が500年近く続いていると思うと、
感慨深いものがあります。

名利共休
名利とは、名誉、名声、利益、利得などのことです。

これらを「共に休す」ということですので、
「名誉、名声、利益、利得などにとらわれず、あるがままに生きよ」
というような解釈が一般的でしょうか。

これを、実際に取り組むことは簡単なことではないように感じます。

あれも欲しい、これも欲しい。
良く見られたいし、良く思われたい。

背伸びをして、つらくなって、疲れてしまう。
結局、自分で自分を苦しめているようなものになってしまう。

と、言葉を並べたところで、
実際の日々に、暮らしに、、、となると難しいものです。

利休さんは、天下人に仕えながらも、媚び諂うことなく
自分の茶の道を実に潔く、一歩一歩歩んでいったように感じます。

譲れぬところまで来ても、敢然として死を受け入れる。。。
この境涯には、到底思い及ばぬところです・・・

ちなみに、
「利休」という名は、師の古渓宗陳からいただいたものです。

古渓宗陳
安土桃山時代の禅僧。大徳寺の江隠宗顕,笑嶺和尚のもとで修行し,のち大徳寺の住持となった。高徳と豪毅な禅は世に聞こえ,豊臣秀吉は宗陳を織田信長の菩提のために創建した総見院の開山に迎え,信長の葬儀に導師を命じた。権勢を恐れず,石田三成と衝突し,しばらく博多に流されたこともある。茶の湯をよくたしなみ,千利休の参禅の師であり,〈利休〉の居士号はもともと宗陳が選んだものという。

平成が終わり、新しい元号に代わるこの時代にも、
やっぱりこの時期には、利休さんを偲び
こうであった、ああであった
という話を稽古場で、お茶を志す仲間とできるということは
何とも幸せなひと時であると感じます。

いつか、私も、、
「名利共休す」こと自体を休することが
できるくらいのところまで辿り着きたい
という想いもまた、名利なのです・・・^^;;

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