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あの日、私の夢を笑ったアナタへ

A氏「カメラマンか~~~!えっと、カメラ女子、みたいな?」
このレベルはまだいい。


B氏「なに撮るの?コスプレイヤーとか?熱心だねぇ。」

C氏「インスタのフォロワーが多くたってプロにはなれないよ(笑)」


そして、ワースト。

D氏「写真にいっちょまえにクレジット(サイン)なんか書いちゃって。」
D氏「ものすごくプラス思考すれば、めちゃいい画が撮れてるんだね!」


D氏は職場の人だった。Facebookというただでさえ疲弊しやすいSNSで、ほとんど接点のない私にわざわざコメントを残してきた。後日、やりとりを見た同僚から「Dさん嫌なヤツだね」「あんなの気にしないでいいよ」と同情されたが、私が欲しいのは同情というヌルいものではなかったことは断言しておく。

仕事を辞めてから2年、写真に携わる時間の中で ふとした瞬間に、D氏に限らずA氏、B氏、C氏の言葉はひとつの呪いとなって私の頭の片隅でくすぶり続けた。


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D氏コメントのスクリーンショット。
職場の年上だからと しぶしぶイイネを押した当時の自分が可哀そうでずっととってあった。


写真のスキル向上はもちろん、たとえばどこかの専属カメラマンになるだとか、大きな賞で可視化できる実績ができるとか、カメラマンとしてそういう一歩を踏み出すことができれば見返してやれるだろうか。撮影活動の合間にまったく邪念がなかったかというと、それはそれで嘘になる。

ちなみに、結婚することも大きな追い風となり、件のD氏のコメントの半年後に私は同僚ごと見捨てて職場を去った。8年も務めたわりに寂しさをまったく感じなかったことが我ながらすごいと思ったことをはっきりと覚えている。カメラマンとして第二の人生を生きる覚悟と夫というパートナーに恵まれたことの嬉しさで頭の中はいっぱいだったし、D氏のような存在が職場に残ったわずかな未練さえもキレイさっぱり消し去ってくれたのだろう。

「気になっている子にイジワルしたかったんだよ」とフォローした人もいたが、もしそうだとしても いい大人なのだから稚拙なコミュニケーションであることを自覚したほうがいい。自己満足でしかない昭和ノリのコンタクトは令和の今では不快でしかないことも、平成うまれの私が断言する。


今となっては交流の場どころか個人プレスリリースに成り下がったfacebookに手身近にコンテストで受賞したことを報告すると、D氏はなにくわぬ顔で「イイネ」をつけてきた。私宛のfacebookの通知は追いきれなくなっていたが、2年前 D氏の言葉に同情してくれた同僚のひとりが、わざわざLINEで「D氏もイイネつけてるのウケる、良かったね」と教えてくれた。

自分で意外だったことは、今となっては通知のひとつひとつを血眼になって見ることも無ければ、D氏のリアクションがどんな風であろうとまったく関心を持てなくなっていた。誰かを見返すために、なんていう邪年のためにシャッターを切ることを いつの間にかやめていた。いつからだろう。ここ2年ほどの出来事なのに、面白いくらいA~D氏の4人の存在は私の中で着実に薄まって興味の対象でなくなっていた。

「そういえばD氏とか居たなぁ」と軽く流しながら、夢を後押ししてくれた恩人数名に個々に報告のメールを送った私だった。


写真を撮り続けることが、私にとってひとつの救いと証明になった。創作活動は誰だっていつだって苦しいものだから、これからも大変なことがたくさんあるだろう。追究すればするほど、スランプも比例していくものなのだろう。

それでも私自身が進むと決めた道ならば、見据えるのはいつだってファインダーの先の広い世界だけだ。カメラを手に、理想を追求しつづけていきたい。

最後に、あのとき私の夢を笑った4人へ。
きみたちにもいいことがあるといいね。知らんけど。


今日も私は撮り続ける。

2020/10/05 こさい たろ

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