ナニモノニモナリタクナクテ

キャラをつくることがフォロワーを増やすコツです、とネットのあちこちでよく見かける。明確なキャラがみんなから好まれるのです、と。そのほうがどういう人間であるか分かりやすく、他人からすれば安心できるのだからもっともな話だと思う。でもそれをすれば自分が自分ではないような気もしていて。

文章を書くのが好きで、本を読むのが好きで、映画を見るのが好き、音楽を聴くのが好き、写真を撮るのが好き、考えることが大好きで、楽しいことが大好きで。どこまでもどこまでも挙げていくことができる。好奇心の数だけ好きなことはあって。

分かりやすさを求める時代なのかなと思う。時代がそれを求めて、そしてみんなそれに応えようとして。テレビやYouTubeもそう。メディアに出てくる人たちは分かりやすくて面白い。それが仕事なのだから、私たちの期待に応えて楽しませてくれる人が出てくるのは当然だと思う。では私たちは?

SNS疲れという言葉がある。頑張って更新していたのにある日急に苦しい胸の内を明かし、更新が途絶えてしまう。自分のキャラに違和感を感じたり、毎日更新することが苦痛になったり、人によって理由は様々だけど、SNSを続けることに息苦しさを感じて止めてしまう。そういう人を見るたび胸が締め付けられるような痛みを感じる。なぜこんなことが起こるのか?

人はメディアではない。メディアになる必要もない。人間がそう分かりやすい存在であってたまるものか。

なにかに囚われて自分を縛ってはいないか? そこからはみ出すことを恐れてはいないか? いろんな自分がいていい。そのほうがいい。

"自分らしさ" を探して"自分らしく" 生きようとしてそれに縛られてしまう。でも"自分らしさ" もまたひとつの姿に過ぎなくて実体とは違ってる。だったら"自分らしさ" なんか探さなくていい。何をしても自分というのは出てしまうものだから。

大切なのは自分を信じること。そのためには自分を知ることが必要だと思う。自分はどういう基準でどう行動するのか? 何が好きで何に心を動かされるのか? 自分はどうなりたいと願うのか? そうやって問うことで自分の中から外にあふれ出すものを肯定してあげればいい。分かりにくくたってかまわない。それが自分なのだから。心配いらないよ。あなたを知る人があなたのことをきっと読み解いてくれるから。

なにかを演じたくなる自分はそっと足元に置けばいい。

もっと自由に心を軽くして。そして自分が好きだと言える人が増えてくれたらいいな。そんなことを思っている。

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