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『幕が上がる』平田オリザ

私たち二人は、いま芝居の話なら、明日の朝まででも続けられそうだ。普通の女子高生が、ファッションやアイドルの話を延々と続けられるように、他人が見たら不思議に思えるくらい会話が途切れない。私たちは演劇の話をしながらハムサンドを頬張り、ぬるくなったアイスカフェオレを飲み干し、それをゴミ箱に捨てるときもずっと話し続けていた。

こういう描写にグッとくる。『幕が上がる』は地方の高校演劇を舞台にした青春小説。劇作家であり演出家の平田オリザが書いた初めての小説です。

演劇の奥深い世界を描けるのは当然として、平田オリザが初めての小説でこんなに瑞々しい文章を書いたことに驚かされました。物語は、演劇部部長であり、後に演出を担当する主人公さおりのモノローグと会話で進められます。

さおりを通して見た物語。読みやすくスッと物語の世界に入っていけます。日記を読む感覚に近いかもしれません。小さく憤慨してみたり、自分で自分にツッコミを入れたりと、クスっと笑わせるところがたまにあり、いつの間にか同じ目線で同じ気持ちになってこの本を読んでいました。

物語は高校2年の秋、地方大会で敗退したところから始まります。演劇部の2年生部員、さおり・ユッコ・ガルルが初期メンバーで、ここはまだ序章段階。本編はさおりが高校3年生で部長になってからです。吉岡先生が春この学校に赴任したことから物語は大きく動いていきます。そして新たに仲間となる中西さんが転校してきて、後輩たちとともに高校演劇の地方大会、県大会、ブロック大会を目指すお話です。みんなが演劇を夢中になって追いかける姿に胸が熱くなること必至です。

この小説では最初に登場人物の紹介ページがあります。

さおり:高橋さおり。演劇部部長。作・演出を務める。
ユッコ:橋爪裕子。演劇部の"看板女優"。お姫様キャラ。
ガルル:西条美紀。独特のダンスを踊るムードメーカー。
中西さん:中西悦子。県内強豪校からのクールな転校生。
わび助:桃木。後輩の男子部員。天性の才能を持つ。
吉岡先生:新任美術教師。演劇部副顧問となる元「学生演劇の女王」。

どうですか、この設定だけでもう読みたくなりませんか?

吉岡先生によって演出の才能を見出されたさおり。その才能が開花する様は読んでてゾクゾクします。役者たちも、吉岡先生の的確なアドバイスでみるみる動きが良くなります。平田オリザの演劇論をここで垣間見ることができます。演劇って面白い!すごいな!きっとそう思うはずです。

エチュードの話も面白い。エチュードとは、台本がなくその場で登場人物になりきって演技を続ける即興劇。芝居をやる上で欠かせない練習です。

エチュードもやった。新しい課題の途中だったけど、中西さんは、ガルルの班に入った。いまの課題は『ロミオとジュリエット』で、とにかく「現代社会で許されない恋愛を描く」ってやつ。これがけっこう難しい。不倫とか同性愛とか、いろいろアイデアは出るんだけど、でも突き詰めて考えると、それって、「いまでも本当に許されないの?」って話になる。いいじゃん、本人たちが愛していればって感じになる。

確かに。そこで考えた末にある班は「動物園のライオンとシマウマの恋」にしたり、ある班は「相撲部屋のおかみさんと弟子の恋愛」にしたり(^^;。私は演技なんてできないけど、こういう設定ならやってみたいなとちょっと思ったほど。考えた設定をどう表現するのかが役者の技量を試す場になるわけですが、課題を深く考えることは演劇にとどまらず思考のトレーニングに役立ちそうです。

演出や構成についてもこの小説から学ぶことができます。ここをこう変えたらグッとよくなった。そんな場面がいくつも出てきます。演劇だけの話ではなく、何かを作る、クリエイトする人にはぜひ読んでもらいたい。そういう意味でもオススメです。

この小説では『銀河鉄道の夜』が重要なワードとして出てきます。ジョバンニとカンパネルラの物語。演劇の醍醐味がここにギュッと詰まっています。あのラストシーン。彼女らがたどり着いた「私たちの、高校生の現実」。

舞台の袖で芝居の行方を見守るさおりを通して、私も舞台を見ていました。

さおりは舞台を見つめながらこんなモノローグをつぶやきます。

私は、次の出番に向けて舞台袖に立つ俳優の姿が好きだ。その立ち姿を見るのが好きだ。たぶん、こんなに真剣で純粋な眼差しを、普段の人生で、私たちは、あまり目にすることができないから。

さおりと平田オリザの姿が一瞬重なりクロスしたように思えました。熱い思いがここにある。ああ、これは平田オリザが言いたかった言葉だ。こういう描写にグッとくる。

どの世代にもどんな人にも読んでもらいたいオススメの青春小説です。


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