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ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダムをクリアして思う「ゲームの面白さとは何か?」の考察

はじめに

 まず最初に言っておきたいのは、「私はゲームの評論家でも何でもない」ということです。この記事はあくまで、私の個人的な感想を書き綴ったものに過ぎません。今や星の数ほどいる小説書きの1人が、『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』という世界的人気ゲームをクリアした上で、どのような感想を抱いたのか? ただ絶賛するだけでなく、前作『ブレスオブザワイルド』の方が良かったと感じたところも含めて、思いのままに書き殴りました。そこに留意した上で読んで頂ければ幸いです。


第一章 なぜゲームで遊ぶのか

1.ゲームの面白さとは何か?

 先日、発売から約2ヶ月遅れで購入した『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』を、1ヶ月強でクリアしました。本作は発売から僅か3日で、世界累計販売本数1000万本を超えたことで知られている大人気タイトル。私は前作にあたる『ブレスオブザワイルド』をクリア済だったので、『ティアーズオブザキングダム』が発表された瞬間、すぐに本作の購入を決めていました。たとえば『ファイナルファンタジー』シリーズがそうであるように、ゲームの販売本数は大抵、前作の人気に比例して伸びたり、あるいは落ちたりする傾向があります。本作もその例に漏れず、前作にあたる『ブレスオブザワイルド』が好評を博した結果、ユーザーの期待が高まって販売本数が伸びた、という背景も間違いなくあるでしょう。しかしこのゲームをクリアした今、本作が売れた理由は、それだけでは無いと私は断言します。

 私くらいの年代の人間はよく「昔ほどゲームにハマらなくなった」とか、「最近のゲームはあまり面白くない」と感じることがあります。この件についてサイバーコネクトツーの代表であられる松山 洋さんは、ご自身のnoteで「そういう人は最近のゲームを買って遊んでいない」「あなたはお客様ではありません。ただ”昔はよかった”と言いたいだけの人」とバッサリ切り捨ててらっしゃったのですが、私はそれに該当しなかった(最近のゲームも買って遊んでいる)ので、その記事を読んでモヤッとくるものがありました。確かに、彼の言う「懐古厨」的な方も多くいらっしゃると思います。しかし私は最新のゲーム機で最新のゲームを買って遊んでも、やっぱり「昔ほどゲームにハマらなくなった」「最近のゲームはあまり面白くない」と思ってしまうのだから、仕方ないではありませんか。

 松山 洋さんのnote記事に納得できなかった私は、以降ずっと「ゲームの面白さとは何か?」について考えるようになりました。私は無名ながらも、自作小説を書いて発表しています。私は小説を書く際、常に面白い物語を書きたいと考えていて、「面白さとは何か?」を考えながら生きているといっても過言ではありません。だからこそ、自分で書いた小説を読む時と同じように、ゲームを遊びながら「このゲームの面白さは何か?」と考えるようになりました。

2.ゲームとは本来、面白いもの

 私が子供の頃、ゲームといえば親に嫌な顔をされながらも、こっそり楽しむ背徳的な遊びでした。親に怒られてでも、ゲームで遊びたかった理由は単純明快、ゲームが面白かったからに他なりません。新しいゲームを買う度に私の脳は刺激され、その新鮮な体験に驚きを覚え、どんどんゲームにのめり込んでいきました。当時の私は、これからもずっと面白いゲームが出続けて、私を驚かせてくれるに違いない、と信じていたものです。

 しかし歳をとった今、新しいゲームを買って遊んでも「昔ほどゲームにハマらなくなった」とか、「最近のゲームはあまり面白くない」と感じるようになってしまいました。今の時代、ゲーム以外にも様々な娯楽が溢れ返ってます。つまりゲームの魅力は昔と変わらないままなのに、単純に他の娯楽と比較して、ゲームの面白さが相対的に低下したということなのでしょうか? 松山 洋さんがおっしゃるように、私は「ただ”昔はよかった”と言いたいだけの人」なのでしょうか?

 いいえ、そんなことはありません。

 『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』は、そんな私の疑問に対して、1つの明確な答えを示してくれました。そこには前作にあたる『ブレスオブザワイルド』と比較することで、より浮き彫りになった部分が多くあり、だからこそ私はこの作品を面白いと感じました。この記事では、「ゲームの面白さとは何か?」をテーマに、『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』が何故ここまで売れたのか? その面白さの秘密について、自分なりに感じたことを書き綴っていこうと思います。

第二章 盛り盛りの魅力的な世界

1.オープンワールド=面白い訳じゃない

 近年の大型タイトル、とりわけRPGではオープンワールドが採用される傾向にあり、『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』でも前作にあたる『ブレスオブザワイルド』からこれが採用されています。オープンワールドとは、いわゆる「エリア移動」で画面が暗転することなく、シームレスに世界を冒険できるゲームのこと。しかし今やオープンワールドと銘打ちつつ、無意味にただ広いだけの世界を創ったゲームが世に氾濫し、これに対するプレイヤーの「飽き」が生じ始めているきらいさえあります。「ゲームの面白さとは何か?」に通ずる部分ですが、「オープンワールドの面白さとは何か?」と考えた時、それはプレイヤーに自由を提供することに他なりません。平たく言うと、「世界を丸ごと創りました。さぁ、ここで自由に遊んで下さい!」ということに尽きるでしょう。

 そこにプレイヤーが面白みを感じられれば、それはまさにゲームの面白さに直結することになりますが、しかし一方でただ広いだけの退屈な世界を用意して、そこにプレイヤーを放り出しただけでは、それを面白いと感じることなど到底出来ません。近年量産されてしまった、雑に隙間を埋めただけのオープンワールドを採用したゲーム群は、このことを理解していないように思います。ゲームはあくまでゲームであって、ただ広いだけの世界を創ることが、そのまま面白さに直結する訳じゃない。オープンワールド=面白い、という訳ではありません。オープンワールドを採用したゲームを創るなら、むしろ現実には有り得ないほど仕掛け盛り盛りの世界を用意しなければ、そこで遊ぶプレイヤーが「面白い」と感じることは無いでしょう。重要なのはオープンワールドそのものでなく、オープンワールドでプレイヤーが何をするのか? なのですから。

2.いいオープンワールドは目移りする

 『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』は、そこが明確になっていました。前作にあたる『ブレスオブザワイルド』で創り込まれたオープンワールドを活かし、それを更に昇華させた素晴らしい世界を、プレイヤーに示してくれたのです。

 一言でいうと、それは「目移りする世界」。

 鳥望台で空高く飛んで、あらかじめ地図にマーキングしておいたほこらに向かおうとしても、私はなかなかそこに真っ直ぐたどり着くことが出来ませんでした。何故ならこの広大な世界には誘惑が多過ぎる。本来の目的地である祠への道すがら、別の怪しい建物を発見したり、細く空に立ち昇る狼煙のろしを見付けてしまって、結局そこに向かってしまうことが多々ありました。夜空からこぼれ落ちてくる流れ星、大空を舞う巨大な竜と遭遇してしまい、本来の目的地だったはずの祠のことなどすっかり忘れて、無我夢中でそれを追い掛けてしまう。目移りしてしまうほど魅力に溢れた世界がそこにある。これこそまさに、オープンワールドです。

 ただ単に広大な世界を創って、その隙間をコピペの背景で埋めただけのオープンワールドなんて、現実と同じ退屈な世界に過ぎません。プレイヤーはゲームでしか味わえない特別な体験を求めて遊んでいる訳で、『ティアーズオブザキングダム』ではそこが明確に示されていました。世界自体は前作『ブレスオブザワイルド』の焼き増しと言えばその通りですが、それ以上にこのオープンワールドに、新しい面白さを封入することに成功している。世界の創り込みが素晴らしく、何らかの目的に向かって冒険していたとしても、思わず別のことに目移りしてしまう。そうプレイヤーに思わせることが出来たからこそ、前作の焼き増しの世界であるにも関わらず、本作はそれを批判する声がほとんど聞こえてこないのだと思います。

3.仕組まれた必然を偶然と感じる面白さ

 さて、思わず目移りしてしまうオープンワールドといえば、前作にあたる『ブレスオブザワイルド』でもそうでした。しかし『ティアーズオブザキングダム』では『ブレスオブザワイルド』以上に、この世界を自由に遊んで欲しいという、開発者のメッセージが込められているように私には感じられました。それを象徴しているのが、先ほど述べた「鳥望台」です。

 実際『ブレスオブザワイルド』を遊んでいた頃、私はとにかく高い場所に上って周りを見回し、新たな目標地点にマーキングを付けてから、そこへ向かってパラセールで移動するというルーチンを繰り返していました。まだ見ぬ未開の土地に何があるのか? ただそれが知りたくて、とにかく高い場所に上ったものです。高ささえあれば何処どこへでも行ける。そう思わせる自由さが、『ブレスオブザワイルド』にはありました。崖を上る途中、またはパラセールで移動中に「がんばり」が減ってきたら、薬や食事でそれを無理やり回復させてでも、とにかく行ったことの無い場所を目指す。ただそれだけで、わくわくするような面白さがありました。

 しかし山を上るという行為自体は、現実と同じく非常に地味で作業的な行為であることは否めません。『ティアーズオブザキングダム』では、この地味な作業が完全に取り払われました。そう、「鳥望台」の登場です。『ティアーズオブザキングダム』では、未開の土地を目指す為に、山を上る必要などありません。世界の至る所に「鳥望台」という、山よりも遥かに高い上空へと、一気にプレイヤーを飛ばしてくれる施設が用意されていたのです。

 これは前作にあたる『ブレスオブザワイルド』では、考えられなかったギミックでした。プレイヤーは思いのままに、どこへでも自由に飛んで行けるのです。鳥望台のみならず、天井がある場所で「トーレルーフ」を使えば、いつでもどこでも天井を通り抜け、上にのぼることが出来る。さらに空から落ちてくる空島のかけらに乗って「モドレコ」を使えば、いきなり山よりも高い上空に達することも出来るようになっていました。鳥望台や祠へのワープとは別に、これ程までに自由に移動する手段が豊富に用意されている。こんなゲーム、ほかにあったでしょうか? 私はそこに「さぁ、どこへでも好きな場所に行って良いよ」、「この世界を思う存分楽しんでね」という、開発者のメッセージが込められているような気がしました。

 こうしてプレイヤーは自由に行き先を選び、どこに向かったとしても何かが起こる。もちろんそれらは全て仕組まれたもので、必然的に起こった出来事に過ぎませんが、多くのプレイヤーはきっと「自分がたまたま選んだ場所に向かったら、たまたま思わぬ出来事に遭遇した」と感じるに違いありません。それはプレイヤーにとって、冒険中に遭遇した新たな事件のようなもの。あらかじめ仕組まれた必然が偶然を呼び、プレイヤーに次の選択を迫る。プレイヤーはそれに驚きを覚え、偶発的に発生した新たな問題に対して、どうするか考えて次の行動を起こす。この「自分で選んだ」と思わせるところに、『ティアーズオブザキングダム』の面白さの1つが隠されているように感じました。それは秀逸に仕組まれた必然と、それを偶然と感じさせる面白さ。その絶妙なバランスが、このゲームの魅力を最大限に引き出しているのだと思います。

第三章 自由な遊び方と報酬の提供

1.何をしてもいい自由な遊び方の提供

 もう1つ、前作にあたる『ブレスオブザワイルド』に無かった新しい遊び方として、「ウルトラハンド」というゲーム内スキルによる工作が挙げられるでしょう。このスキルを用いることで、プレイヤーはゲーム内にある様々なギミックを動かしたり、くっつけたりして、まるでブロックのように様々なものを組み上げることが出来ます。船や車だけでなく、実際にモンスターとの戦いにも使える戦車や戦闘機まで創ることが出来る。普通のゲームなら、プレイヤーが装備している武器と防具を駆使してモンスターと戦うのが一般的ですが、「ウルトラハンド」はその常識を覆す、まさにプレイヤーの創作意欲を刺激する画期的なシステムと言えるでしょう。

 YouTubeなどの動画を見ると、これを利用して魚を捕る漁船や稲を収穫するハーベスターを創ったプレイヤーまで見受けられました。プレイヤーの想像力に任せて、好きな装置を創り出すことが出来る。これは前作『ブレスオブザワイルド』には無かった要素で、先に述べた「この世界で自由に遊んでいいよ」という前作のスタイルを更に昇華させた、『ティアーズオブザキングダム』独自の面白さに違いありません。

 こういった「このゲームにしかない要素」はつまり、このゲームが売れた理由に繋がっていると思います。前作『ブレスオブザワイルド』が売れたから、その次作にあたる『ティアーズオブザキングダム』も売れた、という理由だけでは無い、このゲームが売れた本当の理由が、私はそこに隠されているような気がしました。どんなに続編が期待されているシリーズであったとしても、その面白さが期待外れに終わったなら、間違いなく売上は伸び悩むはずです。つまり『ティアーズオブザキングダム』は、プレイヤーの期待を裏切らなかった。それどころか、前作『ブレスオブザワイルド』の面白さを更に上回った。だから売れた。この仕掛け盛り盛りの世界の中で、自由な遊び方を提供することに成功した。だから多くのプレイヤーが面白いと感じ、結果的に売れたのだと思います。

2.面白さに直結する報酬の提供

 もう1つ、『ティアーズオブザキングダム』を遊んでいて、面白いと思った要素に「報酬」がありました。これも恐らく『ブレスオブザワイルド』にはあまりなかったタイプの報酬で、「ゲームの面白さとは何か?」という私の疑問に、1つの答えを示してくれたと思います。

 通常この手のゲーム、とりわけRPGにおいて報酬というと、キャラクターを強化する装備やアイテム、またはお金が真っ先に思い浮かびます。新しい装備を手に入れてキャラクターを強化する。あるいはお金を手に入れて、欲しいアイテムをゲットする。RPGでは大抵、ストーリーを進めたりクエストをクリアすることによって、装備やアイテムやお金が報酬として提供されます。そして私自身、そのことにあまり疑問を感じていませんでした。もちろん『ティアーズオブザキングダム』もその例に漏れず、装備やアイテムやお金が報酬として支給されるケースが多く見られましたが、それらとは全く違うタイプの報酬もあり、ときどき「おや?」と思いました。それは地形が変化する、というもの。これは『ブレスオブザワイルド』ではあまり見られなかったタイプの報酬だと思います。

 地形が変化する。とは、大寒波に見舞われていた街がその原因を取り除くことによって雪解けしたり、ヘドロに悩まされていた地域の水が原因を取り除くことで綺麗に浄化されたり、村を占拠したモンスターを駆逐することで村が復興したりするというもの。たとえば薪を集めるクエストでは、それをクリアすることによって橋が架けられ、地図が書き換えられる程の劇的な変化が起こる。キャラクターを強化する装備や、冒険に便利なアイテムをゲットできる訳ではありませんが、これらも立派な報酬だと私は思いました。すなわち、この世界は様々な問題を抱えていて、まだまだプレイヤーが世界に介在できる余地が多く残されているのです。

 前作にあたる『ブレスオブザワイルド』でも、ハテノ村に自宅を作ったり、イチカラ村を発展させたりといった、地形が変化するタイプの報酬はありましたが、『ティアーズオブザキングダム』ではそれがより一層顕著になっていました。こういった報酬は、装備やアイテムやお金といったキャラクターを強化するタイプの報酬とは全く別のベクトルのもので、プレイヤーの行動が世界に大きな影響を及ぼすことを表現したものだと思います。これは間違いなく、小説や映画では表現できない、ゲームならではの面白さに直結する要素に違いありません。ゲームの報酬は、なにもアイテムや装備、強くなることだけでは無いのです。

3.キャラクターの強化にも面白さを提供

 しかしそうは言ってもRPGである以上、装備やアイテム、またはレベル上げなどによってキャラクターを強化する要素は外せません。キャラクターが強くなった、と実感できることも、間違いなくプレイヤーにとって重要な報酬だと思います。これは『ブレスオブザワイルド』の頃からそうでしたが、『ティアーズオブザキングダム』では他のゲームにおける「レベル上げ」に相当する部分が、祠の攻略に置き換えられています。

 祠とは、世界に点在する小さなダンジョンのようなもので、これを攻略することでハートやがんばりを増やすことが出来ますが、基本的にパズル要素が主で戦闘能力はあまり問われません。丸腰での戦闘を強要される祠「一身の戦い」においても、内部に様々なギミックが用意されていて、特に苦労することはありませんでした。多くのRPGでは、繰り返し戦闘することで戦闘力を高める、いわゆる「レベル上げ」をしてキャラクターを強化しますが、この作品ではそういった作業的な要素を、意図的に排しているように感じられました。実際この記事のテーマである「ゲームの面白さとは何か?」を突き詰めていくと、正直「レベル上げ」って作業的で面倒臭くて、客観的に見ると面白くない行為だと思います。そんな作業的で面倒臭い部分を極力排し、ゲーム本来の面白さを追究する。『ティアーズオブザキングダム』には、そんな工夫が随所に鏤められているような気がしました。

4.コアゲーマー向けの面白さもしっかり提供

 さて、そうは言っても、中には「レベル上げ」を楽しみたいという人も居るでしょう。コアなゲーマーの中には、のちに述べる「ハムる」のが大好きという人も少なくありません。どちらかと言うと私もそっち側の人間で、ひたすら作業的な内容を繰り返すだけのゲームに、面白さを見出してしまった経験があります。キャラクターを強化する要素である祠の攻略に、あまり戦闘能力が問われないというのは、物足りなさを感じてしまう人も居るかもしれません。かくいう私も『ダークソウル』などの高難度ゲームが大好きで、最初は『ティアーズオブザキングダム』の手応えの無さに、少し不安を覚えたりもしました。

 しかし案ずることなかれ。普通の人なら面倒に感じるような作業的な要素を、ゲームとしてじっくり楽しみたい人。あるいは強敵相手に激しい戦闘を堪能したいという人にも、そういった遊び方がしっかりと用意されていました。これは『ブレスオブザワイルド』でもそうでしたが、このゲームでは強敵と遭遇しても、簡単に逃げることが出来ます。逆に、強敵に戦いを挑むのもプレイヤーの自由意志に委ねられており、極端な話をするとゲーム開始時にラスボスを倒しに行くことまで出来てしまう。強敵を倒すことで素材を集めて、装備を強化するという、ゲームでは既にお馴染みの報酬もしっかりと用意されていて、コアなゲーマーも存分に楽しむことが出来るようになっていました。

 一方で、強敵と遭遇しても簡単に逃げられる=いくらでも戦いを避けることが出来るので、腕を上げて強敵を倒すというゲームにおける原始的な報酬、いわゆる「達成感」という名の面白さを、このゲームではあまり体験できないのではないかという不安もありましたが、それは杞憂でした。『ティアーズオブザキングダム』では普段、ほとんど詰まること無くサクサク進むので、コアゲーマーはあまり手応えを感じられないかもしれない。途中まで私はそう思っていたのですが、しかしラストダンジョンだけはしっかりと手応えが感じられました。初挑戦では苦戦したラスボスの第3形態も、2回目以降は簡単に倒せるようになっていて、自分の腕が上達したことを実感することが出来ました。

 逆に言えばライトゲーマーにとって、このラストダンジョンとラスボスは、立ちはだかる壁になるかもしれません。しかし腕を上げて強敵を倒す達成感は、「ゲームの面白さとは何か?」に直結する、ゲーム本来の面白さに他なりません。ラストダンジョンにはライネルや瘴気の手といった強敵がズラリと配されていて、戦いから極力逃げてきたプレイヤーも、ここを避けては通れないようになっています。賛否両論あるかもしれませんが、私はこれくらいの難易度で丁度いいと思いました。

第四章 前作の方が良かった部分

1.個人的に物語とキャラクターは前作の方が上

 褒めてばかりだと、案件なのではないかと思われるかもしれませんが、天下の任天堂が私のような小物に案件など依頼してくるはずがありません。私は任天堂のゲームに限らず、子供の頃からゲームが大好きだったので、もし案件が舞い込んできたとしたら大喜びしてしまうと思いますが、残念ながらこの記事は私が勝手に書き綴って公表したものです。それを証明する為という訳ではありませんが、『ティアーズオブザキングダム』で唯一、私が「前作の方が良かったな」と思った部分を挙げるとしたら、それはストーリーとキャラクターだと思います。

 もちろん、『ティアーズオブザキングダム』のストーリーとキャラクターも素晴らしいのですが、私は個人的に『ブレスオブザワイルド』のストーリーとキャラクターの方が好きでした。これは私の個人的な好みの問題だと思いますが、『ブレスオブザワイルド』は人の葛藤がよく描かれていて、私にとって非常に好感が持てるストーリーでした。一方『ティアーズオブザキングダム』は、世界を救う鍵となるゼルダ姫が、既に完全無欠なヒロインとして完成していたように思います。もちろん完全無欠なヒロインも、それはそれで好きですが、『ブレスオブザワイルド』のゼルダ姫は、本来の役目を果たせない「出来損ないの姫」とまで呼ばれていて、そんな彼女が抱えた葛藤が見る者の心を打つ展開に繋がっていました。主人公の周りを固めるキャラクター達も、ただ個性的というだけでなく、人間らしい魅力にあふれていたと思います。

 たとえばリーバル。ただ仲間というだけでなく、最初は主人公を一方的にライバル視し、不本意ながらも協力するという彼の立ち位置は、個人的にそそられるものがありました。もちろん、ただ嫌味な奴というだけでなく、努力に裏付けられた実力も兼ね備えていて、最後には主人公を認めざるをえないという展開は、非常に熱くて印象に残りました。

 あるいはミファー。ヒロインのゼルダ姫とは別の意味でヒロイン力を発揮した、魅力あふれるキャラクターでした。昔から主人公に密かな想いを寄せており、主人公の幼馴染にして傷を癒やす能力まで持っているという、やり過ぎなくらい盛り盛りの設定。いたいけで一途な性格も相まって、正直、正ヒロインのゼルダ姫の影が薄くなる程の存在感を放っていました。

 それに対して『ティアーズオブザキングダム』は、既に完成された完全無欠のヒロインになったゼルダ姫を中心に、その周りを固める仲間達の姿が描かれます。彼等はそれぞれの地域で問題を抱えているものの、それは葛藤や挫折を伴ったものではなく、むしろ絶対的な絆や信頼関係を前面に押し出すことで、巨悪に立ち向かうストーリーが展開されていきます。重ねて言いますが、これは私個人の好みの問題であって、『ティアーズオブザキングダム』のストーリーやキャラクターが面白くないという訳ではありません。『ティアーズオブザキングダム』も十分魅力的なストーリーでしたが、ただ私個人としては『ブレスオブザワイルド』のストーリーの方が、キャラクターと合わせて良かったと思います。

2.物語的に6年のブランクは長過ぎる

 ここまで「前作の方が良かった部分」として、ストーリーとキャラクターについて述べてきました。個人的に物語としては『ブレスオブザワイルド』の方が良かったと感じたものの、ゲームとしては圧倒的に『ティアーズオブザキングダム』の方が上だったと思います。そしてそこにも、「ゲームの面白さとは何か?」に通ずる部分があるような気がしました。もちろんストーリーやキャラクターも、ゲームの面白さに繋がる部分ではありますが、物語を追い掛けるだけならゲームでなくとも可能です。ストーリーはあくまで「ゲームの面白さ」の一部であって、ゲームの本懐では無い。ただ単にストーリーを追い掛けるだけなら、小説や漫画・映画や動画でも十分に楽しむことが出来るでしょう。

 『ゼルダの伝説』はシリーズ通して同じ名前の主人公とヒロイン、そして敵が登場しますが、時系列的に繋がりのある作品は殆どありません。しかし『ティアーズオブザキングダム』は『ブレスオブザワイルド』と時系列的な繋がりがあり、前作で登場したキャラクターが容赦なく出てきて当たり前のように話し掛けてきます。『ブレスオブザワイルド』では、主人公が記憶喪失という設定も相まって、突然知らないキャラクターに馴れ馴れしく話し掛けられても違和感なかったのですが、さすがに『ティアーズオブザキングダム』では苦しかったと言わざるをえません。正直、前作から6年も経過しているので、私の方がもう覚えてなくて、話し掛けてきたのが誰なのか分からない状態が長く続きました。途中で『ブレスオブザワイルド』のストーリーを纏めた動画を見て復習しなければ、誰が誰だか思い出せなかったというのが正直なところです。これでは前作をプレイしていない新規プレイヤーにとっては、もっと訳が分からないのではないかと心配になってしまいました。

 人間にとって6年という時間は、決して短くありません。時系列的に繋がりのあるストーリーを、6年もの時間を空けて何事もなく展開するというのは、正直「そんな強気なことをしても良いんだ?」という戸惑いを覚えました。というのも、私は小説書きなので、もしシリーズ物の小説の最新巻を出すまでに、6年もの間が空いてしまったらどうなるんだろう? と考えずにはいられないのです。実際、プルアやインパが登場した時は、「この人、誰だっけ?」となってしまいました。おそらく小説でも、次巻までに長く時間を空けてしまうと、きっと多くの読者が同じ戸惑いを覚えてしまうに違いありません。それは読者に対して、少し申し訳ないような気がしてしまいます。特にこのゲームを新規で始めた人にとっては、物語の導入部はかなり不親切なのではないかな? と、老婆心ながら心配してしまいました。

 あとマスターソード。ゲーム的には物語を一切進めなくとも、地上絵さえまわればマスターソードを先に入手することが出来るようですが、私は小説書きなので、やはり物語の繋がりが気になってしまいました。『ティアーズオブザキングダム』は自由度が高いだけに、先にマスターソードを取りに行くことも出来るし、マスターソードを取らずにラスボスを倒しに行くことも出来るようになっています。この順番で進めなければならない、という制限は一切ありません。が、それでも私は敢えて言いたい。このゲームの物語を最大限楽しむ為には、マスターソードは必ず取りに行った方が良い、と。そして取る順番ですが、無理して早く取りに行こうとしないで、物語の流れのまま取りに行った方が良いでしょう。そうしなければ物語性が損なわれてしまう……というか、物語の繋がりがおかしなことになってしまうのです。もちろん、どんな攻略方法や順番であろうと、このゲームは自由なのですけどね。

第五章 ゲームの面白さとは何か?

1.自由さを面白さに繋げる

 TRPGとコンピュータゲームの違いでよく言われることですが、TRPGはプレイヤーの想像力のままに、どんな行動をとることも出来ますが、コンピュータゲームは決められた枠の中でしか行動することが出来ません。昔はコンピュータゲームの性能が低かった為、ゲーム内でのプレイヤーの行動や選択に制限を課す必要があり、それらの制限がプレイヤーの自由を奪ってきました。『ロマンシングサガ』や『ルナティックドーン』といったタイトルは、そんな制限がある中でも、出来るだけプレイヤーに自由を提供しようとして生まれた作品だと思います。

 しかし近年、コンピュータゲームの性能が向上してくると、むしろゲーム側のメタ的な理由によって、プレイヤーに制限を課すケースが目立つようになってきました。つまりコンピュータゲームの性能が向上したことで、「この段差は登れません」とか、「この家はただのオブジェで中に入れません」といった、今まで当たり前に課せられてきたプレイヤーへの制限が、逆に不自然に感じられるようになってきたのです。

 そこに1つの答えを出したのが、オープンワールドでした。ウィキペディアによると、『グランドセフトオートⅢ』から広くオープンワールドが知られるようになったようですが、この作品は自由に何でも出来ることを売りにしたゲームで、それが故に犯罪的な行為も可能な為、世間に物議を醸した問題作でもありました。用意された広大な世界の中で、プレイヤーは思い付く限りのことを、何でも実行することが出来る。それは画期的なものでしたが、そんな「自由」を売りにしていたはずのオープンワールドは、いつしかその醍醐味を失い、ただ広いだけの世界の中で遊ぶという、むしろ何をすれば良いのか分からないものになってしまいました。結局プレイヤーが自由を感じるような創りでなければ、オープンワールドの意味がありません。

 そんな中『ティアーズオブザキングダム』は、これでもか! というくらいにオープンワールドの醍醐味を味わわせてくれました。用意された広大な世界の中で、プレイヤーは思い付く限り、自由な遊びを楽しむことが出来る。まさにこのゲームは、「ゲームの面白さとは何か?」という私の疑問に対して、明確な答えを示してくれたと思います。すなわち、

・どこに行っても何かが起こる、仕掛け盛り盛りの世界
・その広大な世界を、様々な移動手段で自由に移動可能
・創作意欲そそられる工作要素で、何でも自由に創れる
・自分の行動が世界を変える、アイテムだけでない報酬
・キャラクターの強化に作業性を要求しない、祠の攻略
・素材を集めたり、強敵との戦闘に興じることも出来る

 おそらくこのゲームは、ライトユーザーが楽しめることを軸にしながらも、コアゲーマーもしっかりと楽しむことが出来るような創りを意識していて、これによってプレイヤーが遊び方を自由に選べるようになっているのではないかと思います。ライト層からコア層まで、どんなプレイヤーでも面白いと思える、自由な遊び方を提供することに成功した『ティアーズオブザキングダム』は、まさに売れるべくして売れたゲームと言っても過言ではないでしょう。

 実際「あなたは自由です。さぁ、この世界で好きなように遊んで下さい」と言われても、何をすれば良いのか分からないという人が大半でしょう。人が能動的に「これをしたい」と思う為には、現実には有り得ない仕掛け盛り盛りの世界をまず用意する必要があります。その中で、工作に面白味を見出した人はそれに精を出し、戦いが好きな人は戦闘に明け暮れることが出来る。この記事では「ゲームの面白さとは何か?」をテーマに、『ティアーズオブザキングダム』が何故ここまで売れたのか? その理由を探ってきましたが、つまりゲームの面白さとは、人によって違うと結論づけることが出来ると思います。すなわち『ティアーズオブザキングダム』は、それぞれのプレイヤーが思い思いに遊ぶことが出来る自由な世界を用意することで、コアゲーマーだけでなく、幅広い層に「面白い」と感じさせることが出来た。自由さを面白さに繋げることに成功した。だから売れたのだと思います。

2.「ハムる」という要素は面白さに繋がるか?

 ところで「ハムる」という言葉をご存知でしょうか? 主にオンラインゲームやソーシャルゲームで使われている言葉ですが、そういったゲームではよく、プレイヤーに同じコンテンツを何度もやらせることで、これを報酬に結び付けるような仕組みが多く見られます。すなわち、大きな報酬を得る為には、同じダンジョンの探索や同じ強敵の討伐を繰り返し、周回することでフラグを立てたり、素材を集めたりする必要がある。これらの行為を、ハムスターが滑車をひたすら回し続ける様子に例えて、いつしか「ハムる」と呼ばれるようになりました。

 オンラインゲームやソーシャルゲームが台頭してくると、このハムる要素は、ゲームの定番的な1つの形になってきました。かくいう私も、かつてとあるMMOを遊んでいた頃、「終身刑」とまで言われた作成困難な武器を完成させる為に20人規模のメンバーを束ね、何度も何度も同じダンジョンを攻略したり、強力な敵を延々と狩り続けたりしていました。そのぶん目的の武器が完成したときの喜びはひとしおでしたが、このハムる作業をプレイヤーに強いる要素は、果たしてゲームとして本当に面白いのかというと、それは正直微妙と言わざるをえないでしょう。なぜなら同じダンジョンや強敵を何百回・何千回も攻略しなければならず、目的の武器が完成する頃にはもうそのダンジョンや強敵を目にするのさえ嫌になっていて、それでも武器を完成させる為だけに、飽き切ったダンジョンを我慢して周回し続けなければならないからです。

 想像してみて下さい。20人規模の人数を集めないと攻略不能なダンジョンや強敵が居て、1つ完成させるだけでも大変なその武器を、20人分作るなんて、それはもうゲームというよりも仲間の為に延々と繰り返す義務的な仕事のようなもの。「終身刑」と呼ばれた所以ゆえんでもあります。実際そのMMOでは「このゲームは遊びじゃない!」という迷言まで飛び出したくらい、そういった強い制約をプレイヤーに強いる傾向にありました。そんなゲームを、面白いと思う訳が無いではありませんか。MMOは人とのコミュニケーションが生まれるゲームだけに、仲間とワイワイ遊ぶのは楽しいのですが、「ゲームの面白さとは何か?」と考えた時、作業的なハムる要素は、開発側の都合による時間稼ぎに過ぎません。あるいはプレイヤーに苦労を強いることで、「せっかく完成させた武器を手放したくない」という執着心を抱かせ、そのMMOから離れ難くする中毒性を植え付ける要素とも言えるでしょう。それはゲーム本来の面白さとは、全く違うベクトルのものだと思います。

 最初に述べた通り、ゲームとは本来、面白いもの。時に困難な強敵を前に敗北を喫したり、一筋縄ではいかない壁にぶち当たり、真剣に攻略方法を考えなければならない場面に直面しますが、それはゲームをクリアする為に必要な過程であって、試行錯誤と創意工夫を重ねて乗り越えることで達成感を得るゲームの面白さの一部だと思います。しかし、既に試行錯誤と創意工夫を終えた攻略を、ただ延々と作業的に繰り返すだけのハムる要素は、ゲーム本来の面白さとは完全に異質なものと言わざるをえません。オンラインゲームやソーシャルゲームでは、プレイヤーを繋ぎ止める「時間稼ぎ」にそういったハムる要素が取り入れられているようですが、本来ゲームにそのような遊び方は必要ないと私は考えています。

 一応『ティアーズオブザキングダム』にも、防具を強化する為に素材を集める、いわゆるハムる要素はありました。しかしそれは、先に述べたオンラインゲームやソーシャルゲームなどで見られるそれとは、比べるべくもない簡単なもの。これはあくまでゲームです。まるで仕事のような作業的な要素は、ゲーム本来の面白さではありません。もっと言うなら、ガチャを回して当たりを引くようなアレも、ゲーム本来の面白さでは無いと私は思っています。プレイヤーに苦痛を感じさせない、苦行にならない程度の難易度と報酬のサジ加減が、ゲームの面白さに直結する重要な要素ではないでしょうか?

第六章 この作品から学んだこと

1.自社IPを大切に育て続けた任天堂

 最初に述べたように、私にとって『ゼルダの伝説』は、子供の頃から馴染みの深いシリーズです。1作目の『ゼルダの伝説』は、私が小学生の頃に発売され、2作目の『リンクの冒険』にもハマりました。しかし当時、ファミコンの拡張器であるディスクシステムのローンチとして発売された『ゼルダの伝説』は、どちらかと言うと少しマイナーなゲームで、その頃は『ドラゴンクエスト』の方がメジャーなゲームだったと記憶しています。少し間が空いて5年後、3作目になる『ゼルダの伝説 神々のトライフォース』がスーパーファミコンで発売されると、2作目の『リンクの冒険』より知名度が上がりましたが、ちょうど同じ頃『ファイナルファンタジーⅣ』が発売されて、私はそっちにハマっていました。この2タイトル、販売本数はほぼ同じですが、その当時は『ゼルダの伝説』よりも、『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』の方がメジャーだったと思います。その後も『ゼルダの伝説』はハードを変えながら発売され続けましたが、ソニー(PS)、セガ(サターン等)、マイクロソフト(XBOX)の時代に入ると、前述の『ファイナルファンタジー』や『ドラゴンクエスト』といったタイトルと比べて『ゼルダの伝説』は影が薄く、『時のオカリナ』など評価の高い作品を出しながらも、「大作」というより「良作」の粋にとどまっていました。

 そんな『ゼルダの伝説』が、まさか『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』を超える世界的人気シリーズにまで成長するなんて、当時誰が予想したでしょうか。かつてRPGの人気を二分するとまで言われた『ドラゴンクエスト』と『ファイナルファンタジー』の人気は逆に衰えを見せ始め、今や『ゼルダの伝説』が世界で最も売れている人気シリーズに躍り出ました。それ以外にも各メーカーが、競って大作RPGシリーズを発表していましたが、やがてその殆どが新作を作らなくなってしまいました。

 新作を出し続ける。それは自社IPを大切に育て続けることに他なりません。特に『ゼルダの伝説』は、新作を出す度に大きくシステムを変えながらも、シリーズ通して追究するものは変わらないという、普遍性があったように感じられます。というのも、『ブレスオブザワイルド』や『ティアーズオブザキングダム』の雛形は、先ほど述べた『時のオカリナ』で既に形作られていたからです。『時のオカリナ』の宣伝文句は、「ゲームでしか味わえない感動がある」ですが、まさに『ゼルダの伝説』シリーズは、昔からそれをずっと追究していたのではないかと思います。ゲームでしか味わえない感動を追究し、昇華させた結果、『ティアーズオブザキングダム』は遂に他シリーズを抑え、世界で最も売れたゲームにまで成長した。今はまだ無名ながらも、小説書きとして地道に作品を書き続けている私は、そこから感じるものがありました。

 私は小説の物語を考える際、常に「普遍性」のある物語を追究しています。私が考える物語の「普遍性」とは、流行に左右されない、何十年経っても古臭さを感じさせない物語。人種や国籍、文化や性別に関係なく、誰もが共感できる、面白いと思える物語。そんな普遍性をずっと追究してきた私にとって、『ゼルダの伝説 ティアーズオブザキングダム』はとても良い刺激になりました。インプットとして、これ以上のものはないでしょう。

 私も負ける訳にはいきません。

 素晴らしい作品は創作意欲を刺激してくれます。今や世界的な人気シリーズにまで成長した『ゼルダの伝説』と比べると、私の小説などまだまだ小さな泡沫作品に過ぎませんが、いつか日の目を見る時を思い描いて、これからもずっと物語の面白さを追究していきたい。そんな決意をあらたにした、2023年の夏でした。


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