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女優の過ごした邸宅と紅葉の理由

こんにちは!
皆さんは日本人初の女優 川上貞奴かわかみさだやっこを知っていますか?

明治時代まで女性の舞台役者は存在しませんでしたが
アメリカで初めて舞台に立ち日本初の女優として
ピカソやドビュッシーなど世界中を虜にし
フランス政府から勲章を授かった貞奴

彼女の暮らした2つの邸宅が残されています!

どちらも貞奴のこだわりが詰まった
美しい邸宅なのですが
それだけで終わらないストーリーが詰まっていました。

今回はそんなお話です!






女優の過ごした2つの邸宅


二葉館


名古屋城から歩いて・・・歩くと遠いかな?
いや、歩ける距離!
にある旧川上貞奴邸「二葉館」

元は名古屋市東区二葉町に
大正9年(1920)ごろに建てられました。

平成12年(2000)に名古屋市へ寄付され
現在の場所に移築復元され公開されています。

ちょっとした談話室かな?

こちらは大正6年(1917)に女優を引退し
福沢桃介と事業パートナーとして共に暮らした邸宅でした。

福沢桃介
福沢諭吉の娘婿。
木曽川に水力発電所を開発したり関西電力(株)の前進となる大同電力株式会社を設立するなど電力王と呼ばれた。

当時は約8.500㎡の敷地に建ち庭には噴水があり
起業家やジャーナリストなど2人の交友関係者が集う
華やかな社交場として
二葉町の名前から「二葉御殿」と呼ばれました。


貞奴が優雅に降りきたであろう階段は大正浪漫の雰囲気がよく出ています!

貞奴を描いたポスター。
和服姿が多く残されていますが洋装もよく似合う方だったそうです!

設計は「あめりか屋」というアメリカの組み立て住宅を輸入し日本に合うように設計加工していた日本初の会社。

そして邸宅を彩る数々のステンドグラスは
杉浦非水(後の多摩美術大学初代校長)がデザインを手がけました!


後ほどキーワードになる「紅葉」
覚えておいてください!

食堂を飾るこちらは南アルプスだそうです!
雄大さはそのままに美しく描かれてます。

和館も繋がっていて寝室などプライベートエリアとなっていたようです。

昭和12年(1937)東京に拠点を移すことになり
建物は売却され、洋館部分は一度取り壊されましたが
現在の場所に移築されるにあたり
当時の写真や証言などから復元されました。


萬松園


二葉館とは違って伝統的な日本家屋のこちらは
昭和8年(1933)に岐阜県各務原市に建てられた
萬松園ばんしょうえんと呼ばれる建物。

こちらは貞奴が自費で建立したお寺「貞照寺」に参拝するために建てた別荘です!
さすが世界に名を轟かせた女優。
やることのスケールが違う。


こちらは現在も敷地面積1,000坪、建坪150坪の広大な土地に
1階2階合わせて26部屋もあり
その全てが残されています!

全てが1点物

全ての部屋に異なるコンセプトがあり
そのコンセプトに沿った天井、襖、照明、窓・・・と
とにかく貞奴のこだわりが詰まりに詰まった建物になっています!

こちら中国の「荘子の胡蝶の夢」をテーマにした襖には
絵に合わせた引手がデザインされてます!

花をいける部屋にはこんな引手。

それぞれの部屋にそれぞれのストーリー。

仏間の天井には天女が描かれていたり

女優らしく舞楽の図が描かれていたり・・・

庭の景色を切りとっているような窓。

こちらもキーワードの紅葉。

廊下の所々にあるこの一見ただの飾りみたいなものは
実はパカっと開けると
近くの部屋の電気スイッチを集約したスイッチボックスなんです!
最新!

福沢桃介が電力事業をしていたので
こういう電力を使うモデルハウスみたいな役割もあったみたいです。

ガラスが美しいサンルーム。

名古屋の二葉館が社交場だったのに対して
こちらは主にプライベートな使い方だったそうです!


〜ここまでがよく本やパンフレットにある情報〜


さて、もう何かお気づきですよね?

福沢桃介は福沢諭吉の娘婿。
事業パートナーと言えど一緒に暮らすか?
ある本には「夫婦のような生活」て書いてあったぞ???

これは何かある。
深く突っ込まない方がいいのか?
いや、ここで終わりたくはない。

錬金術師は生きている限り、真理を追い求めずにはいられない生き物だ

「鋼の錬金術師」より

私の人生の教科書である「鋼の錬金術師」にもそう書いてある!
これは深掘りしなければっ!


それでは、謎を紐解いていきましょう!

「川上貞奴」の生涯

全てを説明すると長くなるのでザックリいきます。

川上貞奴は本名を「小山貞」と言いました。

明治4年(1871)に東京の日本橋の両替商を営む家の12番目の子として生まれます。
しかし、家業が苦しくなると両親は貞を芸妓置屋に養女に出しました。

ここで「貞奴」と襲名。
美しさと日舞の芸に秀でた才色兼備の芸妓として育ち
時の総理大臣「伊藤博文」や「西園寺公望」などから贔屓にされるなど
当時の日本一の芸妓となります。

23歳の時に俳優であった「川上音二郎」と結婚し名前が「川上貞奴」になります。

紆余曲折あって
川上音二郎のアメリカ巡業に貞奴も同行。
しかし、女形の俳優が亡くなってしまったため
急遽、貞奴が舞台に立つことになり
そこから人気に火が付きます。

その後パリ万博で公演し
名だたる芸術家を魅了し
フランス政府からオフィシエ・ダ・アカデミー勲章を授与されます。

国内に戻り
音二郎は大阪に帝国座という劇場をつくり
貞奴は音二郎と共に帝国女優養成所を創立し
順風満帆な日々かと思いきや

明治44年(1911)音二郎は急性腹膜炎で亡くなります。
その後、貞奴は遺志を受け継ぎ活動を続けるのですが
大正6年(1917)女優を引退します。

その後、名古屋で絹を生産販売する会社を立ち上げ
ここで木曽川の電力関係で名古屋にいた
福沢桃介と同居を始めます。

実はこの2人、貞奴が結婚する前に出会っていて
貞奴が野犬に襲われているのを助けたのが福沢桃介だったそうです。

この時にお互いに恋に落ちるのですが
貞奴は人気の芸妓。
桃介は学生。
身分の差から叶わぬ恋だったそうです。

結局、桃介は福沢諭吉の娘と離婚することはなく
貞奴と暮らし
昭和12(1937)にそれぞれ東京へ拠点を移し
桃介は渋谷にあった本邸で70歳で亡くなり
貞奴は熱海の別荘で昭和21年(1946)に75歳で亡くなりました。

今も岐阜県各務原市に自身で建立した「貞照寺」に眠っています。




大切な思い出


さて、ここでキーワードの「紅葉」です。

萬松園の見学に行った時ガイドさんに
「貞奴は自分は紅葉の化身だと言っていた」と聞いて
あ〜だから紅葉のモチーフがどちらの邸宅にもあるんだ!と
その時は納得していたのですが
「紅葉の化身てつまりどういう女性てことだろう?」と何となく思いまして
紅葉の意味を調べていたところ

紅葉には「大切な思い出」という意味がある

それを知った瞬間
この建物は違う見え方をしてくるのを感じたのです。

初恋の結ばれなかった相手と暮らすことになり
その家を
「こうしたいな、ああしたいな」と
とても楽しそうに考える貞奴が思い浮かびます。
その姿はただの一人の可愛いらしい女性で
そんなふうに考えて形になった邸宅のデザインは
どれも愛おしく見えてきます。

でも相手は結婚している身。
この生活に終わりがあることも解っていたから
どちらの邸宅にも「紅葉」のモチーフを取り入れたのだろうと思う。
この邸宅が大切な思い出そのものであると。

もちろんこの生活に賛否両論あるだろうし
貞奴は幸せだったかどうかは
本人のみぞ知ることだと思う。




Information


ザッと紹介してきましたが
まだまだ伝えきれない魅力がたくさんあります!
ぜひ実際に見て貞奴の思いに触れてみてください^_^

萬松園は予約が必要です!


ここまで読んでいただきありがとうございました😊
また次の記事も読んでもらえると嬉しいです!
それでは〜

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