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2023年はライトイヤーだった

「トイ・ストーリー」のバズ・ライトイヤーの話じゃないですよ!
近代建築の巨匠と言われるアメリカ人「フランク・ロイド・ライト」の話です。

実は2023年9月1日はフランク・ロイド・ライトが設計した
帝国ホテル ライト館が開業してちょうど100周年の日でした👏
なので雑誌CasaBRUTUSでは特集が組まれ、豊田市美術館や建物が移築されている明治村などでは展示が開催されるなどライトの年
つまり「Wright Year」なのです!

「このホテルを日本人が理解するには半世紀必要だ」と生前ライトは言っていましたが半世紀どころかまるっと1世紀経った今
それぞれ理解のしかたは十人十色だけど
私なりに思ったことをまとめて
今現在「帝国ホテルって何?」「フランク・ロイド・ライトって誰?」と言う方に少しでも知ってもらえたらなと思います!


帝国ホテル ライト館とは?

移築のために外観の再現に6年、内装の再現に6年かかったらしい

皆様ご存知の「帝国ホテル」は1890(明治23年)に新紙幣の顔「渋沢栄一」を中心として設立されました。
当時の建物は歴史の教科書でお馴染みの「鹿鳴館」の隣にありゴリゴリの西洋建築でしたがライト館の建設中に火事で消失。
なのでこのライト館は2代目の建物なのです。

入り口の天井は低く、この先のホールへの期待感が湧きます

当時、帝国ホテルの支配人だった林愛作から話は始まります。
林愛作は元々アメリカでアジア系高級古美術商をしている「山中商会」の従業員でした。様々なVIPを相手に世界中の一流ホテルを利用してきた経験と感性を見込まれ赤字続きだった帝国ホテルの支配人に抜擢。
「自分の好きなようにさせてくれるなら」と言う条件で引き受け見事に赤字から脱却させます。

そして客室が足りなくなったために出てきた新館を建てる話。
日本を代表するホテルになるのだから
世界の国々と並ぶためにもっと西洋的な建物にしたい日本側と
日本の文化を感じるために訪れる外国人との
双方を繋ぐ建物を設計できる人物はあの人しかいない!となったのが
林愛作が古美術商で働いていた時の顧客だった
フランク・ロイド・ライトでした。

ダイニングルームは残ってないけどテーブルは再現されています

ライトは完璧主義者だったために
何度も図面の変更、やり直しなどで大幅に工期は遅れ予算も膨れ上がり
完成する前に解雇されてしまいます。
その後は弟子の遠藤新が引き継ぎ完成するのですが
開業当日、マグニチュード7.9の関東大震災が発生!!
ですがなんとホテルは倒壊せず無事でした。
このニュースは世界に報じられ
なんやかんや色々あってドン底だったライトの評価が爆上がりするのでした。

あんどんがモチーフの光の柱は5度やり直したそうです

日本人からは西洋風に感じ
外国人からは日本風に感じるというこの建物は
「東洋の宝石」と称えられ帝国ホテルに泊まるというプランのツアーまで組まれるほど人気に!

ですが1967年、老朽化やいろいろあって取り壊しが決定。
当時のアメリカ大統領も巻き込んでの取り壊し反対運動もありながら
最終的に玄関部分だけ明治村に移築され現在に至ります。

移築されたからこそ見られる景色

日本と言う国を象徴する建物

私が思うにこの建物はおそらくフランク・ロイド・ライトという建築家を通して表現された「日本」なのではないかと。
なぜならデザインモチーフ、素材、空間
そのどれもが日本を象徴しているように思うのです。

デザインモチーフ

元々ライトは浮世絵大好きな親日家で
日本に興味を持ったきっかけと言われているのが1893年にアメリカ・シカゴで開催されたシカゴ万博で日本のパビリオンであった「鳳凰殿」という建物でした。
この鳳凰殿は平等院鳳凰堂(10円硬貨の裏側に描かれてるやつ)がモチーフで3つの棟を左右対称に渡り廊下で繋ぐ構成になっています。
さあみんな10円硬貨の裏側をチェック!

帝国ホテル ライト館はまさにそのシカゴ万博の鳳凰殿がモチーフになっていて
中央に玄関、ダイニング、劇場などを置き、その両側に客室棟が左右対称に繋がっています。

つまり世界に誇る日本建築がモチーフなのです!!

在し日の写真が無いのでこれでご理解ください。

素材

主に使われているのがスクラッチタイルと大谷石。どちらも日本製。

スクラッチタイルは表面に削った模様をつけた煉瓦で愛知県常滑市で作られたもの。この帝国ホテルで使われて以来日本中で大流行しました。

大谷石は栃木県で採れる石で、土留(崖や盛土の崩壊を防ぐために止めること)などで使われる穴がポコポコと空いている石で当時は安くてマイナーな素材だったようです。

大谷石とスクラッチタイル

おそらく当時の日本人にとっては削った模様の煉瓦とか穴だらけの石に何も感じなかったと思うけど
今なら煉瓦と大谷石には「趣」があってとても日本らしいのでは?と思えます。

空間

帝国ホテル ライト館を実際に見るとほとんど壁やドアが無いのに部屋が仕切られています。
古くから日本の家は障子や襖で空間を区切り
広く使いたい時は取っ払って一つの大きな部屋として使うという和室の空間の使い方があり
その和室の使い方を参考にしたからなのです!

壁やドアが無いので太陽の光がどこにでも届き
スクラッチタイルや大谷石が独特の影を生み唯一無二の空間が出来上がる。
そこに外国人は日本を感じたのでしょう。

日本が誇る文化

日本人にとっては当たり前すぎて何とも思わないことが海外から見ると素晴らしい文化なのだとこの建物は表していたんだと私は解釈しています。
だから日本が世界に誇るホテルなのだと。

しかしライト館が開業してからも日本は西洋化を推し進め
東京オリンピックの時には
「こんな薄暗いホテルが日本を代表するホテルだなんて」と批判も多くでたそうです。
「このホテルを日本人が理解するには半世紀必要だ」と言ったライトの言葉通りでした。

フランク・ロイド・ライトという人物

なかなかにスキャンダラスな人物だったのですが
今年開催されたライト展を通してとんでもなく未来を描いていた人なんだなと新たな発見がありました。

ライトの有名な建築哲学で「有機的建築」と言うのがあり

建築は自然界に存在する生物のごとく周囲に溶け込み、環境と人間の共存を促すものであるべきだ。

Casa BRUTUS No.283より 

その思想からプレーリースタイルと呼ばれる高さを低くし横に長く地を這うような特徴の建物こそライト作品だと思っていたのに
今回ライト展で初めて1マイル(約1.6キロ)の高さのビルを計画していたことを知り
「どうした!?何があった!!?」と驚きました。

どうやら高層ビルの中で人類は生活し、その周りの土地で農作物を栽培して生産者と消費者が直接繋がれるという未来の都市構想を考えていたと言う。
確かに自然と人類との共存。
その都市のスケッチを見ると今でも近未来的だと思えるもので
およそ100年近く前にこれを考えていたのかと驚きを通り越してもう天才ってよくわからんかったです。

人口が増えることによる農地不足。からの昆虫食へと進む現代を考えるとこの都市計画が実現されていたらまた違った現代だったのかも・・・

以上をもちまして

今年フランク・ロイド・ライトに関する展示や特集記事、小説、ライト作品を見る機会がたくさんあって
今まで何となく知っていたことの点と点が繋がったりして結構大きな収穫があった年でした。

ここに書ききれないこともたくさんあるけど
(ライトのスキャンダルとか帝国ホテル建設の紆余曲折話とか日本と親和性の高い思想とか・・・)
多分、感じ方とか考え方は人それぞれなので
実際にライト作品を見学してみて自分なりの捉え方をしたほうが楽しいと思います!
まずはライト作品の見学することから始めましょう!



ここまで読んでいただきありがとうございました!
また次の記事も読んでもらえると嬉しいです!それでは🙌



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