日本が日本であった時の、音。
今日(3月12日)はギリシャのオリンピアで
東京オリンピックの聖火採火式がありました。
世の中はいろいろとありますが
清い炎で
何もかもがスッキリとするといいな。
日本には素晴らしい文化があります。
今日は音楽の分野でどんな人がいたか、見ていきましょう。
日本人の作曲家のみなさんで、世界に日本の「音」を伝えた人たちです。
まずは、秋吉敏子さん。
有名な作曲家ですから、ですからご存知の方も多いでしょう。
26歳でアメリカに単身で渡米しました。
もう90歳になります。
📌孤軍 - Kogun(1974年)は秋吉敏子さんの代表作です。
アメリカで孤軍奮闘する様子が「音」でよく表されています。
この貴志康一さんは17歳でベルリンに留学して
わずか28歳で亡くなったヴァイオリストです。
📌28歳の短い人生の「音」をお聴きください。
もっと知ってもらいたい日本人です。
富田勲さんはシンセサイザーの作曲家です。
このNHKの番組「新日本紀行」は現在でもよく再放送されますね。
📌「音」を聞いただけで、日本の原風景がすぐに浮かび上がる……
それは日本人だからです。
考えてみればとても貴重なことなのです。
武満徹さんは前衛的な音楽で有名ですが
次の「波の盆」は音を聴いただけで
📌「日本人で良かった」と思える楽曲です。
ぜひ、お聴きください。(途中からです)
喜多郎さんは現在67歳。
『NHK特集 シルクロード』は毎回欠かさず見ていました。
最近、ときどき再放送されますね。
📌人類が、シルクロードを夢見ていたころ……
一番、幸せな時期だったのかもしれません。
最後に、さだまさしさん作曲の『防人の歌」を歌う
ナターシャ・グジーさん
をご紹介します。
ウクライナ出身で日本で活動している歌手で、ウクライナの民族楽器「バンドゥーラ」奏者です。
彼女はチェルノブイリ原子力発電所から3.5kmnoプリピャチで、1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所爆発事故によって被曝しました。
📌どうですか、この澄んだ声。
人類はこんなにも清らかに表現できるのです。
日本人は世界に「美」を発信してきました。
だから、日本人は
蓮の葉の露のように輝く
人類の美を
持っているのです。
失いたくないものです。
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お読みいただきありがとうございました。
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