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読書感想文のまとめ

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#海外

ヘルマン・ヘッセの短編集『メルヒェン』より『詩人』を読む。

私の祖父母が生まれたのは九州山脈の奥、川に沿って、国道がS字を描きながら奥に伸びていました。 村のバス停からまた細い道を右に左に折り重ねながら登り、ようやく小さな集落にたどり着きます。 谷の向こうの山はまるで屏風のようです。 夜になると、谷向こうの山の中腹に家々の明かりが灯ります。 明かりは人が住んでいる証拠です。 あたりは真っ暗ですが、明かりが五つ、六つ見えます。 目を上に向けると、同じような光が見えます。 谷向こうの家があんな高いところまであるのかと思いましたが、

ジョルジュ・サンド(著)『愛の妖精』を読む。

ジョルジュ・サンドの名前は聞いたことがありました。しかし、一冊も読んだことがありませんでした。そもそも、この名前は、男性?女性? ジョルジュとはフランス語でジョージのことなので、この名前は男性の名前です。じゃあ、この人は男性かというと違うのです。女性です。本名はアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパンです。ややこしいのですが、つまり女性が男性の名前で小説を書いているのです。 どうして? フランスの十九世紀は革命の時代でした。革命の時代とはカール・マルクスなどがまだ生

トーマス・マン(著)『トニオ・クレエゲル』を読む。

『トニオ・クレエゲル』という書名は人物の名前です。トニオはその音の並びが少し日本語の名前のようでもあります。有名な作家はこのトニオという名前を自分の名前にしています。北杜夫です。トニオ→杜夫です。北杜夫はこの小説の作者トーマス・マンの大ファンで、有名な小説『楡家の人びと』はトーマス・マンの作品からヒントを得て書いています。 この小説の中でもトニオという名前が奇妙な名前であるので、友達からいじめられる場面が出てきます。トニオは詩を作ったりする、寂しがり屋で一人ぼっちの少年でし

ドストエフスキー(著)『罪と罰』を読む。

『罪と罰』の感想を書くことはとても難しいです。何が難しいのでしょう。それはこの小説をどのように読むかによって大きく変わってくるからです。 刑事コロンボのような探偵物としてどのように犯人を追い詰めるかを考えながら読むこともできます。その一点だけでもとても興味深いものです。いや、それは主たるテーマではありません。主人公であるラスコーリニコフは無慈悲にもふたりも殺してしまったのです。その理由を考えながら読むこともできます。彼が大学で書いた論文に焦点を当てる読み方です。いやいや、そ

シュタイナー(著)『自由の哲学』を読む。

シュタイナーの本は何冊か読んだことがあるが、どれも難しくて理解するのに時間がかかった。これらの著作の原点と位置づけされているのがこの『自由の哲学』。著者が32歳の時。1894年の初版だが、この文庫本は1919年の新版に従っている。 著者は人間の自由とはどのようなことなのかを述べたいのだが、前半は哲学の基礎について書いている。 簡単に書き直してみよう。 私たちが目の前のコップを見たとき、そのコップが大きいか小さいかは個人の判断(直感)で決まる。同じコップでも大きいと言う人も

サルトル(著)『聖ジュネ』を読む。

とうとうサルトルの『聖ジュネ』の読後感想を書くことになった。ネットで探してもこの本の感想は極めて少なく、私の文章が公開されて読まれることを想像すると少し緊張している。 上下巻二冊を重ねて測ってみると五センチ。ページをめくると内容は哲学書で、ほとんどすべてのページが文字で埋まっている。よく読み終えたものだと思う。 正直読み飛ばした箇所も多い。妻が私の読んでいる姿を見て「どうしてそんなに速く読んでるの」と尋ねたほどだ。「難しいからだよ」と私は答えた。 「読んだが理解してるの

宇野邦一(著)『ジュネの奇蹟』を読む。

日本のフランス文学者によるジャン・ジュネに関する評論。著者が日本人だからこそ私たちが知ることができるジュネと日本との関わりがとても興味深い。 ジュネが日本を訪れたのは1967年。ビートルズが日本に来た翌年のことだ。ジュネはその時初めて日本語を聞いたのだろう。聞いた日本語は「さようなら」だった。 ジュネはこの「さようなら」に忘れがたい印象を受けた。次のように書いている。 日本語の発音は必ず子音と母音の組み合わせでできている。単独の子音は「ン」しかない。語尾も母音で終わる。

カロッサ(著)『ルーマニア日記』を読む。

日ごろ通っている古書店で岩波文庫の棚から選んだ数冊の中の一冊。この本をなぜ選んだのか。ただ目に入った程度なのだが、いつも不思議に思うのは、私が手に取る本はすべて名著なのだ。冷静に考えれば岩波文庫に入るくらいだから名著に決まっている。それを「私が手にする本はすべて名著だ」と自慢するのは、仏教の増上慢の典型だなと苦笑いしている。 いずれにしても著者のカロッサも、『ルーマニア日記』という書名もまったく知らずに購入したのだった。 カロッサはドイツの医者で詩人。時代は1916年の1

田部重治(選訳)『ワーズワース詩集』を読む。

国木田独歩に関する評論集を読んでいると、しきりにワーズワースの名前が出てきます。ワーズワースはWordsworthと綴ります。十九世紀初頭に作品を発表したイギリスの詩人です。 不思議なことに、日本では最近自然について語る機会が少なくなっています。日本は自然がこんなに身近にあり、四季の変化を感じることができる最高の環境にあるのに、とてももったいないことです。 新自由主義のような無味乾燥な社会の仕組みを打破することができるのは、この自然の力です。ワーズワースやアメリカ人のソロ

ヘルマン・ヘッセ研究会(編・訳)『ヘッセからの手紙・混沌を生き抜くために』を読む。

世の東西を問わず、書簡集はいろいろありますが、この『ヘッセからの手紙・混沌を生き抜くために』はとても重い充実した書簡集です。 例えば太宰治にも書簡集がありますが、金の無心など生活感たっぷりの内容です。それに比べてこの書簡集は第一次世界大戦の前から第二次世界大戦の後まで、ドイツ人(スイス在住)であるヘルマン・ヘッセが書いているものなので、文学と戦争との関係が、人々の苦しみがひしひしと伝わってくるものになっています。 ヘルマン・ヘッセが考えたドイツ気質とはどんなものだったので

ヘルマン・ヘッセ(著)『デミアン』を読む。

ヘルマン・ヘッセの小説は日本では『車輪の下』が有名ですが、これは日本だけの現象だそうで、世界ではこの『デミアン』を読む人がたくさんいるのです。第一次世界大戦後の若者たちに長く読み継がれている小説です。 ヘルマン・ヘッセは学生時代に自殺を企てるほど悩みます。何に対して悩んだのかは『車輪の下』に詳しく書かれていますが、私自身、学生時代(中学、高校時代)にそんなに深く考えたことがなかったので、ヘッセの悩みそのものさえ、はっきりとつかめないままです。 ただ、この『デミアン』の最初

ヘルマン・ヘッセ(著)『車輪の下』を読む。

ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』はもうずいぶん長い間、積読の状態になっていた。 『車輪の下』というタイトルから受ける印象はどこか牧歌的だなあと、私は勝手に解釈していた。このような感じを受けているのは私だけなのかもしれないと思うと、恥ずかしいが、皆さんはどうなのだろう。なぜそう思ってしまうのか。それはこのタイトルの『車輪の下』を幌馬車の下の暗がりと勝手に思い込んでいたからだ。 この本は、そんなほのぼのとした小説ではない。いや、前半は主人公の少年は、野で遊び、川で魚を釣ったりし

ゴーリキー(著)『母』を読む。

この本は市立図書館の無料お持ち帰りのボックスの中にあった。ぱっぱと五、六冊ほど取り出した中の、上下二冊。よく見ると表紙に「岩波版ほるぷ図書館文庫」と表記してある。つまりほるぷ出版が図書館向けに売り出した岩波文庫であろう。有難いことに文庫本なのに赤いハードカバー。1978年の発行だから42年も前の本だがしっかりしている。この時代には本の命についてきちんと考えていた人がいたのだなあと思う。 考えてみれば本の命は長い。私は主に古書を読んでいるので、文字がかすれたりしている本もある

オスカー・ワイルド(著)『獄中記』を読む。

世の中には年間に千冊読むのだと豪語する人もいるし、一冊を読み返しながらゆっくりと読む人もいる。もう一度読もうと思う本もあるし、二度と読まない本も数多い。もう一度読みたい本、手元に残しておきたいと思う本とはどんな本なのか。それは作者と読者の接点が輝く本だろう。 オスカー・ワイルドの『獄中記』を読んだ。Twitterに「この本ほど印象的な文章が多い本はない」と書き込んだら、すぐに「私もそう思います」とコメントがついた。私はこのようなマイナーな(人によってはそれほどマイナーな本で