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読書感想文のまとめ

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記事一覧

武田友紀(著)『繊細さんの本 』をKindleで読む。

✳️ 馴染みのない英単語 最近はあまり馴染みのない英単語を多く見かけるようになりました。 しかも英語のまま。日本語の表記はないのです。 日本語の意味はあるのですが、英語の表記のまま。 その理由は、日本語の定義が定まっていないから。 まだその英単語の意味が一般的になっていないのです。 最近よく目にするのは 📌Resilience です。これは「レジリエンス」と発音します。意味は 📌回復力、復元力、弾力性……という意味です。 Skin Resilience=お肌の弾力

大野 正人 (著)『失敗図鑑 すごい人ほどダメだった! 』をKindleで読む。

✳️ 親がすすめる本 子どもは素直です。 大人はずる賢い。 それがもっともわかるのが、親や先生がすすめる本。 私の経験からこう思うのです。 私の記憶では最初に手に取った、本らしい本は、伝記。 しかも「ボナパルト・ナポレオン」の物語。 この本はたぶん、親にも先生にも私にすすめた本ではありませんでした。 しかし、なんとなく雰囲気で 偉い人の本を読めば偉くなれる、かも…… なんて暗示にかかっていたのも確か。 そうでなければ小学生の前半に、ナポレオンを読んでどうなるでしょう?

志賀直哉の『網走まで』を読む

✳️ 短い文章 📌短い文章でわかりやすく書く。 ブログの書き方講座・初級編には必ず出てくるフレーズ。 日本を代表する作家・志賀直哉の小説は一つの文章が短い。 それでいて、読みやすく、イメージしやすい。 まるで、ブログの書き方のお手本のようです。 ブログ作文教室の教材として最適な小説が、短編『網走まで』 明治41年、志賀直哉が26歳の時の作品です。 有名な『白樺』の創刊号に掲載されました。 志賀直哉は写実の名手。 📌写実とは「あるがままを写し取る」書き方。 しかし、こ

ヘルマン・ヘッセの短編集『メルヒェン』より『詩人』を読む。

私の祖父母が生まれたのは九州山脈の奥、川に沿って、国道がS字を描きながら奥に伸びていました。 村のバス停からまた細い道を右に左に折り重ねながら登り、ようやく小さな集落にたどり着きます。 谷の向こうの山はまるで屏風のようです。 夜になると、谷向こうの山の中腹に家々の明かりが灯ります。 明かりは人が住んでいる証拠です。 あたりは真っ暗ですが、明かりが五つ、六つ見えます。 目を上に向けると、同じような光が見えます。 谷向こうの家があんな高いところまであるのかと思いましたが、

ジョルジュ・サンド(著)『愛の妖精』を読む。

ジョルジュ・サンドの名前は聞いたことがありました。しかし、一冊も読んだことがありませんでした。そもそも、この名前は、男性?女性? ジョルジュとはフランス語でジョージのことなので、この名前は男性の名前です。じゃあ、この人は男性かというと違うのです。女性です。本名はアマンディーヌ=オーロール=リュシール・デュパンです。ややこしいのですが、つまり女性が男性の名前で小説を書いているのです。 どうして? フランスの十九世紀は革命の時代でした。革命の時代とはカール・マルクスなどがまだ生

トーマス・マン(著)『トニオ・クレエゲル』を読む。

『トニオ・クレエゲル』という書名は人物の名前です。トニオはその音の並びが少し日本語の名前のようでもあります。有名な作家はこのトニオという名前を自分の名前にしています。北杜夫です。トニオ→杜夫です。北杜夫はこの小説の作者トーマス・マンの大ファンで、有名な小説『楡家の人びと』はトーマス・マンの作品からヒントを得て書いています。 この小説の中でもトニオという名前が奇妙な名前であるので、友達からいじめられる場面が出てきます。トニオは詩を作ったりする、寂しがり屋で一人ぼっちの少年でし

ドストエフスキー(著)『罪と罰』を読む。

『罪と罰』の感想を書くことはとても難しいです。何が難しいのでしょう。それはこの小説をどのように読むかによって大きく変わってくるからです。 刑事コロンボのような探偵物としてどのように犯人を追い詰めるかを考えながら読むこともできます。その一点だけでもとても興味深いものです。いや、それは主たるテーマではありません。主人公であるラスコーリニコフは無慈悲にもふたりも殺してしまったのです。その理由を考えながら読むこともできます。彼が大学で書いた論文に焦点を当てる読み方です。いやいや、そ

シュタイナー(著)『自由の哲学』を読む。

シュタイナーの本は何冊か読んだことがあるが、どれも難しくて理解するのに時間がかかった。これらの著作の原点と位置づけされているのがこの『自由の哲学』。著者が32歳の時。1894年の初版だが、この文庫本は1919年の新版に従っている。 著者は人間の自由とはどのようなことなのかを述べたいのだが、前半は哲学の基礎について書いている。 簡単に書き直してみよう。 私たちが目の前のコップを見たとき、そのコップが大きいか小さいかは個人の判断(直感)で決まる。同じコップでも大きいと言う人も

島田明男(著)『昭和作家論(太宰治)』を読む。

太宰治の小説が戦時中に全文削除、つまり発禁処分になったことは知りませんでした。昭和17年の『花火』です。一応は「一作限り」という処分でした。その理由は太宰の言葉によると「不良のことを書いたから」でした。 この時代の処分は現代では考えられないくらい厳しく、全文削除の次にはすぐに執筆禁止、身柄拘束が来ることは誰もが知っていました。太宰は危機に陥ってしまったのです。当局から受け入れられる作品しか書けない状態になりました。現代では SNS の中で言いたい放題、顔をしかめる文言が飛び

島田明男(著)『昭和作家論(田中英光)』を読む。

小説家、田中英光の名前を知っている人はそんなに多くはないでしょう。私も皆さんがご存知の太宰治のスナックのカウンターで右足をあげている有名な写真を撮ったカメラマン、林忠彦の写真集『文士の時代』に出会うまで、全く知りませんでした。 田中英光は林忠彦さんに太宰治と同じように撮ってくれと頼んだそうです。何か特別なものを感じた林さんは、太宰治を取ったスナックとは別のスナックで写真を撮りました。その後まもなく、田中は太宰の墓前で服毒自殺をしました。田中英光は太宰治の背中を追ったのです。

田中英光(著)『さよなら』を読む。

私の残された人生の中でどれだけの文学者に出会うことができるだろうか……。知らない作家がまだたくさんいる。そしてまだ出会ったことがない作家は、何に悩み苦しみ、どのような生き方をし、なぜ死んでいったのか。 今のこの伝達スピードの速い時代に、ただ広く浅く広げるだけでなく、深く掘り下げ、まだ人々に知られていない作家に光を照らし、世に知ってもらうことがとても重要なことだ。 田中英光の名を知らなかった。林正彦の写真集『文士の時代』に太宰治と同じポーズで撮った写真が載っている。太宰治に

吉本隆明(著)『定本 言葉にとって美とはなにか』を読む。

吉本隆明の有名な著作ですので、読みたかった本です。吉本隆明の考え方は少しの著作を読んだだけですが、私に合ってるような気がするのです。しかも興味のある言語学の分野ですので早速読み始めたのですが、そう簡単ではないことがすぐにわかりました。今この感想を書こうと思い、最初の数ページを読み直してみましたが、二度も三度も読んでみても、ゆっくり読まなければ理解できない状況になってしまいます。 普通の人が当然のように思うのは、言葉とは相手に伝える手段であるということです。谷を挟んだ二人の人

サルトル(著)『聖ジュネ』を読む。

とうとうサルトルの『聖ジュネ』の読後感想を書くことになった。ネットで探してもこの本の感想は極めて少なく、私の文章が公開されて読まれることを想像すると少し緊張している。 上下巻二冊を重ねて測ってみると五センチ。ページをめくると内容は哲学書で、ほとんどすべてのページが文字で埋まっている。よく読み終えたものだと思う。 正直読み飛ばした箇所も多い。妻が私の読んでいる姿を見て「どうしてそんなに速く読んでるの」と尋ねたほどだ。「難しいからだよ」と私は答えた。 「読んだが理解してるの

宇野邦一(著)『ジュネの奇蹟』を読む。

日本のフランス文学者によるジャン・ジュネに関する評論。著者が日本人だからこそ私たちが知ることができるジュネと日本との関わりがとても興味深い。 ジュネが日本を訪れたのは1967年。ビートルズが日本に来た翌年のことだ。ジュネはその時初めて日本語を聞いたのだろう。聞いた日本語は「さようなら」だった。 ジュネはこの「さようなら」に忘れがたい印象を受けた。次のように書いている。 日本語の発音は必ず子音と母音の組み合わせでできている。単独の子音は「ン」しかない。語尾も母音で終わる。