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吉本隆明(著)『定本 言葉にとって美とはなにか』を読む。


吉本隆明の有名な著作ですので、読みたかった本です。吉本隆明の考え方は少しの著作を読んだだけですが、私に合ってるような気がするのです。しかも興味のある言語学の分野ですので早速読み始めたのですが、そう簡単ではないことがすぐにわかりました。今この感想を書こうと思い、最初の数ページを読み直してみましたが、二度も三度も読んでみても、ゆっくり読まなければ理解できない状況になってしまいます。

普通の人が当然のように思うのは、言葉とは相手に伝える手段であるということです。谷を挟んだ二人の人が大きな声で情報交換をしている。簡単な「飯は食ったかー」ということから、少々複雑な通信ができるようになります。しかし、言葉をその一点だけで考えてみると何か虚しくなってしまいます。言葉にはもっと深い何かがあるはずです。例えば心の声という言葉もあります。自分で自分に言い聞かせる言葉です。あるいは伝える相手がいないこともあります。「面倒だなあー」なんていう時です。

言葉って何でしょう。最初はこの言葉の成り立ちについて書いてあります。

言葉は、初めは喜びと結びついていたでしょう。それは結婚相手を見つけることでもあったし。食欲を満たすためにも使われたでしょう。これは動物の鳴き声とそう大差はありません。

言葉がこのような動物の鳴き声と異なっているのは、やはり人間が社会的に行き始めたことだろうと思います。気の合う者同士が集まると楽しい、ひとりぼっちになると寂しい。このような心の動きを表す言葉が使われるようになります。

つまり言葉に「幅と深み」が出てくるのです。浅いところから深い心の内を表す言葉へと進化していくのです。伝えるだけではない言葉、つまり自分の心に語りかける言葉も進化するだろうし、もちろん他の人に伝える言葉も進化するでしょう。

これは私の想像ですが、言葉の進化は恋の相手に自分の気持ちを伝えるためかもしれません。相手の気持ちに響くように伝えるということです。言葉の量と質が他者よりも豊富な人が良い相手を見つけられるとか……

いやいや 、それであるなら哀しいか……こういう「心の声」に対応して、言葉が進化するのでしょう。

著者の目的は言葉の進化ではありません。言葉の美についてです。

次に著者は言葉の意味と価値について語ります。この部分はとても興味深いです。現代詩には意味さえわからない作品も多いのですが、そのようなことを解説してくれます。言葉の価値とは何か。それは当然、受けて側の感動によるものです。「この文章はいいなあ」という感じはどこから生まれてくるのかが書いてありますが、結構難しいです。

上巻の後半は実際の日本文学の流れに沿って書かれています。この部分は必読でしょう。

私は横光利一や川端康成の新感覚派の小説に興味があるのですが、日本文学の流れとともに書かれているので長いですが、分かりやすくなっています

下巻にはやや特殊な分野について書いてありますので、文学に関することだけなら、上巻だけでも読まれることをお勧めします。

美しい言葉という概念や美しい文章を書くための方法が書かれているわけではありません。そのような表面的な美ではない、言語の真の美について著者独自の考え方が述べられています。


太宰治が小説『津軽』の冒頭に書いた、「津軽の雪」のそれぞれ……。

太宰がこの言葉を書かなければならなかった強い思い……私はその思いに接するとき、目が潤むほどなのですが、このようなわずかな言葉に言葉の美は宿っているのだろうと思います。




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