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ドストエフスキー(著)『罪と罰』を読む。


『罪と罰』の感想を書くことはとても難しいです。何が難しいのでしょう。それはこの小説をどのように読むかによって大きく変わってくるからです。

刑事コロンボのような探偵物としてどのように犯人を追い詰めるかを考えながら読むこともできます。その一点だけでもとても興味深いものです。いや、それは主たるテーマではありません。主人公であるラスコーリニコフは無慈悲にもふたりも殺してしまったのです。その理由を考えながら読むこともできます。彼が大学で書いた論文に焦点を当てる読み方です。いやいや、そうではなく、ソーフィアがいるではありませんか。彼女の自己犠牲の純粋な心こそ、この小説の大きなテーマです……。

つまり、登場人物一人ひとりを中心にして読むことができる小説、それがこの『罪と罰』なのです。逆に言えばラスコーリニコフを中心に読み込み、入り込む小説ではないのではないでしょうか。

自分がラスコーリニコフになって読むと、正直、嫌になってしまいます。普通、小説は主人公の精神描写が中心になっているので、この小説の主人公を中心にして、自分が主人公になりきって読もうとすると、そもそもふたりも殺した犯人なのですから、気持ちが保てずに読むのをやめてしまうのではないでしょうか。

私自身、この小説を読み終わるまでずいぶんとかかりました。ですから、この小説を読みきるためには、場面場面に出てくる人々、あるいはその場面場面を切り取って読むことだろうと思います。ラスコーリニコフの母親が出てくる場面では母親の気持ちになってみる、友人のラズミーヒンが出てくる場面では友人の立場になって読んでみることだろうと思います。

もう少し小説のコンセプトに沿って読むこともできます。ラスコーリニコフとソーフィアの関係を軸として、つまり、「善と悪」を中心にして、その他の場面はこの関係を引き立てるために登場するのだと思い、読むことです。

こう書いていると、この『罪と罰』を途中で中断せずにいかに読み終わるか、その点に絞って感想を書いていることに気づきます。

少しこの小説の成り立ちを知っておくと読み易いかもしれません。この当時ドストエフスキーはギャンブルで借金まみれになっていました。ラスコーリニコフと同じような境遇だったらしいです。精神的にも不安定でした。借金があったために、この小説を書いたのです。この小説は新聞に一年間にわたり掲載されました。ですから、読む人に対してこれでもかこれでもかと惹きつける場面が出てくるのは当然です。読者を飽きさせない書き方になっているのです。

それから、この小説は二つの小説が合体した構図になっています。ソーフィアを中心とした死んでしまう酔っ払いのマルメーラドフの家族と、ラスコーリニコフの周りの人たちの物語です。ですから、この小説はその分深みと広がりが出てきます。

この小説を読む場合、今どのような人間関係の中の話を読んでいるのだと考えてみることも必要だと思います。ラスコーリニコフだけでなく脇役を中心にした、小さな小説の積み重ねがこの壮大な物語なのです。

つまり、この小説の感想はラスコーリニコフとその母親を中心にした家族とか、殺される高利貸しアリヨーナについてとか、追い詰める予審判事ボルフィーリィの心理とか、まだいくらでも書けるのかもしれません

読み終えるためのテクニックとしてネット上の相関図があるので、印刷し確認しながら読むととても便利です。

ある人は「修行として読みきる」なんて言ってる人もいるようですが、まあ、なんとか読み終えるコツはあまり小説に入り込まないことかな。苦しくなるから。



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