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島田明男(著)『昭和作家論(太宰治)』を読む。


太宰治の小説が戦時中に全文削除、つまり発禁処分になったことは知りませんでした。昭和17年の『花火』です。一応は「一作限り」という処分でした。その理由は太宰の言葉によると「不良のことを書いたから」でした。

この時代の処分は現代では考えられないくらい厳しく、全文削除の次にはすぐに執筆禁止、身柄拘束が来ることは誰もが知っていました。太宰は危機に陥ってしまったのです。当局から受け入れられる作品しか書けない状態になりました。現代では SNS の中で言いたい放題、顔をしかめる文言が飛び交っていますが、それだけ幸せな時代なのです。

自分の言葉で自分の思うように書けない。これなら大丈夫だろうか、いや危ない。これならどうだろうか。書いてみなければわからない。もし二度目があったら妻子はどうなるだろう。全てを権力者に委ねなければならない状況は、私たちには全く想像ができません。このような悩みを戦時中の太宰治は抱えていたのです。

彼が選んだのは無難な題材でした。考えて考えて選んだのでしょう。『右大臣実朝』は直後の小説です。私はこの小説お取り寄せていますが、まだ読んでいません。実朝ならば大丈夫だろうという願いです

太宰は実朝が好きでした。

『もの思う葦』には実朝の「すらだにも」の一語だけを取り上げた短い文章があります。

実朝の有名な歌
ものいはぬ四方(よも)のけだもの すわだにも あはれなるかな親の子をおもふ

「すらだにも」は「すら」と「だに」が合わさった言葉です。現代文では「……でさえ、……でさえ」と同じ言葉が二つ並んでいるのです。日本語にはこのような言葉は存在しません。実朝が自分で作り出した言葉です。

実朝はどうしてもこう言いたかったのでしょう。そうでなければ五音にするためには、別の方法を選んでいたはずですから。それが通常の仕方でしたから。

太宰治はこの五音一語に、実朝の暗鬱で孤独な心情を感じ取っているのです。

私はこの一語「すらだにも」に対する太宰治の思いは何と繊細で傷つきやすいのだろうと思います。傷つきやすい太宰が、全面削除となったのです。太宰はこの一語に賭けたのかもしれません。「……だとしても、……だとしても」書き続けなければならなかったのです。


このような戦時中の太宰の辛い思いを考えれば、私は心が痛み、目が潤むのです。


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写真は以下よりお借りしました。



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