見出し画像

トーマス・マン(著)『トニオ・クレエゲル』を読む。


『トニオ・クレエゲル』という書名は人物の名前です。トニオはその音の並びが少し日本語の名前のようでもあります。有名な作家はこのトニオという名前を自分の名前にしています。北杜夫です。トニオ→杜夫です。北杜夫はこの小説の作者トーマス・マンの大ファンで、有名な小説『楡家の人びと』はトーマス・マンの作品からヒントを得て書いています。

この小説の中でもトニオという名前が奇妙な名前であるので、友達からいじめられる場面が出てきます。トニオは詩を作ったりする、寂しがり屋で一人ぼっちの少年でした。周りの子供たちはみんな彼がつまらないと思うことでも大きな口を開けて笑い、仲良くやっています。そんなことも彼は理解ができませんでした。不思議でした。トニオという名前のせいもあり、だんだんと友達の間に壁を作るようになりました。

ただ一人、ハンスだけはトニオにかけてくれる友達でした。でもハンスは結局は「向こうの人」であり、心からトリオのことを思ってくれませんでした。トリオはそう思うようになっていったのです。

三島由紀夫も北杜夫と同様にこの小説が好きでした。思うに小説家の多くは少年期に「普通ではなかった」ということなのでしょう。いや、将来小説家になる人だけでなく、全ての少年に共通する悩みではないのでしょうか。太宰治もこのような感じでした。

疎外感は少年期特有の悩み、いやいや青年期でも壮年でも老年でも、人々の一生に低く長く続く不変の悩みなのかもしれません。

ある時、トニオはハンスに自分が好きな本を渡します。「読むよ」とハンスは早口に答えました。ハンスは読むだろうか、読まないだろうか、トニオはまた悩み始めます。気持ちは打ち沈んでしまうばかりです。

トリオはこの少年期の悩みをどのように解決していったのでしょう。トーマス・マンという世界的に有名な作者が二十八歳の時に書いた小説です。世界の少年、青年のすべての心の中にBassの音として響いている悩み……。読み終わって強烈な印象 があるわけではありません。世界の小説の多くは、このように静かで低音が響く作品が多いのです。


少し疎外感についてネットで調べてみました。「疎外感を克服する方法」、「疎外感を感じやすい人の特徴」などマイナスイメージの記事が目に付きます。確かにドストエフスキーの『罪と罰』のラスコーリニコフは疎外感からの脱却からイチかバチかを実行してしまったという感じもあります。

疎外感は悪であるというが、そうであればなぜ人は疎外感を感じやすいのか、それは集団を維持するために必要であるとすれば、その集団は生き残ることができない集団なのではないでしょうか。なぜならば何か独特のことを考え実行することなくして生存はできないと思うからです。

この小説は疎外感の一人の解決の方法を暗示してくれます。結論はここでは書きません。短い小説ですのでぜひ読んでみることをお勧めします


青空文庫にあります。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001758/card55937.html


ーーー
文字を媒体にしたものはnoteに集中させるため
ブログより移動させた文章です。

↓リンク集↓
https://linktr.ee/hidoor

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?