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カロッサ(著)『ルーマニア日記』を読む。


日ごろ通っている古書店で岩波文庫の棚から選んだ数冊の中の一冊。この本をなぜ選んだのか。ただ目に入った程度なのだが、いつも不思議に思うのは、私が手に取る本はすべて名著なのだ。冷静に考えれば岩波文庫に入るくらいだから名著に決まっている。それを「私が手にする本はすべて名著だ」と自慢するのは、仏教の増上慢の典型だなと苦笑いしている。

いずれにしても著者のカロッサも、『ルーマニア日記』という書名もまったく知らずに購入したのだった。

カロッサはドイツの医者で詩人。時代は1916年の10月。場所は北フランスから始まるこの日記は人類史上最悪の戦いと言われる第一次世界大戦を悲惨な場面を一切描くことなく、しかし深い哀しみが漂う文章となっている。

38歳のカロッサは北フランスにいた。1916年はドイツ軍は初期の勢いを失い、英仏軍の反撃が開始される時期だ。この時期の最大の戦いは北フランスのソンムの戦い。両軍で百万人以上の損害を出したと言われている。

カロッサの部隊は北フランスからルーマニアへと移動する。しかしどこに向かっているか兵隊は知らない。ルーマニア戦線ではルーマニアとロシアの連合国とオーストラリア・ハンガリーとドイツの連合軍の戦いが開始されたのだ。

この『ルーマニア日記』は冒頭から他の戦記とは違うことがわかる。

自分が属するドイツ兵が、敵国の北フランスに居るという状況の中で、カロッサは次のような場面から書き始めている。

洗面台で私はマダム・ヴァルニエの磨きガラスの小さな鏡をこわした。(略)そんなことは、何でもないことです。世界の半分が粉みじんになろうとしている時に、鏡ひとつくらいがなんでしょうとほほえみながら答えた。

第一世界大戦のドイツ兵ほど悲惨な人々はいないだろう。

タバコや火酒のようにあらっぽく感覚を惑わすものは当分遠ざけている。最も軽い精神的な処方を私は一番信頼したい。生きたことばの測りがたく常に効果を発揮するエネルギーを知っているものはどんなに少ないことだろう。

この文章が名著『ルーマニア日記』の真髄だ。つまり、戦場ではあらっぽい処方よりも、一遍の詩の方が常に効果を発揮するのだ。私たちは、医者であり詩人であったカロッサが悲惨な戦争の中で感じたことが、「詩句の力」であったことを、もっともっと知らせていかなければならない。

ルーマニアまで移動する途中、一般市民を診査することもあった。ある結核の少女を診察した時の様子は次のように描かれている。病気の女性がこのように美しく描いている文章は初めて見た。

窓べに寄せられた寝台にけばけばしい赤い掛け布団をかけ、結核の烙印をおされた十六歳未満の娘が寝ていた。彼女は助けを求めているのだ。それは容易にわかった。娘は美しい。(略)目の中には、純粋の酸素の中で炎が燃えるように、狭い世界に追い込まれた全生命が燃えている。からだはひどく消耗していて、乳房だけが高く張りつめて、まだ幸福げに死に逆らっている。

カロッサは発見した敵兵も見のがしている。

私は突然、ネズ(植物)のやぶの後ろにザンゴウを掘っている多数のルーマニア兵を発見した。(略)初めて私はいわば、人間に死を差し向けるべき義務の前に立たされた。というのは、敵を見のがせば、次の瞬間に敵は味方の人々を危うくするかもしれないからだ。他方、向こうで作業している人々が、この小さいレンズの中に映っていわば私の掌中にあるのだ。(略)私は安心しきっていた。私はいやないかぎり、彼らは無事なのだ。

カロッサは「兵士の傷や不安を言葉で癒す」のだ。言葉(文字・文学)の力を信じている。今の時代に誰がそこまで信頼しているだろうか。

これなら君でもできるし、私でもできる。なぜならカロッサが立証しているのだから。



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