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オスカー・ワイルド(著)『獄中記』を読む。


世の中には年間に千冊読むのだと豪語する人もいるし、一冊を読み返しながらゆっくりと読む人もいる。もう一度読もうと思う本もあるし、二度と読まない本も数多い。もう一度読みたい本、手元に残しておきたいと思う本とはどんな本なのか。それは作者と読者の接点が輝く本だろう。

オスカー・ワイルドの『獄中記』を読んだ。

Twitterに「この本ほど印象的な文章が多い本はない」と書き込んだら、すぐに「私もそう思います」とコメントがついた。私はこのようなマイナーな(人によってはそれほどマイナーな本ではないかもしれないが、私は知らなかった)、しかも、百年以上前に書かれた本を読んでいる人がいることにもびっくりしたが、私と同じ感想を感じていることにも感動した。

作者のオスカー・ワイルドは耽美主義の極みのように書かれているが、この本はその反省、懺悔の本である。「人間はどうせ死ぬのだから、この瞬間を楽しむことが一番」と言う考え方を百八十度変えてしまったのだ。

オスカー・ワイルドは二年間牢獄に入っていた。なぜ牢獄に入るようになったのか。

それは三十歳代の後半、ある男性を好きになり、つまり、現代のLGBTなのだが、その男性は有名な貴族の息子で、この父親から訴えられて有罪になったからだ。ウィキペディアによると女の子を欲しがっていた母親が男の子であるオスカーに女の子の格好させていたと言う。青年になっても奇抜な服装をしていた。

私はここまで書いてペンが止まってしまった。そうか。この本はLGBTの懺悔の声なのだ。

「どうしてLGBTで懺悔する必要がある?」

私は最初、「この本ほど印象的な文章が多い本はない」と思った。しかし、そんなに単純なことなのだろうか。オスカー・ワイルドは派手な生活の末に牢獄生活に陥り、そのことで本当に真実をつかんだのか。あるいは、手かせ足かせの境遇が彼の心の自由を奪い、この文章を書くように無意識な強要があったのではないか。

彼の本当の心はわからない。

大抵の人々は他人の生活をしてゐる。彼等の思想は他人の意見であり、その生活は人眞似であり、その情熱は他からの借物に過ぎない。
苦悩があるところに聖地がある。
美しい肉體には快樂がある。しかし美しい魂には苦痛がある。

と書いたオスカーの本当の心はどうだったのか。

二年の牢獄での生活を終え、出獄してオスカーを待っていたのはLGBTの人たちだけであった。時代の寵児と騒ぎ立てた世間の人たちは彼をまったく見捨ててしまったのだ。出獄から三年後、パリのホテルで衰弱死した。葬儀に出席したのもLGBTの人たちだけであった。享年四十六だった。

たとえ蔑まれよううと、人生は美しい。苦しいかもしれないが、その苦しみこそが愛なのだ。苦しいからこそ天国に行けるのである。私は今までよりも幸福になった。

彼はこのような趣旨の文章書いている。

本当の愛とは何か。愛は単純で軽いものではない。



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