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ヘルマン・ヘッセ研究会(編・訳)『ヘッセからの手紙・混沌を生き抜くために』を読む。


世の東西を問わず、書簡集はいろいろありますが、この『ヘッセからの手紙・混沌を生き抜くために』はとても重い充実した書簡集です。

例えば太宰治にも書簡集がありますが、金の無心など生活感たっぷりの内容です。それに比べてこの書簡集は第一次世界大戦の前から第二次世界大戦の後まで、ドイツ人(スイス在住)であるヘルマン・ヘッセが書いているものなので、文学と戦争との関係が、人々の苦しみがひしひしと伝わってくるものになっています。

ヘルマン・ヘッセが考えたドイツ気質とはどんなものだったのでしょう。戦争に突き進むドイツに迎合するのではなく、精神性を高め人類の幸福を願う、そういう気質でしょう。それをヘルマン・ヘッセはペンの先から生み出される宝石のような言葉に託しました。第一次世界大戦時には次のように書いています。

しかし私は、憎悪や策動が渦巻くところには決して手を貸しませ ん。私が将来に向けて待ち望んでいるのは、大部分の煽動者たちとは違ったドイツであり、違ったドイツ気質なのです。

そして、第一次世界大戦後には作家の立つべき位置について、次のように書いています。

作家が政治化したところで何にもならない。そんなことをするよりも、私たちは以前にまして、はるか遠くに離れたロビンソン・クルーソーの島々を渇望する。
作家が愛すべき対象は、一般大衆ではなくて人類である。(そのうちの最良の人々は、作家たちの著作を読まないけれども必要とはするのだ)。
できる限り時事問題から離れて、時代を超越したものに向かっています。それだけに文芸がいっそう貴重なものになってきました。


そして、ヘルマン・ヘッセのもう一つのテーマは「善と悪」についてです。

ドイツが全世界でもはや理解されず、敵しかいないのは悲しいことだが、それはドイツだけの責任ではない。ただ相も変わらずいつまでも自分の正しさのみを主張して他人には悪意しか認めようとしないなら事態は決して良くなりはしないだろう。
心の中の野獣、殺人者がなかったら私たちは正しい生を見失った骨抜きの天使となり、また美化への、浄化への、精神的で没我的なものの賛美への常に新たな切なる衝動がなかったら、私たちはやはりまつとうな存在ではありません。
どんなに善い、どんなに高貴な主義でも、一人の人間を実際よりも本当に価値あるものにすることはできないのだ。

このようなヘルマン・ヘッセが第二次世界大戦の最中、何を書き、どう行動したのか?

ドイツが一九一四年に不当な戦争とますます傍若無人になっていく戦争宣伝を始めて以来、私は折に触れて彼の地の思慮深い人々や立派な信念を持った人々に対して呼びかけ、あるいは警告をしてきました。(略)そうした働きかけをするたびに私はあるいは嘲笑され、あるいは中傷され誹謗されてきました。

1946年にヘルマン・ヘッセはノーベル文学賞を受賞しました。高度な精神性を追い求めた、真のドイツ人気質、それは真の日本人気質にも通じるものでしょう。

昨今の「易きに流れる」日本の国民に対して、この『ヘッセからの手紙・混沌を生き抜くために』をぜひ読んでいただきたいと切に思います。



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