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ダイエットします

今ですね、わたくしダイエット中でございます。

ですが必要以上に運動は致しません。
やることと言えば毎日歩くこととヨガを楽しむこと。
あとは一日二食で腹八分目。
脂のしつこいものは控える。
これだけです。

どういう身体作りを目指しているのか、つまりどんな身体になりたいのか、それによってダイエットのメニューは異なると思います。
そこで、わたくしの目指す「美しい身体とは何か」。
これが今回の記事のテーマでございます。
どうぞお付き合いくださいますよう、宜しくお願い致します。

野球少年、風味


わたくしは子供の頃、別に野球をやっていたわけではないのに野球のバットの素振りを毎日やらされておりました。
これは毎日やるように父親から厳しく課せられていたんですね。
理由はといいますと、基礎体力をつけるためでございます。

手袋はしちゃいけない。
手の皮を鍛えろという昔ながらの流儀で、偏るといけないということで右の構えも左の構えもやらされておりました。
木製の重たいバットをですね、窓ガラスに映る自分のフォームを確認しながら何回も何回も振るんでございますよ。
手にマメなんか作りながら、何のための練習なのかわからないまま汗を流したんでございます。

投げ方も教わっておりました。
当時はスリークォーターと言ってオーバースローより少し腕の角度を下げた、そんなスタイリッシュな投げ方なんかもあったんですが、わたくしが受けた教育にはそういうものはございません。
昔ながらの体全体を使って投げる、クラシックスタイルのオーバースローでございました。

もう一度言いますが、わたくしはこの頃、特に野球チームには入ってないんでございます。
ただの素人です。

そのうちに五年生の時でしたか、皆んなよりも随分遅れて本当に野球チームに入ることになりました。
中学に入ると部活動があって、これは強制参加でした。
そのための準備ということで放り込まれたわけですね。

本物の球、これは打てませんでした。
投げ方は教わっていたけど、これも実戦ではなかなか役に立ちません。
ノックで随分しごかれまして、恐怖の練習でした。
なんで自分は野球をやらなくちゃいけないのかよくわからない。
ちっとも楽しくない野球でしたが、近所の友達と一緒に通えるということで、何とか辞めずに続けることが出来ました。


空手少年、ならず


野球の練習は毎週日曜日の朝、午後は空手道場に行っておりました。
カンフーを学べると勘違いして道場に行きましたが、空手とカンフーは残念ながら別物だった。
これも心ここにあらずのまま、しごかれるだけしごかれまして、小学一年から中学一年まで毎週通いました。

サッカー少年、これもならず

平日の放課後が空いておりましたので、六年生になると、これも皆んなよりはるかに遅れてサッカーチームに入れさせられました。

ひっこみ思案故にこの激しいスポーツには全く馴染めませんでしたが、体育の授業でたまにゴールを決めるぐらいの実力は身につきました。
マラドーナに激しく憧れましたが、試合の際はベンチで女生徒の方をボーッと眺めておりましたね。
試合に出るのが嫌で嫌で、それはミスをした時に皆んなに責められますから、いつも隅の方に身を潜めておりましたですよ。
ボールと友達になんかなれませんで、リフティングも随分と練習しましたが百回がやっとでした。

バスケやりたい


こうして野球、空手、サッカー、いずれも全く興味がございませんでしたが、一方で練習はものすごくキツかった。
辞めたくても辞められない、サボりたくてもサボれない。
自分に可能性があるとはまったく思えない、そんなカゴの中で悶々とした日々を送っておりました。


中学になると部活は強制的に入れられましたから、何をやろうか考えました。
ちなみに我が家は運動部しか選択肢がございません。
強制とは言いませんが同じようなもんです。

野球もサッカーも皆んなから出遅れてのスタートでしたので、皆んなが一斉に始められるスポーツ、バスケをやりたい。
そう思った矢先に肘の痛みに悩まされ、病院では成長期のスポーツ傷害と診断されました。
右腕使用禁止、そんな非情の診断でございました。

再びサッカー少年

仕方なくサッカー部で補欠をやっておりました。
これはもう、辞めたくて辞めたくたまりませんが、辞めたいと言えば叱られますしね。
何かあるとすぐに先生や先輩に叱られます。
ですのでここでも常に目立たないように目立たないように、波風を立てないように努めておりました。
練習は厳しくて厳しくて本当にキツかった。
上手くなりたいというよりは怒られたくない、問題を起こしたくない、そういうモチベーションで三年間なんとかやりました。

そしてトレーニングの日々

部活動だけではございません。

家に帰るとこの頃はウェイトトレーニング。
実家にはバーベルセットやらベンチやらがございまして、そういうのが好きな父親に教わりながら鍛えておりました。

幼い頃よりシルベスター・スタローンの映画に連れて行かれまして見事に洗脳されました。
この頃には立派なスタローン・フリークになっておりましてですね、痛めている右肘を庇って体育の時間は片手腕立て伏せでございますよ。
肘痛が治る二年生の終わり頃からは本格的にベンチプレスなどで鍛え上げましてですね、学生服の標準サイズが入らない、そんな身体を手に入れていくわけです。

もうですね、部活動が嫌だとかトレーニングが嫌だとか言えない性格なもんですから、わたくしの夢と希望はシルベスター・スタローン。
耐えて耐えていつの日かこの感情を爆発させるというようなですね、いつか俺にもガッツポーズをする日が来るんだというような、もうそんな気持ちが映画好きに繋がっていったのかも知れませんが、汗をかくことの理由はそのようなところに求めていました。

悲しいことに彼女もおりませんでした。
しかも補欠。
悲しき補欠選手でございました。

アメフトの代表選手へ


そのあと地元の高校へ進んでアメフト部に入部しまして朝から筋トレ、練習の後も筋トレでこの頃にはもう、我ながら見事な肉体をしておりましたですよ。


アメフト部へは喧嘩のとても強い先輩に声をかけて頂きまして、断れなくて入ったようなもんでございまして、その後も断れなくて卒業までやりました。
ここでは補欠ではなく主将でしたが、どうしてわたくしが主将になったのかは今でも全くわかりません。
まだまだ日本ではマイナーなスポーツでしたが、何となくカッコいいイメージだけはあるかと思います。
そのカッコいい競技においてチームの主将を務める、このことにわたくしは大いに酔いしれましたが、特にアメフトを好きになることもございませんでした。

実はこの高校へは器械体操をやろうと思って入ったんでございます。
当時は清風コンビが人気で、友達と塾の帰りに暗い公園の街灯の下でアクロバットの猛練習をしました。

わたくしはどちらかと言えば少年隊や光GENJIに憧れたといいますか、クラスのちょっと可愛い子がとてもアイドルが好きな子でございましたから、振り向いてもらいたくて必死になって練習をした。
それだけのことですよ、恋も実りませんでした。

で、友達は約束通り器械体操に入りまして、わたくしはオッカナイ先輩に連れられてアメフト部へ。
既に身体が出来ておりましたでしょ、筋トレの英才教育を受けて育ちましたから、だからアメフト部が欲しがったんですよ。

ちょうどその頃にシルベスター・スタローン最新作「ロックアップ」というのを映画館で観まして、刑務所でアメフトをやるシーンがあるんでございますよ。
アメフト部入りは父親も大いに乗り気でして、もうこれは仕組まれていたとしか言いようのない展開でした。
器械体操の友達には悪いことをいたしました。


入部してからは、もうこれもかなりのスパルタでやられまして、何度も言いますが本当に逞しい、いい身体をしておりましたですよ。
プロボクサーや自衛官なんかの誘いも受けました、それぐらいキツい特訓をやらされましたです。

運動会の棒倒し、今ではやらないそうですが、男子生徒達の大乱闘ですね。
わたくしは筋肉隆々故に標的にされておりました。
多くのチャレンジャー達がわたくしに飛びかかって来ましたが、負けたことは一度もございません。

改造したオートバイの連中が挨拶に来る。
勉強をしなくても先生からは注意をされません。
アメフトの方で色んな大学から視察が来ました。
高校生の競技人口が少ないということもありますが、何度かお声がけをいただいたものです。
この頃には初めての彼女も出来ました。

アメフトの一部リーグの大学へ


アメフトの一部リーグの大学へ。
のはずが、わたくしは入学を一年遅らせて一般受験で大学へ進みました。
大学に入って演劇をやりたいって言ったら随分驚いてましたけどね。
大学の方、すごい顔してましたよ。
鳩が豆鉄砲食らったような。
文化部に入りたい、これはこの時初めて口に出せた言葉でした。


それを聞いた父親がですね、県選抜の時の新聞記事などをゴミ箱に捨てる姿、今でも目に焼き付いております。
申し訳ないことをしたという気持ちと、晴々しい気持ちとが複雑に入り混じってます。
そういう経験は、読んでくださっている皆さんの中にもあるかも知れませんね。
あの父親の姿は一生忘れないと思います。



美しい身体とは

美しい身体とはなんでしょう。
もちろんジムで鍛え上げた身体、これは本当に立派なものです。
そしてそれを維持することも大変です。
これを競技でやられている方の努力は、それはそれは大変なものだということはわたくしには痛いほどわかります。

身体作りについても今は色んな理論があって、それは食事に関しても同じです。

だけどわたくし思います、鍛えた身体ならば軍人や格闘家、ダンサーや労働者。
アスリートもそうですが、こういった方々の肉体が、本当は一番美しい。

なんといっても実用性がございます。
必要な筋肉量と言いますか必然性と言いますか、全てが理に叶っておりますでしょう。
痩せてなきゃいけないとか、腹が割れてなきゃいけない、炭水化物は我慢、そんな身体も立派ですけどね、働いている身体、労働している身体。
例えば昔の人は米俵を担いだり何十キロも歩いたりしていたわけですよ。
米を沢山食べて一生懸命になって働いたわけです。
自分のために鍛えた身体も立派ですが、誰かのために、家族のために労働して来た身体。肉体。

わたくしも部活動の他に引越し屋とか荷揚げのバイト、家電の配送なんかを沢山やって来ました。
舞台俳優なんてのもそのひとつです。
言っておきますが、舞台俳優は相当な体力と精神力を必要とします。

若い頃の肉体労働だって、大型冷蔵庫をひとりで担ぐですとか、ユニットバスの床を運ぶですとか、そういう身体の使い方をしてきましたですよ。
筋肉の必然性です。
そういう身体をしているには理由があるということです。
身体を見れば職業がわかると言えば宜しいでしょうか、これが美しくなくて何が美しいんでしょうか。


ジムへ行って少し学んだぐらいでそういうことが出来るのか、米俵何個も持てるのか、東海道を歩いて大阪まで行けるのか、三時間の芝居をひと月もできるのか、というような、今となってはそういうことを感じますですよ、わたくしは。


糖質制限ですとか、そういう前にですね。
よろしいですか。
良い塩、良い味噌、良い醤油、昔ながらのちゃんとした調味料を使ってバランスよく、適度な食事をすれば身体は勝手に最適化されるんでございます。
それが自分自身というものであって、そういうものに自信を持ったってわたくしは良いと思ってるんです。


歳を取れば少しお顔が丸くなる、腹回りが気になる、これはモデルさんのような方々には当てはまりませんが、そうでないわたくし達は、生きてきた証だと捉えていいんじゃないかと、わたくしは思います。


女性の小皺もですね、わたくしは美しいと思いますよ。
 

男性も髪が薄くなるとか、もうこれは勲章だと思ったっていい。
威張ってやればいいんです。

身体が不自由な方、そんな方もですね、美しいですよ。
そこにはその方の人生が詰まっています。
それを美しいと思える価値観、それこそが美しいものだと思える心がですね、わたくしは大切だと思います。


などと申し上げながら。
お腹が昔のように割れるとカッコいいなという、ささやかな邪心ももちろんございますよ。
だけどもう激しいトレーニングは今のわたくしには必要ありません。
それが好きだという方のことは批判致しませんし立派だと申し上げております。
しかしわたくしがこれから目指すのは自然体の自分、ありのままの自分でございます。


腹八分目。
歩くこと。
これを地道に頑張りたいと思います。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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