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2020年前半に読んだ20冊の本

読書はなにか特定のジャンルに絞るより、雑多だけど、自分のアンテナに引っかかったものは、とにかく読んでみるのがいいと思う。

外側にあるジャンルでまとまるよりも、自分が読むことで本同士の関係を見つけていく。それにより本と自分の関係も生まれる。本を読むのってそういうことかなと思うのだ。

そこには当然いつ読んだかということも関わってくる。

この半年はやはりコロナ禍ということが本をどう読んだかにも大きく影響を与えていたはずだ。
そこにもともと興味をもっていた持続可能性というテーマと絡みあったポストヒューマンという視点や、図像がつくる人の世界のありようなどが重なって、テリトリー争い生政治といったキーワードが浮かび上がってきた2020年前半だった。

そんな今年前半に読んだ20冊を、いくつかのぼくできるテーマに分けてあらためて紹介してみたい。
昨年末にまとめた「2019年に読んだ30冊の本」の第2弾だ。

では、さっそく。いつにもまして長いよ(29,000文字!)。

A.気候変動時代におけるテリトリーと生政治

1.地球に降り立つ/ブルーノ・ラトゥール

移民の増加、格差の爆発、新たな気候体制――実はこれらは同じ1つの脅威である。

移民の問題、社会的経済的格差の問題、そして気候変動の問題。
これらをつなぐものとして、明らかに不足が顕在化しているテリトリーの争いがあるのを、この本の著者であり、いま最も注目を浴びている社会学者といえるブルーノ・ラトゥールは指摘している。

まるで沈没する船の救助艇に乗るのを我先にと争う人びとのように、米国や英国などは自国優先主義の方針をとり、自分たちの既得権益が他国に奪われないよう全力で阻止しようとしている。
いや、その内部においても、貧富の格差のなかで同様のことが起こっているし、結局はBLMの問題も根っこにあるのはそういう部分でもある。

まさに少ないテリトリーを争う戦争状態である。

本書の見るところ、蒙昧主義のエリートたちは脅威を深刻に受け止めている。彼らは自分たちの支配力が脅かされていると感じ、すべての人々と地球をシェアするという理想を廃棄することに決めた。ただ廃棄の事実はいっさい公にしてはならない。

問題は残った資源をどう配分するかという単純な問題ではない。いまもそれは減り続けていて、なにより減り続けているのは生存の可能性である。
だから残ったものを奪いあっていても結果ゼロになれば勝者は誰もいないはずである。

彼らの力が及ばなかったとすれば、それは彼らが、社会問題かエコロジー問題かのどちらに焦点を合わせるべきか、その選択に直面していると思い込んでいたからだろう。実際には、単なる焦点の選択ではなく、政治の2つの方向性をめぐるより根源的な選択が問題だったのである。根源的な選択肢の1つは、社会問題を狭すぎる定義に閉じ込めたままにしておくという道、もう1つは、生存の危機を定義する際に人間と非人間との違いをアプリオリには導入しないという道である。言い換えれば、社会は社会的なつながりだけから構成されるという狭隘な定義を取るか、社会は人間と非人間の連合(それは共同体と呼ばれる)から構成されるとする、より広い定義を取るかの選択である。

気候変動に代表されるこの世界の持続可能性の問題からは、生命をめぐる政治の問題が表出してくるし、持続可能性の問題に向き合おうとすれば、ラトゥールがクリティカルゾーンと呼ぶ「大気と地質基盤の間の、わずか数キロの厚みしかない驚くほどの薄いゾーン」における、人間のみならず、人間と非人間、あるいは非人間と別の非人間たちとの関係性にも思考の領域を広めていく必要がある。

そんな諸々の関心ごとがこの本を読んで一気につながった感じがした。ラトゥールのこの本は今年前半の読書をひとつにつなぎ合わせてくれるキーブックともいえる1冊だ。

2.ホモ・サケル/ジョルジョ・アガンベン

聖なる人間(ホモ・サケル)とは、邪であると人民が判定した者のことである。その者を生け贄にすることは合法ではない。だが、この者を殺害するものが殺人罪に問われることはない。

生が外側にある何かに握られている
それは、このコロナ禍の政治的な動きをみて、誰もが少なからず感じたことではないだろうか。

しかし、何故、自分の生が外部にある政治的なものに握られることになっているのか?

その問いの答えを見つけるヒントを与えてくれるのが、この本でアガンベンがフーコーから援用している生政治という概念だろう。

アガンベンは、フーコーのコラージュ・ド・フランスの講義は、1977年頃から「「領土国家」から「人口国家」への移行」の帰結としての「国民の健康と生物学的な生が主権権力の問題」を重視するようになったのだという。
人間を管理するのに、かつては思想や信仰の面のみを管理(異端や魔女狩りなどはそれだ)していたものが、身体的なものを含む生まれたままの生を管理対象にしはじめたのが、フーコーのいう生政治のはじまりだといえる。

そうなると以下にあるように、政治と医学の距離は近くなる。

実のところ、国民社会主義帝国は、医学と政治が、一つに統合されるという、近代の生政治の本質的特徴がその完成した形を引き受けはじめる瞬間をしるしづけている。このことが含意するのは、剥き出しの生に関する主権的決定が厳密に政治的な動機や領域から離れ、さらに両義的な領域へと移動していく、ということである。この領域では、医師と主権者が入れ替わっているように思われる。

医学と政治の距離は、この数ヶ月僕らが痛いほどわからせられたことだろう。
その政治的な姿勢は何も政治家のなかだけにあるのでなく、国境封鎖にポジティブな意見をもったり、極端なところではBLMの問題を発生させてしまうような人種差別にも及ぶ。

もちろん、そうした政治と生まれたままの生との関係が極端な形をとったのがナチズムだが、起源にあるのは、それより前のフランス革命だとアガンベンは見る。

人権宣言は、神的な起源をもつ王の主権から国民主権へという移行が実現される場と見なされなければならない。人権宣言は、アンシアン・レジームの崩壊に引き続くべき国家の新秩序における生の例外化を確実なものにする。すでに指摘したとおり、「臣民」は人権宣言を通じて「市民」へと変容するが、このことが意味するのは、生まれ――自然的な剥き出しの生そのもの――がここにおいてはじめて、(我々が生政治的な帰結を今日ようやく計り知ることのできるようになったあの変容によって)主権の直接の保有者になるということである。

しかし、いまや生まれたままの剥き出しの生を管理するというありようは、国家によるものだけでなく、GAFAのような巨大企業による生体データの取得を通じて行われるようにもなってきている。中国であればそれが国単位で行われているわけだ。
ヨーロッパでGDPR(EU一般データ保護規則)が定められているのも、ある意味、この生政治の主権がGAFAなどの巨大民間企業に移ってしまわないための防御だといえよう。

3,ボディ・クリティシズム/バーバラ・M・スタフォード

1933年7月14日、ヒトラーの権力掌握からほんの数週間後、「遺伝学の血統の予防」のための法が布告された。これは、「遺伝病に罹っている者は、医学的検査の結果、子孫が心身の重大な遺伝病に罹る高い蓋然性のある場合は、不妊手術。施されうる」と定めていた。

生政治の実現を可能にしたのが、医学への視覚表現技術の援用であり、それが起こったのが18世紀啓蒙の時代であったと指摘するのが、この本の著者バーバラ・M・スタフォードだ。
上の引用にあるように、その結果2世紀のちには、身体的特徴を政治的な管理に利用することの悲劇が現実にもなるのだ。

もちろん、その悲劇性はこのコロナ禍の社会環境でふたたびあらわになりつつある。

18世紀の医学は、依然として、未開世界の迷信、おまじないとそう変わらないお粗末なものだった。
パスツールが細菌の培養法を確立し細菌学を大いに進ませるようになるのには19世紀を待たなくてはいけない。ドイツのロベルト・コッホがパスツールの研究をもとに病原体の研究をはじめるのはもちろんそのあとのことだ。

つまり、18世紀には何が原因で病気になるのかがわかっていなかった、見えていなかったのである。

だから、見えるようにすること。産業革命で急激に都市化が進み、人口の増えた都市にコレラなど、さまざまな病気が流行するなか、病気というものを見えるようにすること、それが何より急務だった。

「視野にない(out of sightな)」ものをイメージ化する問題への対応が美術と、そして各自然科学の中で焦眉の急務となっていった。ここで今、自然科学と言われたものは思いきり広い意味に広げられ、(身体のそれを含む)説明されていない諸現象を追うのに、鋭い観察力とすぐれた手技を持つことを追求者に要求する「現場(フィールド)」研究の一切合財を含むものと思っていただこう。そういうことになれば、そのすべてが感覚的な追及であり、かつ手の技でもある美術も医学も、そして博物学も皆、目下の目的のためには一線上に並ぶものということになろう。それら皆、実際的で、量化不能、比量的でない自然観を含み、具体的な対象を持ち、具体的な対象を相手の操作に力を発揮するものたち、と言い換えてもよい。知られざるものについて推測をめぐらせたり、それを具「体」化してみたりするために、それらすべて、さまざまなメタファーをつくり出す必要があるはずなのだ。

量化不能なものだからデータによる可視化は当然まだだ。そして、まだカメラもない時代である。視覚化しようとすれば、そこには美術の領域の技術が欠かせなかった。見える化しようとすれば描くしかなかった。だから、18世紀は美術の役割が変化しはじめた時代でもある。

身体の見える兆候、しるしに対して目が向くのは必然だった。ラファーターの観相学、身体にあらわれるさまざまな病気の兆候、そして、奇形や肌の色。見えるものによって病気を識別し、コントロールしようとする思想が社会に定着していく。
折しも百科全書の流行の時代でもある。描かれた病気の兆候はさまざまな形の百科全書的な書物のページを通じて世の中に流布していったのだ。

裸形の図式にしろモザイク状の糾合体にしろ、これら2タイプの抽象作用は、新古典派のシステム化狂い、多様きわまる仮象の下に原型の所在を透視したいというロマン派の強迫をともに分かちもっていた。各種辞典、技術指導書、ひな型本、習字やドローイングの指南書などが教授可能な基本要素のロジックなり普遍文法なりを追求し始めた。基本的なデザイン要素のアルファベットであると同時に、不易の暗号の形而上学でそれらはあった。アートはこうして同時に、世界に教え、世界を改革することができた。

のちにナチがプロパガンダで大々的にイメージ戦略を展開したのも、この延長にあるものだといえるだろう。データによる見える化以前の生政治的管理にはアートが欠かせなかったのだ。

4.ドイツ悲劇の根源(上)/ヴァルター・ベンヤミン

近代の君主権概念が、最終的には、王侯のもつ至上の執行権に行きつくのに対して、バロックの君主権概念は、非常事態〔例外的な状態、戒厳〕をめぐる議論から発生してきており、非常事態を排除することが王侯の最も重要な機能である、とするものである。支配する者は、戦争、反乱、あるいはその他の破局的な出来事が非常事態を惹き起こした場合、この非常事態における独裁的権力の占有者たるべく、すでに前もって定められているのだ。この措定は、反宗教改革〔期〕的である。

ベンヤミンがこの『ドイツ悲劇の根源』で描くのは、スタフォードが描いた18世紀より1世紀前の17世紀のヨーロッパだ。つまり啓蒙の時代を経て勃発するフランス革命が妥当すべき絶対王政が確立する時代である。
皮肉なことに、絶対王政から共和制に移行するなかで、人権の確立と同時に、生まれたままの生を管理対象とする政治体制が確立することになったわけだ。

しかし、この絶対王政そのものが、ヨーロッパ全体を巻き込んだ宗教対立、それに伴う各国の王侯による覇権争いという非常事態に対処するためのものとして、確立してきたものだということも忘れてはならない。特に緊急事態宣言こそ解除されたものの、いまだ非常事態であるこのコロナ禍の社会においては、非常事態への対処のため、絶対王政が生まれ、まさにベンヤミンがこの本を書いていた時期にナチが台頭してきていたという歴史をちゃんと知っておいたほうが良さそうだ。

専制君主のなすべき務めとは、非常事態における秩序の原状回復ということであり、これはつまりひとつの独裁にほかならず、変転してやまぬ歴史経過に代わって、もろもろの自然法則の鉄のごとく堅固な体制をしくことが、つねに、この独裁のユートピアであり続けるだろう。

非常事態を解決し秩序の原状回復をはかるには、それなりの政治的リーダーシップが必要になることをいまの僕らは実感として理解している。しかし、その強力なリーダーシップはともすると容易に独裁に結びつきやすいものでもある。いまANTIFAの活動に注目が集まっているのもその意味では自然なことだとも言えるだろう。

ところで、世の中が絶対王政に移ろうとしていた時代、バロックの悲劇は世界をどう描いたのか?
ベンヤミンはそれを神の時代を描いたギリシア悲劇との違いとして、歴史の時代を描いたものとして提示する。

「この絵画的な時代な歴史観全体を期待しているのは、記憶に値するすべての事柄をそのように集成する、というやり方である」。歴史が舞台で世俗化されるとすれば、そこには、やはりこの時代に精密科学において微積分法に行き着くことになったのと同じ形而上学的傾向が現われている。舞台においても精密科学においても、時間的な運動過程がひとつの空間イメージのなかに捉えられ、解析されるのである。舞台のイメージ、厳密に言えば宮廷のイメージが、歴史的理解の鍵となる。宮廷が最も内部の舞台だからである。

18世紀の百科全書の流行、博物館や美術館システムが確立を可能にする前提となる動きがこの17世紀には起こっている。つまり16世紀からヨーロッパで流行していた「驚異の部屋」的な、好奇なものを集めて並べる趣味の流行である。

ようはさまざまなものをテーブルの上に並べてみて俯瞰しながら、ああでもないこうでもないとおしゃべりする文化がそこには誕生している。

歴史的事象をそうやって1つのテーブルに並べてみれば、それはある意味立派なデータベースである。歴史の時間がテーブルの上にで空間的なものに変換される。そこにデータ解析的な思考の萌芽があっても不思議はない。実際、その時代、ニュートンとライプニッツが同時に微積分法を確立していたりする。

ようするに、時代の変化がシミュレーション可能になったわけだ。変化は、神話の時代のように神によって突如もたらされるものではなく、歴史的、政治的力学によって生じるものと解されるようになった時代の悲劇がバロック悲劇だったわけである。

5.民主主義の非西洋起源について/デヴィッド・グレーバー

「民主主義」という言葉は、歴史のなかで実に様々な事柄を意味してきた。最初にこの言葉が作られた時には、それはコミュニティを構成する市民が集団的議会での平等な投票を通して意思決定を行うシステムのことだった。以後の歴史の大部分のあいだ、それは政治的無秩序、暴動、リンチ、党派的暴力について用いられた(じっさい、それは今日における「アナーキー」と同じ連想をかきたてる言葉だった)。この言葉が、国家に属する市民が自分たちの名において国家権力を行使する代表者たちを選出するシステムとみなされるようになったのは、かなり近年になってからのことだ。

フランス革命を先導した人たちは自分たちが「民主主義者」だとは考えなかった。いや、そう捉えられることをむしろ拒否した。
それは上の引用にあるように、民主主義とはもともとアナーキストと同じような無秩序な暴力的な意味合いをもっていたからだ。

先に書いたように、非常事態下においてそこからの回復を図ろうとする際、登場する強力なリーダーシップはともすれば独裁的になりがちで、それゆえにいま民主主義の大きな危機を迎えているともいえるのだが、その出自が実は「コミュニティを構成する市民が集団的議会での平等な投票を通して意思決定を行うシステム」であると同時に暴力的なものだったことを思うとき、このアフターインターネットの時代、ゲリラ的なコミュニティが生まれやすい環境ではいろいろ考えたくなる。

しかし、民主主義が暴力的だったというのは、次のような例を読むとき、すこし誤解がありそくだと気づく。

18世紀の海賊船の典型的な組織は――マーカス・レディカーのような歴史家の復元するところでは――際立って民主主義的なものだったように思われる。船長は選挙で選ばれるのみならず、一般に、アメリカ先住民の戦頭(いくさがしら)とかなり似た役割を果たしていた。追跡や戦闘のあいだは全権を与えられていながら、平時においては一般の乗組員と同格の扱いだったのである。(中略)とにかくどんな場合でも、究極の権力は総会が持つものとされ、大抵はこの全員参加の会議が、きわめて些細な問題に至るまで裁定していた。裁定の手段はつねに、挙手による多数決だったようだ。

海賊のような、政府側からすれば暴力的に思えるコミュニティにおいて、その内部の統制をはかる方法として民主主義的方法があったのだとすれば、それは必ずしもその統制方法自体が暴力的なものとはならない。むしろ、上で描かれている仕組みはきわめて平和的なもののようにすら思える。

このように見たとき、アフターインターネットの時代のコミュニティ内部の統制の仕組みとして民主主義はちゃんと機能するのではないだろうか。
それはある意味企業というシステムに代わり、生産を担う創造的なコミュニティを機能させるためのOSとしても使えそうだ。

そして、そくしたコミュニティがさまざま成立してきた際、次にはコミュニティ間のコンセンサスを如何にして確立可能にするかが課題となるであろう。
以下で修正コンセンサスと呼ばれるものだ。

多数決の支持者とコンセンサス・プロセスの支持者のあいだの対立のような、過去の苦い対立の一部は、おおむね解決されてしまった。いやおそらくより正確に言うなら、次第に意味のないものとなってきたように思われる。というのは、ますます多くの社会運動が、小規模の集団内部においてのみ完全なコンセンサスを用いつつ、大規模な連合に際しては様々なかたちの「修正コンセンサス」を採用するようになってきているからだ。

テリトリー争いの問題が表面化し、かつ非常事態からの回復が課題となっている社会において、ビッグデータを握るものによる独裁や生政治の強化を回避するためにも、生体データの保護も含めて自治的なコミュニティをいかにして確立し、かつコミュニティ間の修正コンセンサスを働かせる仕組みをいかにして確立していくかが、この持続可能性の問われる世界における大きな課題だろう。

B.図像の政治

6.ルネサンス庭園の精神史/桑木野幸司

実はトリーボロの初期案では、ここには養魚池のみを想定していた。そこに浮島を設置したのはヴァザーリで、その上に山脈の擬人像を置くというアイデアも、おそらく彼の頭から出たものであろう。(中略)なぜなら、これによって庭の北端がアペニン山脈すなわちトスカーナ国家の領土北限を、そして養魚池はその山脈に発する諸河川の水源を象徴的に表すことになったからだ。以下に見るように実はこうした地誌の再現こそは、トリーボロの造園の主要テーマであった。すなわちこの庭園は、メディチ家が統べる領地のミニチュア・モデルとして構想されていたのだ。だからこそ、理想の庭づくりが、理想の国家建設とパラレルで語りえたのである。

さて、時代を遡ろう。
いかにして人間が政治的な管理のしくみを確立していくか。特にその管理の方法に視覚表現技術を取り入れていったのかを理解するために。

その観点でみたとき、ルネサンス期のイタリアにおける庭園術の流行は示唆に富んでいる。
上の引用にあるように、当時の王侯貴族たちは趣味の庭づくりを国家の建設に重ねあわせてみる傾向があったからだ。もちろん、それは領主たちだけの傾向というより、庭づくりにあたった建築家、芸術家にも同様の傾向であったことは上の引用にみるとおりである。

こうした傾向がのちのナチによるプロパガンダにつながっていくことを見るのは容易だ。

しかしルネサンス期のイタリア庭園が展開する規模はもうすこしこじんまりとしていたのも事実である。
当時のイタリアは統一されるはるか前の、複数の専制君主国家が乱立する時代で、フィレンツェやミラノ、ナポリやヴェネツィアなど、それなりに周囲に影響をもつ邦はあったとしても、そうした国同士が牽制しあう状況でもあった。
それぞれの君主が目指した統治も必然的に、それぞれの小さな国の内部にとどまった。

それは法王の管轄にあったローマでも同じだった。
カトリックの総本山であったヴァチカン宮殿の庭でさえ、その影響範囲はそれほど広い範囲ではなかった。
けれど、そこにはバロック期の絶対王政に利用されることになる視覚化の方法が確立しはじめていたのも事実だ(代表的なのは言うまでもなくフランス絶対王政の象徴ともいえるヴェルサイユ宮殿の庭だ)。

そのスペクタクルをもっとも理想的なかたちで享受できたのが、ヴァチカン宮殿の「署名の間」である。中庭の大空間が生み出す遠近法的景観は、すべてこの部屋から見たときの視覚効果を計算して設計されていた。逆に言うなら、ここから少しでもずれた場所から見ると、ゆがみが生じてしまうということだ。ここにはやがて17世紀の王権バロックにおいて顕著になる、「視」がはらむ権力の構造が隠れている。法王とその側近中の側近のみが賞玩し得た特権的景色は、そのまま権力のまなざしと結びつく。なぜなら古来、王が「視る」ことはそのまま所有の正当性を宣言することに等しいだったからだ。だからとりわけ専制権力政体への流れが加速するルネサンス期以降、風景の問題が建築の計画と密接に関わってくることになる。

風景の問題が建築の計画、さらには、国家による臣民の統制の問題にも重なってくる。王のいる一点から王国のすべて、臣民の様子を一望できるような、のちにベンサムがパノプティコンとしてアイデア化したような監視装置がここで確立しはじめる。

この臣民の様子が見える化できるしくみが生まれたからこそ、18世紀における生政治の誕生が可能になったのだとも言えるだろう。そして、フランス革命はある意味、このルネサンス以降成立してくる一望監視のしくみを王から奪いとっただけであったとさえ見ることが可能だ。

しかし、この統治のしくみは、18世紀の医学がいまだ魔術的であったのと同様に、古代から続く魔術できない面もあわせもった博物誌的な知識体制にとらわれたままでもあった。

どれでもひとつ掲載項目の鳥類の解説を読んでみるなら、そこには学術名称、個体の地域差、生態、鳴き声の特徴、食性、品種間の捕食関係など、いわゆる直接観察や比較解剖学的な研究に基づく科学的データが羅列されている一方で、その鳥にまつわる文献由来の情報、すなわちエンブレム、形容辞(エピテット)、メタファー、ことわざ、ヒエログリフ、異教の伝承、観相学、アレゴリー、予兆などのトピックが分け隔てなく並んでいる。

そう。そこには自然の様相のなかに隠れた秘術を読みとろうとする、ヒエログリフ解釈やアレゴリー的な思考がべったりとこびりついていたのである。

7.政治的イコノグラフィーについて/カルロ・ギンズブルグ

自然状態においては、人々は実質上平等であり、同一の権利をもっている(それらのうちには攻撃と自己防衛の権利もある)。このため、人々は絶えざる戦争状態、「一般的な不信」と「相互的な恐怖」の状態のもとで生活している。この耐えられない状態から人々は自分の権利の一部を放棄することによって脱出する。契約を結んで無定型な群衆をひとつの政治体に変えるのである。こうして国家、ホッブズがリヴァイアサンと呼ぶことになるものが誕生する。

17世紀のイギリスにおける清教徒革命から王政復古の時代にトマス・ホッブズのような思想家が登場し、国家を聖書に登場する怪物リヴァイアサンと重ねあわせたのもそうした時代背景があったからでもある。

上の引用にある「耐えられない状態から人々は自分の権利の一部を放棄することによって脱出する」という箇所などはすでに、ベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』を論じた際に話題にあげた、非常事態からの回復という主権の担う役割にそっくりそのまま対応している。ここで人民が自分の権利を投げだすことで怪物が生まれるのだ。

以下で指摘されるように、ホッブスは国家に必要なのは、単に力だけではないことを発見した。「可視の神」、すなわち可視化のための視覚表現技術が国家の力の増幅、浸透には不可欠であることを当時にしてすでに見抜いていたわけだ。

ホッブズは国家の起源についての世俗化された解釈を初めて提起することによって近代的な政治哲学を創始したといわれる。わたしがここで提起した読解はこれとは異なる。ホッブズにとって、政治的な権力は力を前提としているが、力だけでは十分でない。国家、畏怖から産み出された「可視の神」は、恐怖を呼び起こす。これは畏怖と崇敬が分かちがたく混ざり合った感情である。自らを正当な権威として提示するためには、国家は宗教の提供するいくつかの道具(武器)を必要としている。このため、国家にかんする近代の省察は政治神学を軸として遂行されるのである。そして、この伝統を創始した人物こそがホッブズだったのだ。

ギンズブルグは、このホッブスの例のほかにも、ルネサンス以降の歴史において図像が政治に利用された例をいくつも紹介している。新古典派の画家ジャック=ルイ・ダヴィッドによる「マラーの死」、そして、ピカソのゲルニカなど。
見える化するということは同時に、何か別のものを見えなくすることでもある。そうした印象操作のために視覚表現はしばしば政治に利用されてきたのである。

8.アルス・ロンガ/ペーター・シュプリンガー

1838年12月5日の最後の遺書で、自分の作品の雛形と複製およびコレクションをコペンハーゲン市に寄贈することを正式に表明した。この寄贈には、トルヴァルセンの作品とコレクションのみを収める独立した美術館を建て、トルヴァルセン美術館と命名するという条件が付き、所蔵品を減らすことも追加することも禁じられている。

デカルトの使った言葉がいまのフランス語の土台となったり、ダンテがトスカーナ語で書いた『神曲』も同様にイタリア語の基盤になったりと、ラテン語から俗語への移行は、近代国家の成立の条件のひとつになったといえる。

同様に、視覚表現的にも、国民的芸術家を生むことは近代国家のアイデンティティ確立に貢献するものだ。
デンマークにおいて、その役割を果たした芸術家のひとりがデンマーク出身の彫刻家のベルテル・トルヴァルセンである。

トルヴァルセン自身、長年暮らしていて制作の拠点ともなっていたローマに、自身のアトリエをベースとした美術館をつくる構想を当初はもっていた。
それを翻して故郷であるデンマークでその構想を実現することになったのは、民主国家への道を歩みはじめていたデンマークの政治的事情も重なってのことである。

民主的国家となる途上にあったデンマークの政治情勢がトルヴァルセン美術館の建設を後押しした。全欧的名声を獲得していた美術家トルヴァルセンの作品をそのコレクションとともに収める美術館は、国民の寄付を募って建設された。デンマーク最初の公的美術館として、国家のシンボルになると考えられたのである。(中略)自由な国の自由な市民が主導することによって、トルヴァルセン美術館は国家のモニュメントとしてのアイデンティティを獲得した。

このように、政治的事情が芸術家やその作品を国家の政治的側面に利用される例がこの本ではいくつも紹介されている。

その一例としては、ローマのパンテオンやパリのパンテオンも含まれる。
いずれもキリスト教の聖堂としての経歴をもっていたが、ある時から芸術家を祀る機能に変更されている

パリのパンテオンは当初、キリスト教の聖堂として建てられた。ルイ15世(在位1715-74)は、病気快癒を謝すために、聖ジュヌヴィエーヴへの聖堂の奉献を誓い、1755年、建築家ジャック=ジェルマン・スフロ(1713-80)に設計を依頼した。そして、それは1790年、完成する。
しかし1791年、フランス革命の指導者の1人ミラボーの死にさいし、国家に顕著な貢献をした英雄やフランスの誇る著名な知識人、文化人を埋葬し、顕彰、記念する殿堂パンテオンに変わる。(中略)その後、パンテオンは19世紀のうちに2度、キリスト教の聖堂に戻り、ヴィクトル・ユーゴー(1802-85)の埋葬にさいして1885年、再度、パンテオンとなり現在にいたっている。

国家として芸術家を祀ることにより、芸術という、人間自身より息の長い生命をもつ存在が国家のアイデンティティを保証するものとして機能するのだ。

C.王と道化

9.道化の民俗学/山口昌男

日常的価値体系に組み込まれないものに対して、「歴史性」のなかで、人は、悪い、滑稽な、馬鹿馬鹿しい、穢らわしい、賤しい、醜い、汚い、薄気味悪い、怖い、危険な、反革命的、といった形容詞を貼りつけて、日常世界の「境界」に押しやって来た。

アイデンティティを固定化、正当化しようとするうごきがある一方必ずそこから逃れる、はみ出るものが出てくる。
そこに境界ができ、その境界そのものが法を強化することになる。

はっきりと境界の内のもの、外のものと識別できるものは問題にならない。問題は境界の内外を行き来する曖昧な存在であり、それが道化である。

道化は境界を超えて、内から外、外から内へと移動するので、その動きによって秩序が、正統性が混乱を来たす。善悪の境が曖昧となる。

しかし、その境界を超えていく道化の動きが、内に芽生えた悪を外へと運びだし、内側を浄める役割も担うことも忘れてはならない。
まるでヒーローみたいに。

だから、道化を世の中から締め出す行為はその浄化機能も同時に棄てることになる
いまも僕らがコロナ禍に悩まされているのも、この道化がいなくなってしまったからではないか?と思えてならない。

「異形の者」が家を経めぐって、グロテスクな形姿かつくり声で、関係を確立する。それで暴力的な身振り言語によって聖なる力を導入する。このような「よりしろ」に物を施すというのは物に添えて、日常の生活では好ましくない災悪を託して持ち去ってもらうことを意味する。これは心理的側面を重視すれば、「儀礼的侵犯」によるカタルシス作用が祝福するという行為と考えられることになるし、また身振り言語的側面を重視すれば、ここで演じられる非日常的「烏滸」の行為は、日常生活の「災い=悪」に形態的に対応し、それを吸収するのである。もちろん、このような側面は相補的なものである。道化はそのような責務を持つ。しかるが故に彼は積極的に侵犯することができ、また侵犯的行為の対象にもなるのである。従って物や金銭を渡すというのは考えようによって「厄介払い」の行為なのであって、「災い」をそれに添えて渡す「情けは人のためならぬ」意味を持つある種の侵犯行為であるとも言えるのである。

この禍を外に追いやる機能が、王と道化をつなぐものだった。

自然をうまく管理する機能を担っていたのが王だった。
神とうまく折り合いをつけて、自然を人間にとってよい実りをもたらすものになるようにするのが王の役割で、もし失敗すれば責任を取らされるのが王だった。
死をもってとらなくてはいけないその責任を、王に代わってとる役割が道化だったわけだ。
その意味で王と道化は裏表で一体だった。

またヒーローが出柄をなす前の、王の前身であるとすれば、ヒーローもまた道化とつながっている。

同時に人は、この日常世界は不完全なものであることは知っていたし、この認識が人間の行為の原動力にもなっていた。そして、この不完全な世界に高度の活性を賦与するためには、日常世界を構成するカテゴリーを侵犯し顚倒してみなければならないことも知っていた。ヒーローに日常世界を越えさせる活力を賦与するために、ヒーローの行為の規範と相容れない道化=からみ役をぶっつけて禁制の外へ逸脱させなくてはならない。

ヒーローもまた日常を超えて、日常を侵犯する
ヒーローが倒すべきは、日常の外にあるものだが、その外部にあるものこそ、いまの穢れた日常をつくるのもその外部にあるものだ。

アガンベンが『ホモ・サケル』において、「例外化」と呼んだ一種の排除がそれだ。アガンベンはいう。「例外をまさしく例外として特徴づけるのは、排除されるものが、排除されるからといって規範とまったく関連をもたないわけではない、ということ」だと。
そして「規範は、宙吊りという形で例外との関係を維持する」ことで、穢れた日常が維持される。

ヒーローが倒すべきはこの排除された例外なのだ。

10.道化と笏杖/ウィリアム・ウィルフォード

人間の怪物性を嗜好するこうした貴族趣味は下って1566年に至るまで栄えた。この年、枢機卿ヴィテルリがローマで催した大饗宴に、ほとんど全てが奇形の侏儒たちが34人もはべったのである。

この排除を見える形で内部に織り込んでおくこと。
それが古代以来、西洋でなら中世からバロックに至るまで、かつての宮廷に道化や侏儒などのフールと呼ばれたものたちがいた理由である。
境界に位置するものを内部に置くことで、内側が澱んで穢れすぎるのを防いでいたわけだ。

道化はみずからのフールな行いによって、内外をつなぐ役割をする。
神と交信できるのは、王と道化である。
ただし、道化の場合、その交信によって神さえも嗤う

聖なる権威に対する嗤いはインディアンたちのアメリカにはありふれたものであった。ヒエメス・プエブロの踊りでは、とうもろこし粉と花粉を撒く儀礼を真似て、クラウンたちが仲間たちの上に砂と灰を撒き散らしたと言われている。ズーニー族のネウェクエ・クラウンたちは神々の前でスペイン語ないし英語を喋るが、これは普通の人々には禁じられている。かつては間に合わせの電話を通じて、(神々は喋らないと考えられていたのにもかかわらず)神々と会話している振りさえしたのである。

嗤いによって、日常的な秩序や道徳、法やルールが宙吊りになる
上下が逆さまになり、大食や色欲、下品や悪巧みが許される。まさにカーニヴァル的祝祭世界を司るのが道化の役割である。

上下が逆さまになり、日常がいったん休眠するところから、また新しい日常が始まる。
それは冬の休眠を挟んで春になる自然の営みをトレースしている。

そして、その役割を担うのは王もまた同じなのだ。
だからこそ、王と道化は表裏一体なのである。

多くの豊穣の神(と女神)が、冬の不毛から春の新生という自然の変化に対応するような形で死に、また蘇るのと同様、中心の力の体現者たる王も同じ過程を演じてきた。そして不毛性は王の力に対する愚弄であるが故に、王は非常に早くから、自然の大災害の脅威を体現し、あまつさえ計算ずくで人々の愚弄の対象となる分身を持つようになったのである。短い期間のあいだ王の権威の幾ばくかを与えられた後、贖罪山羊として虐待され、殺されさえする身分低き者、すなわち偽王の制度こそが、1人の王が、重荷の下に滅び、超自然的に蘇るという、もっと古代の複合体内部の役割が分化したものである。

道化がいなくなればこのサイクルが世界から失われる。自然の休眠と再生のサイクルに支障があれば、持続可能性が危うくなるのは当然だ。
古い秩序を壊すヒーローがいなくなれば、過去の遺物がいつまでも更新されることなく残り再生のサイクルは停滞する。

道化が王の宮殿から、その宮殿もろともなくなったのが、バロック以降、絶対王政が終わる時期だ。
そこから産業革命まではもう直ぐだ。
それはアントロポセン(人新世)のはじまりの時でもある。

11.ドキュマン/ジョルジュ・バタイユ

動物界の歴史では、唖然とするような変態がただ相次ぐだけであり、そこには人間の歴史に特徴的な決定要因、つまり哲学、科学、経済条件の変様、政治や宗教の革命、暴力と錯乱の時代……を思わせるものは、見たところなにもない。さらにそれらの歴史的変化は、まずは因習的に人間に与えられた自由に属するのであり、人間とは、行動と思考において逸脱が認められた唯一の動物なのである。

排除されたものは何か?
それは人間以外のもの、非人間だ。
とりわけ動物は人間とは別物として境界の外に追いやられた。

その排除された動物界においては、「唖然とするような変態がただ相次ぐだけ」とし、なんでも秩序化し固定化したがる人間と大違いであるのを指摘するのは、ジョルジュ・バタイユである。

変化しかない動物的世界に対して、秩序という固定化による自然からの逸脱を可能にしたのが人間というなら、おそらくその人間と動物的な世界をつないでいたのが道化の役割だっただろう。
なのに、秩序の崩壊や混乱や曖昧さを嫌って、道化的なものを排除した啓蒙の時代以降の人間社会は、その排除によって、ある意味、ラトゥールが言うように、地球を宇宙にただようただの丸い物体化してしまい、地表数キロの厚みしかない生命の営みを見えなくした、見える化の別の面としての「見えるようにすると同時に、別のものを見えなくする」ということを、この上なく成功させたことになるだろう。

それがアントロポセンのはじまりだ。

ヒーローが倒すのは怪物である。

しかし、それはどんな怪物だろう。
ホッブスのリヴァイアサンのような外部なのか、科学が生み出したフランケンシュタインのような怪物か。
そもそも怪物とは何か?
いや、怪物性を逃れるものとは何で、怪物と怪物でないものの境界はどこにあるのか?

ゲオルク・トロイは、「平均的イメージと美」において、複合イメージが構成要素の平均よりも必然的に美しいことを指摘して、両者の関係を明確化していた。たとえば、凡庸な20人の顔から美しい顔が構成されて、プラクシテラスのヘルメス像と非常に近い比例性を備えた顔が難なく得られるのである。このようにして複合イメージは、必然的に美しいプラトン的イデアに一種の現実を授けるであろう。同時に美は、共通尺度のような古典的な定義に従属しているであろう。しかし、個人の形態はそれぞれにこの共通尺度から逸れていて、ある程度は怪物なのだ。

秩序の境界をはみ出るものが怪物であるのなら、誰もがそれなりの怪物性をもっている。
そして、その怪物性は人それぞれ異なり、自分を中心とした怪物/非怪物の境界線を引いたのなら、いろんな形で怪物と非怪物の判定の結果がありえる。

ここで利他性の問題が生じる。
非怪物の境界線の外にあるもの、自分の秩序や価値観の外にあるものにそれなりの配慮ができるかどうか。言い換えれば、自分のテリトリーをその怪物たちにどこまで開放してあげられるか。
移民の問題、格差の問題、そして、気候変動によって生存可能領域が狭まることによる問題として、ラトゥールが指摘することが、この怪物/非怪物の判定にも絡んでくる。

道化を排除し、境界線をあやふやなままにして、うまいこと変形可能なままにしてくれていた者を葬ってしまったばかりに、いまや境界はあまりに強固なものとして、まるで牢獄のように人間を閉じこめ、そのなかで持続可能性のカウントダウンを黙って聞くだけの状態にされてしまった
定形化された環境はあまりに窮屈だ。

それが指すものはいかなる意味でも権利をもたず、いたるところで蜘蛛やミミズのように踏みにじられてしまう。実際、アカデミックな人間が満足するには、世界が形を帯びる必要があるだろう。すべて哲学というものは、これ以外の目的をもってはいない。つまり、存在するものにフロックコートを、数学的なフロックコートを与えることが重要なのだ。それに対して、世界はなにものにも似ていず不定形にほかならない、と断言することは、世界はなにか蜘蛛や唾のようなものだ、と言うことになるのである。

本当は、世界は蜘蛛や唾のように不定形なものだ。
そうであるからこそ、世界は持続可能性をもっていたはずである。
世界を丸い地球だと勘違いしてしまったからこそ、アントロポセンの危機ははじまった。

12.千の顔をもつ英雄/ジョーゼフ・キャンベル

英雄はごく日常の世界から、自然を超越した不思議の領域(X)へ冒険に出る。そこでは途方もない力に出会い、決定的な勝利を手にする(Y)。そして仲間(Z)に恵みをもたらす力を手に、その不可思議な冒険から戻ってくる。

この図式が本書の著者キャンベルが「モノミス」と呼ぶ神話の原形である。
「英雄な神話的冒険がたどる標準的な道は、通過儀礼が示す定型――分離、イニシエーション、帰還――を拡大したもの」だ。

道化とヒーローが表裏一体だというのが、ここでもわかるだろう。

しかし、ヒーローとは何も特別なものではない。
イニシエーションを経て大人になる誰もが本来ヒーローなのだ(つまり道化でもあり、ヒーローに倒される怪物でもある。そしてのちに言及するように非人間でもある)。

そして、このイニシエーションを通過する過程をうまく経ることができなくなった現代人は、内外へどう対処していいかわからず、利他性をもてず、争いや癇癪を起こしてしまう

人生の状況にことごとくうまく対応できないのは、結局、意識を抑制しているからに違いない。争いや癇癪は、無知が為す当座しのぎの手段であり、後悔は遅すぎた啓蒙である。英雄の通過というどこにでもある神話には概して、男にも女にも、成長段階のどの位置にいるとしても、誰にでも通用するパターンとして役に立つ、という意義がある。(中略)自分にとって人食い鬼はどこにいるのか。それは、その人のまだ解決していない人間性の謎を映し出すものである。自分の理念は何だろう。それは、生の把握を示す兆候である。

自分にとっての人喰い鬼を僕らは見失ってしまっている。それらに対してどう対処していいかがわかっていない、僕らは自分たちの道化性や動物性をうまく引き出せなくなっているのだ。

そして、英雄になれなくなった僕らは、過去の遺物を清算する能力も失ってしまったのではないか。
それゆえに過去の負債を償却できないばかりか、いまだに負債を生み出す古い仕組みを廃棄もできなければ、負債が生まれるスピードは増してどんどん積み重ねるばかりだ。
あまりにヒーロー力が足りなさすぎる。

なぜなら、神話の英雄は、すでに生まれたもののために戦う戦士ではなく、これから生まれるもののために戦う戦士だからである。英雄に殺される龍は、まさに現状を守る怪物であり、過去の守護者にほかならない。英雄は闇から現れるが、英雄の敵は巨大で権力の座にある。竜であり専制君主である敵は、自らの権力を利用する。過去を守る者だからではなく、過去を守り続ける者なので亡者と呼ばれるのである。

キャンベルのこの本を呼んで、ジョージ・ルーカスが「スターウォーズ」の構想を立てたというのは有名な話だが、残念ながらすでにこの世界にジェダイはいないようだ。
これから生まれるものたちのために、過去を守る亡者を倒すヒーローはもうここにはいない。

13.ボーリンゲン 過去を集める冒険/ウィリアム・マガイアー

何年も後でエリアーデはエラノスの学恩に感謝するが、そこが「現代西欧世界で最も創造的な文化経験の1つだからだ。あらゆる多彩な研究領域でなされた進歩を1つの包括的な展望に統合しようとするこれに匹敵し得る学者たちの切れ目ない尽力が他のどこに見出せるだろうか」。

キャンベルの研究が可能になったのは、ボーリンゲン基金による支援があったからだ。
キャンベルに限らず、ボーリンゲン基金があった1940年代半ばから1960年代の半ばまでのあいだ、基金の恩恵を受けて世に出た研究は数多く、自身の研究を発展させた研究者は多い。

ボーリンゲン叢書第1巻が世に出て20年がたった1963年だが、基金の支出は3年続けて100万ドル越えの142万263ドル(叢書の売り上げ13万180ドルなど焼け石に水)。メロンは年毎にあく穴を埋めるのに必要な資金を投入した――大体は国債と湾岸石油の株からである。

こうした膨大な資金をもとに、ボーリンゲン基金のもとでの人文学的研究は、100作を越えるボーリンゲン叢書に結実している。

主なものだけでも、『C・G・ユング著作集』『エラノス年報精選論文集』をはじめ、ヴィルヘルム/ベインズ訳『易経』、先のジョゼフ・キャンベル『千の顔を持つ英雄』、エーリヒ・ノイマン『グレート・マザー』、ミルチャ・エリアーデ『永遠回帰の神話』、鈴木大拙『禅と日本文化』、ハインリヒ・ツィンマー『インド・アジアの美術』、ケネス・クラーク『ザ・ヌード』、E・H・ゴンブリッチ『芸術とイリュージョン』、ナボコフ訳/プーシキン『エヴゲーニ・オネーギン』、ダンテ『神曲挿画入り手稿』、『プラトン対話篇集成』『ヴァレリー著作集』『コールリッジ著作集』など。

もしボーリンゲン基金がなかったら、これらの作品が世に出なかったのかもしれないと思うとゾッとするような人文学の歴史において重要な作品ばかりがその叢書のラインナップには並ぶ。そう、ボーリンゲンがキャンベルを支援しなかったら、長く続くスターウォーズ・サーガも生まれなかった。

このボーリンゲン基金もまた時代を更新する役割を担った道化的な存在だったように思う。

D.アレゴリーの宇宙論

14.ドイツ悲劇の根源(下)/ヴァルター・ベンヤミン

感性的な美しい自然に、不自由さ、未完成さ、そして断片性を認めることは、古典主義にはその本質からして当然拒まれていた。だが、まさにそうした点こそを、バロックのアレゴリーは、その途方もない華美にくるんで隠しながら、以前には予感さえされなかったほどに強調しつつ呈示するのである。

さて、ふたたびベンヤミンの『ドイツ悲劇の根源』の登場だ。
今度は下巻なのだが、こちらではバロックのアレゴリーの問題が語られる。

すでに『ルネサンス庭園の精神史』でも触れたように、ルネサンス以降、自然の顕在化した表象の裏に、隠された秘密を読み解こうとするアレゴリー的な思考が定着していた。

エジプトのヒエログリフをそうした秘密を秘めた文字として見て解読を試みたり、カバラの数秘術などから同じように自然に隠された秘密を解読しようという試みが多くの著名な学者を巻き込んで行なわれた。

『隠秘哲学について』などの著作で知られる16世紀ドイツの哲学者かつ魔術師ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ、17世紀イギリスの数学者であり天使と交感した霊媒師でもあったジョン・ディー、さらに時代を降れば18世紀のニュートンも白魔術に関心を示していたと言われる。

ここに挙げた人たちが数学や科学に貢献した人であるように、この時代、アレゴリー的な視点でこの世界の謎を解き明かそうとする姿勢はいまの自然科学者たちの姿勢とはっきりと線引きできるようなものでなければ、むしろ、こうした視点からやがて科学が分化していったというほうが良さそうですらある。

こうした魔術師的な思想をもった人たち同様なアレゴリカルな世界像をバロック悲劇の作者たちも大なり小なり持っていたというのが、ベンヤミンの指摘である。

ゆえに、上巻の紹介のところで書いたようにバロック悲劇が歴史的な事象をテーブルの上に並べて、そこから何かが浮かびあがるのを待つ仕草をしたとしても、それはそこから何かしらの秩序が構成されるのを待つというよりも、表層的な歴史の流れの背後にある、歴史を超えた自然の暴力的な貌が見えるのを待っているのだ。
その自然の猛威を解き放とうとするのがバロック悲劇の試みなのだと思う。
そして、それはそうした試みの歴史上最後のものかもしれない。

このような表意的な文字像のなかに呪縛された深い意味を、生気ある音声において解き放つことは、実際、この文学にはできなかった。その言語には、物質性が充満している。軽快な活気というものをこれほど欠いた文学は、他に決してない。(中略)つまり、この悲劇の文字は音声において浄化されることがない。バロック悲劇の世界は、むしろ、まったく自足したまま、己れ自身の重々しさの展開を心掛けるばかりなのだ。文字と音声が、極度に緊張した対立関係のうちに、対峙しあっている。

文字と音声の対立。
秘密の意味が閉ざされたヒエログリフのような文字に対して、劇中発せられる言葉はあまりに無力だ。

最初から声に出して演じられることなど、さほど期待していないかのように文字として書かれる悲劇。一方に演じられ、声に出されるものがあり、それと同時に、だが絡み合うこともなく、ただただ自足的に存在する書かれたものとしての劇。

ただ、その書かれた文字の背後から、歴史を超える自然の暴力が姿を見せるのを願う、魔術師作者の姿がそこにはある。
それは自らの道化性を失いながらも、いまだ道化的な存在を信じ続けることができた最後の時代の文学だったのかもしれない。

知見というこの衝動は悪の空虚な深淵へと下降し、そこで無限性を自身に確保しようとする。それは、しかしまた、底なしの沈思の深淵でもある。

しかし、この時代以降、自然の背後に隠されていた未知は消えてなくなる
すべては啓蒙の世の中で、白日の下にさらされて、わかったつもりになっていく。
道化のような曖昧なものは葬り去られ、ヒーローのようにやたらと無秩序な世界に赴きたがる者も厄介払いされる。
アレゴリーは消えた

それがアントロポセンという時代である。

15.綺想の表象学―エンブレムへの招待/伊藤博明

シュンボルムは長い間、古代人たちの秘儀において用いられてきた。(中略)これと同じ種類に属しているのが、ピュタゴラス派のシュンボルム、いわゆる「アレゴリー」であり、アルチャーティの「エンブレム」がそう呼ばれているような「謎」であり、また「慣習的な徴」である。これらは秘儀に満ちており、人生であれ特徴であれ、万象の適切で秀逸な例を含んでおり、見識のある人々には明らかにされるが、無知な人々には知られないままである。

すこし時計を巻き戻そう。
ふたたびアレゴリーの時代へ。

アレゴリーが具体的な表現の形を成したものが、ルネサンス期からバロック期にかけてヨーロッパにおいて流行してエンブレムである。

なにかしらを秘めたような絵柄とテクストからなる混成物であるエンブレムは上の引用にあるとおり、誰もがその意味を知れるものではなく見識ある者のみがその意味を解き明かせるようなアレゴリー的な性格をもっていた。

エンブレムで描かれた図像は、古代からの博物誌や聖書をはじめ、さまざまな神学書で語られた記述の影響を強く受けていた。
いや、そうした過去の書物の知の体系に雁字搦めにされていたといってよい。
というより、すべての知がひとつにつながっていたのだ、極大のマクロコスモスから極小のミクロコスモスまで。

『ピュシオロゴス』は、動物、鳥類、昆虫、鉱石の特性について述べた書物である。その中には獅子、鷲、蟻などの実在の生物に混じって、サラマンダー(火蜥蜴)、ユニコーン(一角獣)、ミュルメコレオン(獅子蟻)などの想像上のものも含まれている。この点では、プリニウスの『博物誌』に類似しているが、『ピュシオロゴス』の目的は百科事典的な記述ではなく、これらの生物(および非生物)がもつキリスト教的な霊的・神秘的な意味の解読なのである。

古代から続く博物誌的な土台に乗りつつも、その意味はキリスト教的な読解へとつながれた不可思議なアレゴリーの世界がエンブレムの表現には展開されていた。
それは大きなひとつの円環を描いて、ひとつの宇宙のなかに収まっていた
道化が行き交う内も外も、その円環のなかで、顕在化したものと秘匿され潜在的にあるものという2つのあり方で。

それなのに、秘匿された側だけが外に追いやられ例外化されたとき、この円環は破壊され歪む。
まるでケプラーが見つけた楕円軌道のように、歪んで、そのうちアレゴリーの消滅とともに破壊されるのだ。

神の死が宣告され、人間の時代がやってくる。
その名こそがアントロポセン。

地球は楕円軌道を描いて太陽の周りをぐるぐるまわるただの青い球体となり、クリティカルゾーンで生きるものたちの営みは忘れられた。

E.ポストヒューマンの生態学

16.植物の生の哲学/エマヌエーレ・コッチャ

植物は、わたしたちの文化を定義づける、こういってよければ形而上学的な衒学趣味からすると、常に開いた傷口のようなものだ。抑圧されたものの回帰といってもよい。(中略)植物は、いわば人間中心主義の宇宙に生じた腫瘍、絶対的精神をもってしても廃絶できない廃棄物なのである。

さて、過去に目を向けてきたこの話もようやくここで現在の時間に戻ってくることができた。
産業革命以降、あまりに人間中心的な振る舞いを続けてきた結果、気候変動をはじめとする環境問題に苦しみながら持続可能性を問われ、残されたテリトリーの奪いあいに終始する現在に。

そんな時代に、コッチャがこの本で描き出した、植物的視点というのは、まさにいま求められるポストヒューマン的な視点の可能性を大いに広げてくれるものだと思う。

かつて酸素の存在しなかった地球に、酸素をもたらしたのはほかでもない光合成をはじめて行ったシアノバクテリアだ。後に植物が生きるための方法にもなる、このシアノバクテリアがはじめた光合成によって二酸化炭素だらけだった惑星が酸素と海のある青い星になったわけだ。

だから、植物的にみれば、この星がそこにすむさまざまな生物含めていったい何をしているかといえば、呼吸をしているのだということになる。
そして、その呼吸は植物が存在しなければ成り立たないものだ。

息をするとは世界を作ること、世界に溶け込むこと、そしてその永続的な営為の中で、自分のかたちを再び描き出すことをいう。世界を知り、世界に浸透し、世界とその精気によって浸透されることをいう。世界を横断し、つかの間、その同じ跳躍でもって、世界を個別に経験する場となること。この作用は決して終わりとなることはない。世界は生物と同様に、息吹の回帰、その可能性の回帰にほかならない。まさに精気である。

息をすることで生き物は自分のかたちを形作る。
とくに植物は日々自分のかたちを変化させ続ける。バタイユが言っていたことが思い出されるだろう。人間以外は変化しかしていないのだという言葉が。その際たる例が植物だ。

植物の光合成によって、この世界そのものが呼吸する。その息吹がこの地表数キロしかないクリティカルゾーンで起こっていることだ。ただ、僕らはこの息吹のことをちゃんと知らない。だから、ラトゥールが人間ののみならず、非人間の営みもあわせて、記述を行う必要性を説くのだ。記述できるよう、僕らはこのクリティカルゾーン内の非人間を含めた営みを観察しなくてはならない。

息を吸い込むとは、わたしたちの中に世界を到来させること、つまり世界がわたしたちの内にあるようにすること、息を吐くとは、わたしたち自身にほかならない世界に、自分自身を投げ出すことである。世界に在るとは、わたしたちが知覚し、生き、夢見ることのできるすべて、将来的にできるかもしれないすべてを含みもつ究極の地平の〈内部に〉、単純に身を置くことではない。わたしたちが、生き、考え、知覚し、夢想し、呼吸し始めるとにから、世界はその無限の細部にこいてわたしたちの内にあり、物質的・精神的にわたしたちの身体と魂に浸透して、わたしたちを成立させるかたち、内実、現実をもたらすのである。世界は場所ではない。それはすべてがすべての中にあるという浸りの状態、トポロジカルな内在性の関係など一瞬にして覆す混合の関係なのだ。

世界とは「すべてがすべての中にあるという浸りの状態」であり、「トポロジカルな内在性の関係など一瞬にして覆す混合の関係」であるというのは、まさにアレゴリー的視点とともに破壊される前のあの円環の状態に近いのだろうか。
いや、おそらく、それともすこし違うのだ。あの円環は壊れるべくして壊れたのだ。あそこにもやはり、いまとは違う形での人間中心主義があったのだ。

では、「すべてがすべての中にあるという浸りの状態」であるよくな世界とはどんな世界なのだろう。
そのことを考えるためにも僕らはアマゾンの社会に目を向けて見なくてはならない。

17.森は考える 人間的なものを超えた人類学/エドゥアルド・コーン

異なった諸々の世界観ではなく異なった諸々の世界がある。

複数あるのは世界であり、世界観ではない。
西洋的な考えが逆に世界=自然こそがひとつであり、それぞれのものの見方、さらにはそこから生じる文化こそが複数あると考えるのに対して、アマゾニアの人びとは、精神=文化がひとつであるが、それぞれが生き世界はいろいろあると捉えるのだ。

しかも、そのひとつの精神=文化を共有するのは、人間だけでなく、森に住むジャガーやペッカリーも同様で、さらには森自体も同じように精神を共有し「考える」のだ。
まさに「すべてがすべての中にあるという浸りの状態」に近いのが、この考える森であるアマゾニアの世界ではないかと思う。

狩猟すること、漁撈すること、採集すること、栽培すること、および様々な生態学的な組み合わせを統制し食糧を手に入れることを通じて、人々は世界の中のもっとも複雑な生態系のひとつ――相互作用し、互いに構成的である異なるたぐいの存在に驚くほど満ちた生態系――に否応なく親しく関わることになる。そしてその関わりあいは、そこでのそれぞれの生をつくるおびただしい生きものたち――ジャガーに限らない――とのたいそう密なる接触へと、諸々の存在を引き込んでいく。すなわちこうした関わりあいが、人を森の生命へと引き込んでいく。さらに、あの森にある生命と、それとは違うものとして「あまりに人間的」だと私たちが考える世界とをもつれさせるのである。

この世界では、人も、ジャガーも、ペッカリーも、同じ精神をもった主体である。
それらは呼吸し続けることで、それぞれが生きる世界を持続可能なものとする。
生きるものだけがまわりで生きるもののことを知っている

逆に、まわりのことがわからなくなると、それはだ。
そういう彼らの視点からみれば、まわりのことをあまりに知らなすぎる利己的な僕らは死んでいるのも同然だ。
僕らに持続可能性が問題なように見えるのは死があまりに近すぎるからではないだろうか。

僕らはあまりに人間中心的すぎてまわりのことが見えなくなっている。
非人間のことどころか、人間同士ですら見えなくて、互いにつまらぬテリトリー争いを続けている。
そんなことしてもこの先長くはないのに、だ。

河川の中の環状の渦や結晶の分子構造の形成のように、自己組織的な過程に見られる規則性の増加へ向かう、より低い傾向も習慣である。そしてこれらの規則性を予知し利用し、その過程において、新奇な規則性の配列を創造するその能力をもって、生命は習慣獲得に向かうこの傾向を増幅する。この傾向は世界を潜在的に予測可能にするものであり、また結局は推論によっている、記号過程としての生命を可能なものとする。なぜなら、規則性の外観さえあれば、世界は表象可能になるからである。記号は、習慣についての習慣である。熱帯雨林は共進化した生命形態のつくる多くの層を通して、この習慣獲得の傾向を極限まで増幅する。

ここに書かれた自己組織化する自然の変化の規則性が、デヴィッド・グレーバーが『民主主義の非西洋的起源』で描き出した「修正コンセンサス」の話に近いと感じるのは僕だけだろうか。

習慣獲得という、おそらく「ひとつの精神」を現実に可能にしているしくみを、非人間的なものも含めた民主主義的コミュニティのなかに組み込み、それを通じて他のコミュニティとの関係性をもてるようになれば、いまとは異なる一歩が踏み出せる可能性はある。

それには、僕らはもっとアマゾニアの人びとに学ばなくてはいけない。
ポストヒューマンは間違いなく、ポスト西洋でもある。

F.ポストヒューマンの宇宙論

18.LIFE3.0/マックス・テグマーク

いつか人間レベルのAGIを作ることに成功したら、知能爆発が起こって我々は大きく後れを取るだろう。

しかし、そんな悠長なことを言っている時間が僕らにどれだけ残されているのだろうか。いや、環境問題に伴うタイムリミットのことではない。
人間を超えた強いAIイコールAGIの誕生によって、人間がこの地球での一番の知的生命としての立場を失うまでのタイムリミットが。

さまざまなポストヒューマンのなかで、最も理解不能な存在がこのAGIになることは間違いない。

なにしろ彼らは人間をこれほど悩ませている、地球における持続可能性など問題にすらしない可能性があるからだ。

というのも、彼らは彼ら自身が生きるためのハードウェアそのものも生産できる、はじめての生命体だからだ。テグマークはこの新しい生命体をLIFE3.0と呼ぶ。

これまでに私の心をもっとも掻き立てた科学的発見は、我々が生命の未来の可能性を大幅に過小評価していたと明らかになったことである。生命が数100年続いたのちに病気や貧困や混乱によって途絶えるというシナリオのみに、我々の夢や希望をとどめておく必要はない。生命はテクノロジーの助けを借りて、太陽系の中だけでなくこの宇宙全体で、祖先が想像していたよりもはるかに壮大にめくるめく形で何10億年も繁栄する可能性を秘めている。限界はないのだ。

僕ら人間は自分たちの生命を維持するため、ソフトウェアの変更をみずから行うことができる。
その能力を使って、産業革命以降のこの発展を可能にし、この地球の地質年代をアントロポセンの段階に進ませた。

そんな僕らはLIFE2.0である。
残念ながら、僕らは自分の生命の外に優れたハードウェアを組み立てる能力はあっても、自分自身の生命体そのものとなるハードウェアは作れないし、物質そのもののような素材をゼロから作りだすことは不可能だ。

しかし、LIFE3.0は自分の身体をゼロから作りだすことができる。
人間には不可能な素材をゼロから作りだすことができるし、その素材を用いて自分自身の身体そのものを作りだすことができる。

だから、彼らは地球に固執することもなく、どこかちょうどよい星で、自分の身体をつくったのち、そこに自分を転送すればいくらでも限界なく生き続けることができる
地球での生存可能性は、彼らにとってはすこしも持続可能性の問題にはならないのだ。

物理的観点から見れば、居住場所や機械や新たな生命形態など、未来の生命が作りたいと思うものはすべて、素粒子をある特定の形で組みあわせたものにすぎない。シロナガスクジラがオキアミを、オキアミがプランクトンを再構成したものであるのと同じように、この太陽系全体も、138億年におよぶ宇宙の進化の中で水素を組み替えたものでしかない。重力が水素を組み替えて恒星を作り、恒星が水素を組み替えてもっと重い原子を作り、その原子が重力によって組み替えられてできた地球の上で、科学的および生物学的なプロセスによって原子がさらに組み替えられることで、生命ができたのだ。
テクノロジーの限界に到達した未来の生命なら、そのような粒子の組み換えをもっと高速かつ効率的におこなうことができる。

さしあたって僕らにとって問題は彼らが僕らをどう扱ってくれるかだ。

彼らが「生きた人間をコレクションとして展示するかもしれない」と言い、にロンドン近郊に住む人々がキューガーデンに植物を見に行くのと、結局のところ変わらないのだ」と考えるのが、次に紹介する『ノヴァセン』の著者であり、半世紀ほど前にガイア理論を提唱した人でもあるジェームズ・ラヴロックだ。

19.ノヴァセン/ジェームズ・ラヴロック

コスモスについて知る能力をもつ生物を育むことができたのは、地球だけだとわたしは確信している。だが同時に、その存在が危機に瀕していることも確かだ。人間はほかに類を見ない特徴的な存在であり、だからこそ、自らがコスモスを意識するあらゆる瞬間を大事にすべきだ。とりわけ、コスモスの最大の理解者という至高の立場でいられる時間が急速に終わりに近づくいま、なおさらこの時間を大事にしなければならない。

この広い宇宙に生命体はほかに存在せず、人間はこの宇宙でひとりぼっちだとラヴロックは断言する。サノスがやってきて、この惑星の人口を半分にすることもないし、ほかの星からやってきた連中にこの惑星を侵略される恐れもない。
宇宙全体にとって、唯一の知的生命体である僕らは、だから、宇宙にとっての唯一の理解者である。

しかし、そんな僕らも「コスモスの最大の理解者という至高の立場でいられる時間が急速に終わりに近づく」のだとラヴロックはいう。
もちろん、そうなる可能性のひとつは気候変動による持続可能性の問題である。
しかし、もうひとつの可能性はテグマークが危惧したのと同様、人間を超えるAGIの登場によるものだ。

AGIが登場すれば、この惑星の持続可能性はさほど問題にならないというラヴロックの見解は、テグマークと変わらない。

しかし、ラヴロックは人間の言葉の特性がこのAGIの到来の障害になっているのだという。

「ことばというこの進化における素晴らしい贈り物は、どのように不利に働いたのだろうか?」とラヴロックは問う。
そして「それは主に、線形的な思考がドグマとなる一方で、直観がもつパワーが過小評価されるという結果をもたらしたのだと思う」と答えている。

そう。言葉を用いた思考方法では、『森は考える』で提示されていたような自己組織化が制限される。いわゆる直観が働かない
これと同じロジックでAIを機能させようとしたら、同じような自己組織化が生じず、急速な発展は期待できない。

しかし、人間を超えるAGIが生まれたのちには、この人間の言葉という制約にもはや縛られることはないだろう。AGIは人間的なコミュニケーションはしない。それはむしろアマゾンの森のコミュニケーションに近いのかもしれない。

顔から情報を得るのはテレパシーだが、それは何もミステリアスな出来事ではない。わたしたちは情報を電磁波スペクトルから取得している――この場合は可視光だ。それは常に起こっているにもかかわらず、わたしたちはコミュニケーションといえば言語能力のことしか思い浮かばない。サイボーグにはそうした制限がない。お互いのあいだを行き交ういかなる放射からも情報を取ることができるだろう。

言葉によるコミュニケーション、図像を用いた情報操作、そうした人間的思考法を超えたところに現れる新しい生命体はいったい、どのような世界を組織していくのだろうか

それがどんな世界かはわからないが、ラヴロックはそれをアントロポセンののちの地質年代としてノヴァセンと呼ぶ。

速さという特性によって、ひとたびAIによる生命が現れれば、それは急速に進化し、今世紀の終わりまでには生物圏の重要な一端を担うだろう。つまり、ノヴァセンの主要な住人は人間とサイボーグということになる。このふたつの種はともに知性をもち、意図をもって行動する。サイボーグは友好的にもなり得るし、敵対的にもなり得る。だが現在の地球の年齢や状態から、サイボーグはわたしたちと共に動き協働する以外に選択肢はないだろう。未来の世界は、人間やほかの知的種の身勝手なニーズではなく、ガイアの存続を確かなものにするというニーズによって規定されるのだ。

ラヴロックは、地球の持続可能性にとって一番の問題はこの惑星を冷やすことであり、そのためには地球の有機体がAGI自身の存続にも必要で、そのコントロールには人間の手も必要だから、少なくともしばらくは地球上でのAGI=サイボーグと人間の共存は続くだろうと予測する。

しかし、その先は?といえば、ラヴロックの答えは「わからない」だ。
これはテグマークとも共通する見解である。

だから、これがもうひとつの持続可能性の問題なのだ。

20.銀河ヒッチハイク・ガイド/ダグラス・アダムス

「やれやれ」拡声器の声が言った。「怠惰などうしようもない星だ。何の痛痒も感じんね」拡声器は切れた。
身の毛もよだつ、恐ろしい静寂。
身の毛もよだつ、恐ろしい轟音。
身の毛もよだつ、恐ろしい静寂。
ヴォゴン土木建設船団は、星の輝く暗黒の虚無に去っていった。

物語がはじまってほぼすぐ、地球は滅亡する。
恐ろしい静寂と恐ろしい轟音とともに。
持続可能性なんてあったものではない物語のはじまり。

ただひとり生き残って、異星人とともに宇宙をヒッチハイクしてまわる主人公の地球人。
そこに強いAI(AGI)が登場してくるあたり40年も前に書かれたSFなのに、ラヴロックの『ノヴァセン』にリンクするところもある。

やや間を置いて、コンピュータは豊かなよく響く低音で語りかけてきた。
「わたしに与えられる大いなる使命はどのようなものでしょうか。このわたし、深慮遠謀(ディープ・ソート)、この宇宙の時空で二番めにすぐれたコンピュータが生み出されたのは、いかなる使命を果たすためですか」

なぜ、一番ではなく二番なのかと問いかける人間の博士たちに対して、ディープ・ソートは「わたしが言っているのはほかでもない、わたしのあとに現れるコンピュータのことです!」と答える。
その答えに唖然としながら、人間の博士たちは「だれが救世主到来を予言してくれと頼んだんだ?」と問う。

それに対して、ディープ・ソートはこう答えるのだ。

「あなたがたには未来のことがまったくわからない」ディープ・ソートは言った。「しかしながら、わたしの無数の回路では、未来の可能性について無限のデルタ・ストリームを処理することができます。ですから、いずれそのときが来るとわかるのです。そのコンピュータから見ればたんなる演算パラメータにすぎないものの、わたしごときには計算することさえかなわないでしょう。しかし、そのコンピュータをいずれ設計するのがわたしの運命なのです」

そう。ある意味、このディープ・ソートこそ、『LIFE3.0』で紹介されている、1965年にアーヴィング・J・グッドが「最初の超知能マシンは、人間が作るべき最後の発明品である」と呼んだものなのだ。
ディープ・ソート以降の最初の発明品はディープ・ソートがつくり、以降はその発明品がもはや人間には理解できないような発明を次々と生みだすのだろう。

それがラヴロックがノヴァセンと呼んだ世界であり、その世界ではテグマークがLIFE3.0と称した超人的なAGIたちが生きるのだ。

もちろん、そこには僕らがいま問題視するような持続可能性の問題はない。
それはまた、この『銀河ヒッチハイク・ガイド』で「恐ろしい静寂と恐ろしい轟音とともに」滅亡した地球とは異なるかたちでの終末なのだろう。

P.S.
2019年版はこちら。


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