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ユーモラスな継ぎ接ぎ

このGWにローマに行って感じたのは、街がいくつもの時代が地層のように折り重なってできているということだ。そういうものだという、あらかじめの知識はあって行っても、直に目にするとやはり感心する。

古代の遺跡の上に、中世やルネサンスの建物が自由に覆いかぶさるように建っている。二重三重と古い構造物の上に、新しい構造物が継ぎ接ぎされる。その継ぎ接ぎだらけの建物を現代的な内装やお店の看板が覆う。道行く車が建物を影に隠してみたりする。

異なる時代が混じり合いつつも、互いに排除しあうことなく、折り重なっている。複数の時代が混線したまま、固まってしまっている。
ローマというのは、そんな印象の街だ。

過去と現在の不思議な混在

マリオ・プラーツが『ローマ百景Ⅰ』で、こんなことを書いていた。

ピラネージは、イタリア文化が「秋」に入ったころに、その遺産目録を作成したのである。そして、彼はローマを遺跡の都として確立した。公園には偽物の遺跡や、「狂気(フォリー)」と呼ばれる奇抜な制作物がたくさん配置されている時代に、ピラネージはもっとも記念すべき遺跡としてローマを打ち立て、「狂気」の最も奇妙な作品として《牢獄》を作成したのである。

ピラネージが描いたローマの遺跡の絵は昔から好きだった。
今回、ローマを訪れるにあたっても、その印象が強くもっていた。あのピラネージの妙に生命感溢れる攻撃的な印象も与えるローマの遺跡の印象が。
それは、まさにプラーツのいうような「狂気」だ。

プラーツはこうも続けている。
「ピラネージにおいて、イタリアは自らの過去を、もはや実際の活動としてではなく、夢想として生き直した」と。

しかし、ピラネージによって描かれたのではないローマは、「夢想として生き直した」それではなく、「実際の活動として」あるローマだ。
この足で訪れこの目で見たローマには狂気も夢想もなく、もっと穏やかで、過去と現在の生活感がいっしょくたになったような不思議な混在があった。

プラーツは、いまから60年以上前に「蝸牛がその殻と結合したように、人間は自動車という小さな動く家と結合してしまったが、自動車が祖先の威厳ある建築物を葬り去ってしまうことであろう」と嘆いていたが、自動車を見慣れた僕の目には、それが建物を葬り去るような力があるように見えなかった。

そうした車も含めて、継ぎ接ぎの街ローマとしての風景を作っていたからだ。

老いて野暮でもユーモラス

この継ぎ接ぎ感が、その後に移動したパリのような街と、ローマが決定的に異なっている点だろう。

19世紀になって市長オスマンによる大改造が行われて、統一感のある街に仕立て上げ直されたパリには、ローマのようにいろんな時代がパッチワークされたような印象はあまりない(もちろん、皆無ではないが)。
パリのような整然とした印象はローマにはなく、過去の遺跡が飲み込んだはずの口から漏れ出てきているかのような、だらしなさがある。もちろん、それがチャーミングだったりする。

「廃墟の光景は私を屈服感で満たし、そして、生命あるものも無きものも物体はすべて崩壊と変容をこうむり、月の下に存在するものはすべて同様であるという、月下界のすべての事物のはかなさについて、一層敏感にさせたからである」。これこそ、ペトラルカ以来、廃墟への瞑想が趣味化して、絵画的な愛好へと転じる18世紀にいたるまで、廃墟を扱った文学のすべてに連綿と伝わるキリスト教的エレジー(哀歌)のトポスである。

こうしたエレジーはもはや感じられなくても、同じ廃墟となった遺跡が街のあちこちから姿を見せる、その街は、むしろ世話の焼けるいたずら好きな老人のようだ。いまの感覚とは明らかにズレているのだけど、話が通じないほど、距離を感じたりもしない。けれど、センスがあるかというとやっぱり野暮ったく、あちらこちらに老いを感じる。それでも、そのちょっとダメっぽいところも含めて、ユーモラスなところのある街だ。

そう、面白い街だった。
街の彫刻がいちいち面白い。

こんな彫刻はパリの街中にはない。
美術館に足を運んでも同じだ。
これ、なんて一体なんだろう?

なぜ、この子はこんなに葡萄を貪り食う?

こうしたものを選ぶ感覚が街そのものからも感じられた。

こんなバロックの教会だって、美しくもあるが、やっぱり、ケッタイなデザインだと思う。

雑種だから

古代の遺跡が残る街に、こんな古代をわざと逸脱したバロック様式の建築を普通に同居させるのだから、自由なパッチワーク感覚は、単に古いものを有効に活用して残そうというだけの感覚でない。そこにプラス、ユーモアがある。

ベルニーニの建築だって、彫刻だって、そういう意味で過剰なのだ。古代のなにかに過剰さを加えて、ユーモアのあるものになっている。

過剰な継ぎ接ぎがかもすユーモラスなたたずまい。このローマという街は、これからもどんどん、いろんなものが継ぎ接ぎされて時間の厚みを感じさせる街であるんだろうとも思う。

削ぎ落としたらセンスが良くなりそうなところにむしろ過剰に何かを付け加えてくる。そこが鈍臭くも感じられるのだけど、そこが面白さ、ローマのユーモアでもある。

過剰な何かも「俺が俺が」と自己主張するというよりも、いろんな時代同士が仲良く同居するのと同じように、みんなと一緒に盛り上がろうとするためであるかのようだった。

それってローマの人も一緒で、みんな、たがいにちゃんとまわりの人を礼儀正しく尊重してくれる印象を感じた。
どんな人混みでもまわりに誰もいないかのように身勝手に振る舞う人が多い東京の殺伐とした雰囲気とは対照的だと感じた。
余裕がない東京に対して、老人のような余裕と他人に対するリスペクトの念を人からも街からも感じたのがローマだった。

ローマの壮大な遺跡、このローマが誇る至宝はなおも残っている。だがこれらは、かつてフェルディナンド・グレゴロヴィウスが「野蛮な中世のメランコリーに満ちた魅力をいまだ残す、幾世紀にもわたる緑青に覆われて錆つき、腐敗した都市」と述べた時代のような、朽ち果てたローマと溶けあうことはないし、中世に形成され、ベッリ[1791-1863]の時代まで継続していた、死せる都市と生ける都市との共生はもはや存在しない。ベッリの時代には、この都市は彼の詩情と同じ香を放ち、無作法と威厳が同居し、皇帝のごとく高貴ではあるが、雑種の言語が話されていた。

プラーツがこう評するローマが本当にないのか?と確かめる意味合いももって、ローマを歩いたが、「もはや存在しない」というほど、存在感が完全に失われてはいなかったように思う。
皇帝のごとき高貴さはたしかにどこかに行ってしまったようだが、それでも無作法はあるし、かつては威厳として感じられたであろう堅物な感じはいまも残っている。そして、何より雑種感は、自動車やトラムなども加わり、より増しているはずだ。

雑種ながら、それを統一するユーモアのある街。それがローマであるように感じた。



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