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細野豪志さんの人生は「捨てたもんじゃない」

「田原カフェ」に衆議院議員の細野豪志さんが来てくれた。

ジャーナリストの田原総一朗さんと開いている会で、10代20代の若者と89歳の田原さん、毎回異なるゲストが対話をする会である。早稲田の喫茶店「ぷらんたん」で月に一度開いており、この日は18回目の開催だった。

これまで様々なゲストの方に来てもらっているが、現職の国会議員は初めてだった。

細野さんは会場に集まった若者に何を語ったのか。

今回はYouTube配信なしのオフレコで開催したが、内容の一部をnoteに書き記しておきたい。


政治に声は届くのか

イベントを開催したのは6月20日。

かねてから衆院解散が噂されており、とくに広島サミット以降は毎日のように「解散するのかしないのか!」と与野党の間でゲームのような駆け引きが繰り広げられていた。

これまで田原カフェでは「政治」をテーマにした会は何度も開いた。ジャーナリストの方や投票啓発をしている方をお招きすることはあったが、現職の議員はあまり呼んでいない。都議会議員の方一人だけだった。

そこで、せっかく解散が噂され、政治のニュースが盛んに報じられているこの時期だからこそ、現職の国会議員の方をお招きしようと思ったのである。

そこで第一候補として声をかけたのが、細野さんだった。当選8回、20年以上も議員をしている大物政治家である。現在51歳。

民主党政権の中心メンバーであり、原発事故の担当大臣や環境大臣を歴任した。当時私は高校生だったが、おじさんばかりの国会の中で、若手のキーパーソンとして際立っていたように思う。

民主党が下野した後は、安全保障政策の方向性のちがいから離党し、小池百合子都知事と「希望の党」を立ち上げるが失敗。今では自民党の議員として活動している。

田原カフェ初の国会議員ゲスト・細野豪志さん
「田原カフェ」マスターの田原総一朗さん

この日のテーマは「政治に声は届くのか?」だった。

ただでさえ日本は投票率が低い。とりわけ若者(10‐30代)の国政選挙の投票率は5割以下が常態化している。

これは若者が政治に期待していないことの現れなのか。そもそも政治に関心がないだけなのか。

細野さんは年頭にこんなツイートをされていた。

「若者を豊かにすること」が細野さんの今年の最大の課題だという。

ならば田原カフェに集まる10代20代の声を届けよう!と思い、登壇を依頼したら、快諾してくださった。

田原カフェは一般参加は33歳以下(平成生まれ)に限定させてもらっており、この日も30名ほど参加してくれた。冒頭で「こんなにたくさん若い人が集まる会は初めてじゃないかな」とおどろかれていた。

細野さんには娘さんが一人いて、ちょうど参加者さんと同世代の20代前半だという。89歳の田原さんもいたので、まさに3世代が一堂に会する場となった。

集まった若者も実に雑多で、会社員、公務員、記者、フリーター、ニートまで、幅広い人たちが集まった。会を重ねるごとに「若者」では単純化できないくらい多様な集まりになってきておもしろい。

自己紹介タイムで互いのことを知ってから対話を始めるのが恒例

細野さんに若者の声は届くのか

どうして自民党に入ったの?

という田原さんの質問から始まり、まずは細野さんのこれまでの歩みを語っていただいた。いきなり政策の話はぜず、ひとまず細野豪志という政治家のことを改めて参加者さんに知ってもらうことにした。

滋賀県立彦根東高校の先輩・後輩でもあるお二人

細野さんは学生時代に阪神淡路大震災を経験し、政治を志した。当時は「新党ブーム」の時期で、「日本新党」といった新たな政党と若手政治家が多く誕生した時期だった。

自民党に代わりうる「保守二大政党」を目指して当時の民主党で政治活動を開始した。民主党は元々は自民党にいた人たちもいれば、かつての野党の社会党にいた人たちもいる政党だった。自民党とは異なる政策を打ち出していたが、外交安全保障は基本的に自民党と同じ方向性だったらしい。

2009年からの民主党政権時代には、尖閣諸島沖の漁船衝突事故や原発事故の対応を最前線で経験した。この時期に、外交安全保障において日米同盟がいかに大事かを「身に染みて」感じたのである。

民主党が下野してからもリーダー格として将来を期待され、2015年に党の代表選に立候補した。一回目の投票では一位になったものの、二回目の投票で落選、代表にはなれなかった。

その後の民主党は安全保障で当時の安倍内閣と対決路線を選び、党名を「民進党」に変え、日本共産党とも選挙協力をするようになった。日本共産党は日米同盟は言うまでもなく自衛隊さえ否定している。細野さんが考える「保守二大政党」とは異なる方向に進んでいったのである。

そこで離党し、小池百合子都知事と「希望の党」を立ち上げた。ところが党勢が伸びず失敗に終わった。またもや「保守二大政党」の夢は頓挫したのである。

行き場を失った細野さんは引退も考えたが、長年敵対関係にあった自民党に入党した。実は元民主党から自民党に移った人はそれなりにいる。だが民主党の顔だった細野さんが自民党に入ったことは、メディアでも大きく報じられ大バッシングも浴びた。

田原カフェの数日前に正式に自民党議員として選挙区の「支部長」になった。希望の党騒動から数えると5年以上もかかったのである。

この日はあえて自民党の議員としてではなく、一人の衆議院議員としてご登壇いただいた。自民党も民主党も、両方を知っている細野さんだからこそ話せることがきっとあると思ったからである。

政治家になりたい人いない?

細野さんといえば、エネルギーや安全保障といった、国の大きなテーマに取り組まれている印象があるが、少数の弱い人たちの政策にも取り組んでいる。

今国会で成立した「LGBT理解増進法」も、党を超えて様々な議員と一緒に成立に向けて動いた。性的マイノリティの問題は、初めての選挙を手伝ってくれたスタッフの一人が、レズビアンだったことが取り組むきっかけになったらしい。

その他にも、生活保護家庭の子どもが大学や専門学校に進学しやすいように、菅官房長官(当時)に国会で質問をして、大学入学のための経済的な支援策などを設けた。

「若い人にチャンスをつくれるのが何よりもうれしい」

嬉しそうに政治家としてのやりがいを語ってくれた。

参加者さんとのクロストークの時間を長くとるのが田原カフェのおもしろさ

ひとしきり細野さんにお話いただき、クロストークの時間に移った。

田原カフェは講演ではなく、参加者さんと田原さん、ゲストとの対話を大事にしている。立場はちがえど、フラットに言葉を交わせる雰囲気づくりと話の内容を整理していくのが、進行役の私の役割である。

「選挙に出るのにお金はかかるのか?」

会社員の女性が質問した。若い人が政治に参入するハードルの高さに興味があるようだった。

「20代30代の前半で選挙に出たいならお金は要らない、あっても邪魔ではないけど大して役には立たない」

細野さんは静岡県の選挙区から立候補した。出身地は滋賀県であり、地元ではない地域から立候補した「落下傘候補」だった。当然ながら選挙で勝つために必要な地盤(人脈)・看板(知名度)・カバン(金)はない。

大学卒業後は4年半サラリーマン生活を送り500万円を貯めて政治活動を始めたが、最後は「米櫃が空になった」けど、なんとか勝ったらしい。

「負けたらそうとう悲惨なことになっていただろうね」

と笑顔を見せる細野さんに会場からも笑いが起きた。

ユーモアを織り交ぜて語りかける細野さん

「『ぜったいに負けない』という気持ちと『どうやって勝つか』を考えること、これは経営も政治も一緒。そうしたら身体が勝手に動くから。やってみないと分からないよね」

参加者さんたちもペンを走らせ、細野さんの話をうなずきながら話を聞いていた。細野さんがあまりに熱く語るので、話をさえぎって参加者さんにもっと話を振ろうかと思ったが、客席から真剣な空気が伝わってきたので、そのままお話しいただくことにした。

「みんな政治家になってよ、なりたい人いない?」

細野さんが問いかけると何人かの参加者さんが手をあげた。もしかしたら、ここから未来の国会議員が出てくるかもしれない。

「おれ話しすぎたかな、あんま喋んないほうがいいかも」

と、細野さんもつい我を忘れて熱くなられていたようだった。

メモをとる参加者さん

絶望しそうになる時

この日はメディアで働かれている若手社員の方、メディア志望の若者もたくさん参加された。

いまは新聞もテレビも斜陽産業と言われているなかで、業界の体質や行く末を案じて「絶望しそうになる」という声まで出た。

こういう本音を漏らしてくれるのが、私としてはとてもおいしい。

取材歴60年以上の田原さん

「私は現場のジャーナリストの活躍に期待したい。あと今は新聞やテレビ以外にもネットメディアやSNSもある。若い人はもっと声をあげてほしい」

いまはジャーナリストでなくても誰もが発信できる時代。だけど、若い人がもっともっと政治に対して声を上げてほしいと、細野さんは参加者さんたちを促した。

たとえ当事者ではなくても、もし身の回りに苦しんでいる人がいたら、その声をSNSで発信すると大きな共感を集めることもある。若者の発信がもっとまとまった形で可視化されたら、十分に世の中を動かす力になるかもしれない。

「おれたちも見てる、無視はしてないから。だから若者は声をあげるべき。絶望している暇なんてない。みなさんが社会をつくっていくんだから」

細野さんはストレートに遠慮なく、参加者さんに思いをぶつけていた。聞かれた質問に答えるだけでなく、細野さんも参加者さんに問いを投げて、時には試すように、本音でぶつかっていた。

田原さんも田原カフェでは若者相手に手加減なく議論しようとするが、細野さんも劣らないくらいガチンコの迫力があった。

活発に手をあげて発言してくれた参加者さんたち

政治家は何をしてくれる?

ところが、細野さんの「声をあげて」という意見に対して、ある参加者さんが我慢ならないような口調で思いをぶつけた。

「若者に声をあげてほしいと言うけど、その日の暮らしに精一杯で、声をあげたくてもあげられない若者もいる。逆に政治家は何をしてくれるのか」

「若者」といっても様々な状況に置かれている人がいる。恵まれた環境にいる人もいればそうでない人もいる。そんな状況で声をあげるのはリスクも伴うだろう。

こうした批判的な声をぶつけて、相手がどう反応するか。その展開も含めて楽しむのが、田原カフェである。

白熱する一幕も

「こういう場で(『声をあげて』と発言して)反発喰らうことは分かってる、それでも言おうと思って言ってるの」

細野さんはそれまでとはちがった、静かなトーンで語り始めた。

「おれたちも闘っている。20数年間選挙で『若い人のために』って声を上げてきたけど、得をしたことは一度もないと思う。こういう場で(若者は声を上げてと言って)反発喰らうのも分かってる、Twitterで散々実験してるから」

細野さん自身の経験談に、会場から笑いが弾けた。シリアスな空気感を笑いに換えるのも、この方のセンスというか、性格なのだと思った。

細野さんは「若者の給料を上げたい」とTwitterでたくさん発信して炎上したことがあった。若者は入ってくるお金以上に、物価高や社会保障費で出ていくお金もかさんでいる。年功賃金で年をとらないと給料があがらない。ならば後から入ってくる分を若いうちに回せないかと動かれている。

「退職金の税制優遇を変えても『そうだ退職金を今の給料に回せ』って声が若者から上がらない。伝わっていないなら、それはおれたちも稚拙かもしれないけど」

細野さんのやり場のない思いが混じった語りに、会場が静まった。

ある参加者さんはバイト代を上げてほしいと言ったら、クビになった話を細野さんに打ち明けた。

「いま若者は宝なんだから!人手がいないんだから経営者も若い人が欲しいんだよ。それでも食えないなら『おれはちゃんと給料がほしいんだ』って声をあげることは大事だと思う」

参加者さんに本音で対峙していただいた

「代議制民主主義」のシステムでは、政治家は国民から選ばれて議会で仕事をする。選ばれた政治家たちの動向をチェックするのも必要だし、批判勢力も必要だろう。

だけど、政治家だけが社会を動かしているわけではない。つい忘れてしまうが、社会を構成しているのは、社会にいる一人一人である。

「おれたちも闘っている、若者も声を上げて」という細野さんの言葉は、政治という権力闘争の世界で、時には矛盾を抱え、絶望しながらも、理想を実現しようとしている一人として、本心から出てきた言葉だろう。

ある参加者さんの「政治家は何をしてくれる?」という問いも、一票を投じた有権者として、必要な視点であることは間違いない。政治家には大きな権力がある以上、それを説明する責任もある。

だが、だからといって、一人一人の存在は何も動かせないほど無力ではなはずである。対話を通じて、政治家に声を届けることで、何かが動く可能性だってある。

顔を見合わせて、お互いに知り合った状態で、双方向にやり取りをする。そんな対話の場に、本音で話してくれる政治家と、本音をぶつけてくれる参加者さんが来たことで、この「カフェ」の可能性を改めて感じた。

突き放さない人がいる

最後にあのネタを

会の最後に、細野さんがこれまでの政治家人生をご自身で振り返る一幕があった。

「学生時代に父親が会社を辞めて、学費を払えなくなって、最後の一年は免除してもらった。卒業間際で阪神淡路大震災があって現地でボランティアをして『よし、社会のためにがんばろう』って政治家になって、、、フライデーで撮られ、、、希望の党があって、、、いろいろあったけど、まだこうやって生き残っているってことを感じてくれたら、それでいい」

細野さんのエピソードとして有名な某キャスターとの不倫騒動を自らネタにされた瞬間、この日最大の爆笑が会場から沸き起こった。

スキャンダルの話は私もネタにしようかと思ったが、失敗話は本人がされるのがいちばんおもしろいと思って触れないでおいた。そうしたら、まさか最後の最後でぶっこんでくるとは思わなかった。

「人生捨てたもんじゃないってこと。いい時もあれば、悪い時もある。そんな時に突き放さないでなんとかしようと思っている人間が、すくなくとも永田町に住んでいるってことが伝わればそれでいい」

この日は自民党と野党のちがい、安全保障、LGBT、子どもの貧困、若者政策、などなど多岐にわたる話題が出た。

議員として、国会で政策をつくっている細野さんの話は、中立ではなく、細野さんの主観や党の立場からの視点も混ざっていただろう。

ただ20年以上も議員をされていて自民党から民主党の両方を知っている細野さんだからこそ、細かいテーマを超えて「政治」について考えることができたと思う。

政治家のニュースは権力闘争の場面やスキャンダルの時になにかと注目されがちで、細野さんもその例外ではないが、もっとこうした形で個々の政治家に人間として迫るのも必要だと思った。

政治家が抱える葛藤、矛盾、孤独、理想、そんなものを真正面から若者にぶつけて、対話をする。そんな場をこれからもつくっていきたい。

終わったあとも1時間ちかく細野さんには残っていただき、個別で話したい参加者さんたちが列をつくっていた。

私は片づけをしながら、話に耳をそばだてた。

細野さんが「さっきはきつい言い方になっちゃってごめんね」と対話をした参加者さんたちを気遣っているのが聞こえた。熱く語るけど、やっぱり根は優しい人なのだと確信した。

追記

終わったあとに細野さんから聞いて知ったことを一つ紹介したい。

細野さんは例のスキャンダルで世間から非難されていた時期、それでも国会を休まなかったが、テレビに出ることはさずがに自粛していたらしい。私が細野さんを知ったのも、このスキャンダルがきっかけだった。

そんな細野さんが再びテレビに出る機会を与えたのが、田原さんだったのだ。連続で朝生に登壇させてもらったことで、復活のチャンスを掴んだらしい。

「人生捨てたもんじゃないってこと。いい時もあれば、悪い時もある。そんな時に突き放さないでなんとかしようと思っている人間が、すくなくとも永田町に住んでいるってことが伝わればそれでいい」

会の中で出てきたこのセリフは、自身を突き放さないでいてくれた田原さんへの恩返しだと思うことにした。







Photo by Hiroki Mizoguchi


▼細野さんのVoicyで取り上げていただきました!




「もしも田原総一朗が、カフェのマスターになったら...!?」

「田原カフェ」は、89歳の田原総一朗と10代20代の若者が対話する「日本一カオスなカフェ」。

早稲田の「喫茶ぷらんたん」で月に一回(たまに二回)開催中。


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