懐の深い人に会って語らうと その心地よさに心が溶けるし、 もう、何百%だって私が出せるものなら、出しますって気分になるよね。 その才能、凄いなって本当に思う。 その心地よい場所に身を置かせてもらえる自分って、なんで幸せなんだって改めて思う。 まぁ、騙されてるかもしれないけど🤣 騙されてたとしても その夢見る場所に いざなわれて そこに居られる自分は 大したもんだと思うんだ。 そんな時 周りを見渡せば 軽く凄い人たちが仲間として連なっていて なんかジャンプの登場
ありがたいことに 世界的なイベントに関わらせてもらったり 日本を代表する作品に携わらせてもらったりするけど そのプレッシャーを感じた事はほとんどない。 まあ、そもそも私が受けるものでもないし、 なんなら、そのプレッシャーを真正面から受け取っている人が常に目の前にいる。 私なんて いくらだって代わりもいるし 注目してる人もまぁ居ないだろう。 だからこそ、いつも美味しいところどり。 ひたすら世界に、日本に、 そして目の前にある作品に挑むチャンスにわくわくする。 キ
演劇における 身体表現について考える。 昨日の参加したWSでは ダンスとは『衝動』ではないかと テーマづけて実験。 さて、私の中では なんなのだろう。 私の中では 『増幅』『最高潮』『感情の情景』。 感情の増幅により身体から溢れ出るもの、 感情を内面から捉えた時に表れ出るもの。 ミュージカルにおいては 気持ちの最高潮を迎えた時に 歌とダンスがやってくるという考え方を今はしてる。 なので、いつでも種が大事。 感情が表れるところ、 表れ出すところを 作り出すんじゃな
その人の 嘘のない音というものが 私はあると思っていて その音で台詞をいうと それはまるで 書かれたものでなく 今まさに その瞬間、 その役者、 その空間から 産まれ出たものになり それだけで お客さんを その世界に惹き込むことが 出来ると思っている。 でも その音を出すには 自分が その世界を 五感をフルに使って リアルに感じることが なによりも大事なんだと思ってる。 不思議なことに 何故か 『ここは見ないことにする』 『ここは聞かないことにする』 という 謎の
とりあえず、 分からないから一歩ずつ、 進めてみる。 芝居を始めたとき、 ひたすらに走った。 何も知らなくて 分からなかったからこそ がむしゃらに走れて 到達することが出来た点が 今はもう 色々知りすぎて 動くのすらままならない。 正解なんて無いはずなのに。 成功なんて分からないはずなのに。 考えれば怖くなるから、 だったらいっそ 一番苦手な 人を頼るところから 始めようと思った。 動き出さなきゃ始まらないもの。 上手くいかないんじゃ無いか? なんて烏滸がまし
謎に撮れてた、インカム写真www ワークショップを 2年前か?3年前かくらいから おずおず始めて、 気がついたら いつも楽しみにしてくれたり 時間が空いたら来てくれる人が 沢山いる。 私は演出家でも 脚本家でもない ただの一介のスタッフで だから なんの説得力もないだろうし あんまり演技論なんて 信じて 貰えないだろうなぁ、、 と 勝手に思い込んでた。 ワークショップも 初期の方は 伝えたいことを 上手くまとめられておらず 楽しませなきゃ!と 勝手に意気込んで
演じる時、 役の気持ちを理解するとき、 多分最初は頭で考える。 流れを感じて、分析して、 頭から なんとなく肩、胸あたりまでを その気持ちで一杯にして演じようとすることが 多い気がする。 でも、改めて普段の生活を考えてみると、 感情って 身体の隅々から感じとっていることが多いはず。 大好きな人と ただお茶を飲んでいる。 その瞬間、 身体の中が何故かキュンとして なにかがギュンと持ち上がってくる感じがして 腕や足の外側が何かチリチリして 『ああ!もう大好き!』 って
やっぱり言葉が通じるって楽しい。 それがどれだけ貴重かって 歳を重ねるごとに分かる。 よくよく考えてみると 本当に言葉が通じる人って一体何人いるんだろう? そう思うと 私はわりかし 言葉が通じる人に囲まれているし 語れば泣きたくなるほど 心の底から同じ言語で 話してくれる 仲間が数名いる。 そして、そういう人たちって ありがとうを キュンと来るタイミングと 言い方で 伝えてくれる人 多いんだよなぁー、と思う。 それにいつもメロメロして 騙されちゃうんだけどwww
言ってもどーしよもないことを わざわざ頑張ってる仲間たちに言って テンション下げたり、 やる気を削いだりするくらいなら 少しでも 今が快適になることを 一つでも考えればいいと思う。 それだけで、 いろんなことが 明るく楽しくなっていくのに。 愚痴るのは大事だけど、 方向は間違えちゃダメだよね。 自分の居場所を見つけたくて 人の仕事を奪う勢いで頑張ったり 時間守らない人を怒ったり。 気持ちはわかるけど、 その『人を監視している感じ』 楽しい?? 出来る人ほど、 受け
緊急事態宣言を受けて 東京公演が中止になりました。 気がついたら 自分のホームとなっていた現場。 六年間続いたシリーズ最後の作品でした。 演劇は、必ず最後が来るもの。 形の残らない その儚さが大好きだったりもします。 けれど こんな形で最後を迎えることが 当たり前になる日が来るとは 思いませんでした。 ここまで成長してきた この命がけの作品を 皆さんに直に届けられないことに 心が張り裂けそうです。 私たちだけではなく、 多くの芝居、音楽、スポーツ、
次は演出やるんですか? って、よく言われるけど 実は 演出にはイマイチ興味がわかない。 自信が無いだけなのかも とも思うけど その昔はやっていたし その頃思い出しても いや、でもあれやりたい! これやりたい! という希望が あんまり浮かんでこない。 どちらかと言うと 人が言う夢を どう実現化するのか どうしたらもっと素敵になるのかを考えるのが 好きだし 色々な才能が絡みあっていくのを 整理しつつ、調整していくのが 得意な気がしてる。 とはいえ まあまあな暴れ馬だと
残念ながら ダメ出しが行き過ぎて いじめのようになってしまうことがある。 演技は本気で湧き上がる感情を操るものだから、 もちろんその場で わざと追い込んで 泣かせたり 怒らせたりすることで その役を 役者に掴んでもらうこともある。 だからとて、 間違えちゃいけないのはここだ。 演出(監督)が偉いことも プロデューサーが偉いこともない。 感情に正解も不正解もなく、 ただ、演出家サイドに、 希望している 見たい絵があるだけた
『自由に生きたいなぁ』 と、常々思っているけど フリーランスで仕事してるってのは 本当に自由なんだなぁと思う。 その分のリスクや 怖さは沢山あるものの 自分が面白い 納得したことしかやりたくないっ! という意思が 死ぬ程強い自分には 仕事が無くなる恐怖や 干される怖さ 切り開いていかなきゃいけない 大変さは 二の次なのかもしれない。 どんなに責任ある場所にいたって 大変な場所にいたって 本当の意味で責任をとれるのは 自分自身の事だけ。 だから違うと思ったら
他の芸術と演劇が一番違うのは 『総合芸術』だ というところ。 つまりみんなで一つのものを 創り上げるということ。 だから、 いろんな感情が蠢く。 これ以上入ってこないで! と思うこともあれば、 これ本当に大丈夫かな? と不安になることもなる。 終始、情緒不安定だ。 何年やってても 何回やってても 毎回、右往左往する。 それでも、 なんでか続けていたい。 演じるとは 嘘をつく事であり、 でも本物の感情をあらわにすることでもあり 沢山
表現するのに 『面倒』が優先されるなんて こんなに腹が立つことはない。 『面倒』なら なんで 表現したいなんて言うの? 一体 何を表現したいの? 何でそこにいるの? 何を伝えたいのさ。 自分の限界を自分で決めるほど つまんないことはないのに。 2021.2.26記 これ書いた時、 なんか怒ってたんだろうなぁwww
出来ることだけ、 得意なことだけを見せてても 人は飽きちゃう。 常に届くか届かないかのものに 挑戦し続ける姿に 人は感動すると思うんだ。 だからこそ 自分が苦手なことに どれだけ向き合えるかが その人の 表現の幅を決めていく気がするんだ。 2021.2.26 記