見出し画像

さわって壊せる文化財【博物館とディズニーランド②】

1983年に日本に東京ディズニーランドが開園。これは、フロリダ州の「マジックキングダム」をほとんどコピーしたものだ。
しかし、その後の2001年に開園した日本国内第二のディズニーパークである東京ディズニーシーは、世界でも日本にしか存在しない独自のものである。

この記事は、『忘れ去られた第四の勢力【博物館とディズニーランド①】』の続き。
ディズニーランドの特徴が東京ディズニーシーにどのように受け継がれているかを考察しつつ、ディズニーテーマパークを紐解くキーワード「ニセモノの大傑作」について触れたい。


東京ディズニーシーの裏テーマ

東京ディズニーシーの入り口には「ディズニーシー・アクアスフィア」という巨大な地球儀がある。つまり、このパークは水の惑星地球を称えたグローバルな価値観のパークなのである。

園内にはアメリカ東海岸の二つの港町が舞台のアメリカンウォーターフロントというエリアがある。それ以外には、南地中海(メディテレーニアンバーバー)、中央アメリカ(ロストリバーデルタ)、イスラーム世界(アラビアンコースト)、ジュール・ヴェルヌ小説の世界(ミステリアスアイランド)をテーマとし、アメリカが中心にならないような配慮がなされている。

さて、東京ディズニーシーの場合は、こうした世界のさまざまな文化圏に特定の解釈の切り口を与え、各エリアのデザインを決定している節がある。

具体例の一つとして、メディテレーニアンハーバーというエリアを挙げる。1901年の南ヨーロッパの港町というテーマ設定で、イタリアン・ルネサンスや大航海時代といった切り口を用意している。
例えば「フォートレス・エクスプロレーション」は、中世の砦を本拠地とする架空の学会が舞台となっており、砦の中を自由に歩き回って見学できるアトラクション。「エクスプローラーズ・ホール」には、学会の名誉会員としてレオナルド・ダ・ヴィンチやティコ・ブラーエといった科学者やフェルディナンド・マゼランやクリストファー・コロンブスといった探検家の絵画が飾られている。港に停泊している「ルネサンス号」は、大航海時代に用いられたガリオン船の再現である。
その他、要塞の麓にはイタリア半島に多数存在する火山をそのまま再現してしまった。また、ワイナリーを改装して作られたレストラン「ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ」や、ヴェネツィアの運河を再現してその中にはアトラクション「ヴェネツィアン・ゴンドラ」を浮かべたりしている。これは、キャスト(従業員)がゴンドリエに扮して実際に航行するものだ。

博物館としてのディズニーランド

これまで見てきたように、ディズニーテーマパークはアトラクションやエリア全体を通して特定のテーマを表現し、そこに物語を通して切り口をつけて私たちに伝授していた。

さて、ディズニーランドの目的の二つの要素のうち、「アメリカという国」に対して「テーマパーク」を挙げた。

「この幸せな場所へようこそ。ディズニーランドはあなたの国です。ここは、大人が過去の楽しい日々を再び取り戻し、若者が未来の挑戦に思いを馳せるところ。……(以下略)」

能登路雅子『ディズニーランドという聖地』31ページ(太字は筆者)

有馬(2011)は、「過去の楽しい日々を再び取り戻し」にあたる部分を「過去の優しい思い出をもう一度経験し……」と訳している。それは、この部分が「英語では“relive”となっている」ことに着目したからである。

直訳すると「生き直す、もう一度生きる」ということです。つまり、「追体験する」とか「思い出す」とかいった情緒的な軽い意味ではありません。もっと重い、ウォルトのようなおじいさんになりかけの人間の切なる願いがこもっているのです。

有馬哲夫『ディズニーランドの秘密』34ページ

従来の遊園地は、スリルを売り物にしたアトラクションに客を鮨詰めにすることが多かった一方、ウォルトは、自身が作り出した物語の世界に人々を吸い込ませていくための装置として遊園地を利用しようとした。
つまり、遊園地を一つのメディアとして解釈したのがテーマパークなのだ。

先日、YouTube「積読チャンネル」にて「ゆる哲学ラジオ」の平田トキヒロ氏が登場、絵本の読み解き方を書籍をもとに解説していた。

(この動画、めっちゃおもしろいです)

この動画の中で示された「絵本」に対する視点は、以下のようなもの。

  • 絵本は、フランスの哲学者ロジェ・カイヨワが分類した4種の遊びのうち、イリンクス(めまい)の遊びに用いるおもちゃである

  • 絵本には、溶解体験(=作品の世界に自身が溶けていく体験)を促すさまざまな仕掛けがあり、溶解体験によってイリンクスを引き起こさせる

  • ページをめくる際の断絶性が絵本のおもしろさのひとつだが、同時に一貫性を持たせるために、動物のキャラクターが用いられる

これは、ディズニーランドにおいても全く同じことが言える。

  • ディズニーランドはイリンクス(めまい)の遊びを提供する施設である

  • ディズニーランドには、溶解体験を促すさまざまな仕掛けがあり、溶解体験によってイリンクスを引き起こさせる

  • 園内の各施設にはストーリーがある。ひとつひとつは断絶された全く別のものだが、一定のレベルで見ると一貫性を認識できる

ところで、絵本に関する動画の後半にて、出演者の堀元見氏は「絵本は後に遭遇する人間社会のチュートリアル」なのではないかで考察していた。ナントカ夫人とウンタラ伯爵の物語に触れる前に、明らかに見た目が異なるネズミさんとゾウさんという(若干極端にも見える)記号化された登場人物によって、物語というものに慣れることができるというのだ。
であるならば、「ディズニーランドはアメリカ文化のチュートリアル」なのだと思う。

ニセモノの大傑作

イタリアの思想家ウンベルト・エーコは、蝋人形館と「カリブの海賊」を比較して、前者を「本物の佳作」、後者を「ニセモノの大傑作」だと指摘したそうだ。

これこそ、ディズニーテーマパークの最大の特徴であり、博物館とディズニーランドの違いでもあるだろう。

アトラクション「カリブの海賊」内の海賊たちは、オーディオ・アニマトロニクスというディズニーが独自開発した技術が用いられている。これはオーディオに合わせて動きアニメーションを行う機械エレクトロニクスという意味。また、着せられた衣装はすべてディズニー社がデザインし、用意したものだった。つまりニセモノだ。

こうした数々の「ニセモノ」をもって、我々ゲストの目に「本物に映る・・・」ように作られたのが、ディズニーテーマパークなのである。

このことには博物館としてみても明確な利点がある。
それは、子供たちが自由に参加して、楽しんで学ぶことができる点だ。

メディテレーニアンハーバーのガリオン船は精巧なレプリカだが、本物のガリオン船を常時海の上に浮かべておくわけにはいくまい(そもそもニセモノの維持でも手一杯のようで、この施設は割と頻繁に改修が行われる)。ましてや、中に人を入れて自由に走り回らせるなど言語道断であろう。東京ディズニーシーならば、ゲストは船の中に入り、ニセモノではあるが航海士たちの暮らしを垣間見ることができる。

また、本来立ち入ることのできない地域に立ち入ることができるといった点では、プロメテウス火山にも同様のことが言える。小山(2007)は「東京駅から電車で13分の千葉県内に活火山があることをご存知だろうか?」とプロメテウス火山を紹介した。

これらはいずれも、ディズニーテーマパークが「ニセモノの大傑作」だからこそ提供することができる価値である。

魔法という名の漂白剤

さて決して私はこれらの点だけを見て、ディズニーランドの博物館的価値を強調したいわけではない。むしろ反対である。
ディズニーランドには博物館としての重大な問題がある。

続く記事では、博物館とディズニーテーマパークを取り巻く議論を紹介しつつ、博物館とディズニーランドの関係性の行く末を考えたい。

第一の問題は「漂白剤」。「カリブの海賊」にはある「影の物語」が語られていない。
その物語は、ディズニーの魔法で「漂白」されてしまったのである。

NEXT☞
それは、魔法という名の漂白剤【博物館とディズニーランド③】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?