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吉備路を往く

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吉備と言われた古くからの地域の歴史、文化を探ります。
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【吉備路を往く④】街から消える「村」・・・人口70万人都市で進む過疎化

【吉備路を往く④】街から消える「村」・・・人口70万人都市で進む過疎化

岡山市は人口70万人を超える政令指定都市であり、県内1位、中国地方でも広島市に次ぐ大都市である。県外から観光などで訪れる人に話を聞くと「もっと田舎だと思った」と口を揃えて言う事が定番で、新幹線の駅があるだけの町だと勘違いしている人が多いようである。
岡山市を含む4つの自治体を合わせた「岡山都市圏」は、総人口150万人を擁し、この都市圏の大きさであれば広島を凌駕する。街には路面電車とバスが走り、10

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【吉備路を往く③】岡山県知事三木行治氏が戦争を偲んでつくった大仏のはなし

【吉備路を往く③】岡山県知事三木行治氏が戦争を偲んでつくった大仏のはなし

三木行治。この名前を聞いた岡山県民は誰もが「ああ、三木さん」という。私はこの人を知ってるから、ことあるごとに「三木さんはどんな人ですか」と聞く。ある人は彼を「後にも先にもいない、偉大な政治家である」と言い、ある人は「福祉と慈愛の先駆者である」と言う。

三木知事について

三木行治は医者であったが、厚労省に勤めてから頭角を現した。第二次世界大戦後、県民に請われる形で県知事選に出馬。戦後の選挙で2代

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【吉備路を往く②】儒学者 中江宜伯 の足跡と、彼の墓地

【吉備路を往く②】儒学者 中江宜伯 の足跡と、彼の墓地

岡山とその近辺の歴史や文化を再発見するシリーズ。第2回は、9歳で藩主に仕え、23歳で岡山の地に眠った、ある若い学者とその墓地に関するおはなしである。

花畠教場の歴史時代は今から400年前、江戸時代初期である。近江の国(現在の滋賀県)に1人の儒学者が居た。
名前を中江藤樹(1608-1648)。

この時代、学問をするという事は「儒学」をするという事。幕府は中国の儒学の中でも「朱子学」を奨励し、幕

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【吉備路を往く①】地図にない祭祀堂~義民喜兵衛様を訪ねる~

【吉備路を往く①】地図にない祭祀堂~義民喜兵衛様を訪ねる~

岡山駅より、宇野バス「高島・東岡山方面」に乗り、東支援学校を通り過ぎてすぐ。ここは旧山陽道の通っていた地区で、江戸時代から村がある。
名前を「土田村」という。
この地区には代々言い伝えられてきた、ある悲しい昔話があるという。

私がその話を知ったのは、1970年にRSK山陽放送で放映された「村の犠牲6人」という特集を見る機会があったからである。
そこでは古くからの言い伝えを話す老人と、大正時代に建

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