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文字があらわす人の内面

人の書く字に興味がある。

見どころは多い。巧拙はもちろん、筆圧の濃淡、サイズ感、クセから醸される味わいなどなどだ。


なにより、文字には書いた人の「その人らしさ」が宿っている気がする。

筆跡は、その人が文字を書くたび、小さな一画一画が積み重なってかたちづくられたもの。

一朝一夕に身につくものではないから、余計に愛おしさが増す。

そして、だからこそ、字を褒められると、今日まで生きてきた道のりを肯定してもらえたかのような気持ちがして、めちゃくちゃに嬉しいんだと思う。大袈裟かもしれませんが。


スマホで指一つでメッセージが交わされる時代。非常に便利になって、手書きの文字の登場頻度がガクッと減ったからこそ、そのパワーはますます偉大さを増す。

ある夏、遠方に住む友達から唐突に手紙が来たことがあるのだが、めちゃくちゃ達筆な草書体で、ごくごく普通のことが書いてあって笑った。「元気?こっちは相変わらず…」といった具合。
公民館の講座でペン習字をノリで習い出したらしく、その成果が遺憾なく発揮されていた。
もともと字のきれいな子だったけど、あまりの達筆さは驚きを超えて笑いに変わることがわかった。字、すごい。


字といえば、思い出すのが中国。

高校の国語の授業で「山月記」を習ったとき、先生がしてくれた話が印象に残ってる。

山月記は、中国の唐の時代のお話だ。
詩人を目指したものの挫折し虎になってしまった李徴だが、かつては超難関試験に合格したエリート役人であった。

その試験では知識だけでなく、文字の美しさも評価の対象になっていたという。

文字まで審査されるのか、ととても衝撃で、授業中の脱線話なのに印象に残った。

頭がめっちゃいいのに文字が壊滅的に下手な人のことが勝手に心配になりつつも、中国って筆跡にに並々ならぬ思いのある国なんだなと思い、興味がわいた。

そういえば旅行で上海の公園に行ったとき、おじさんが箒サイズのでっかい筆に水をつけて、地面のアスファルトにさらさら文字を書いてるのを見たことがある。非常に美麗で、驚嘆ものだった。蒸発すると消えてなくなっちゃう儚さもあいまって、目が離せなくなるパフォーマンスアートだった。これも中華ならではの文化なんだろうか。


大阪市立美術館で、隋時代の石に刻まれた文字を展示しているという。バリ渋な展示。
さっそく見に行ってきた。

墓に刻まれた文字を「墓誌」というそうだが、それを魚拓のように紙に写しとったものが展示されていた。

彫られた石そのものも見たかったが、そうなると墓ごと持ってきての展示になるので、そりゃ死者も遺族も心穏やかじゃおれんなと諦めがついた。

見ていてびっくりしたのが、私たちが今日本で使ってる文字とほぼ一緒だったこと。
1,500年前の中国と、形や美しさの感覚がほぼ変わらないというのは衝撃だった。
隋時代の人間と頑張れば文通できそうなくらいだ。

日本の平安とか鎌倉の文字の方が、崩されすぎてなんて書いてあるから分からないっつーのに。笑

漢字の楷書体の完成度の高さに降伏するほかなかった。

あとシンプルに、彫りで一文字一文字きれいなのにも感動した。
わたしが書きやすさ抜群のジェットストリームで対抗したとしても、隋の人が石に彫った文字の美しさには大差をつけられて完敗だ。


文字が人間のすべてだとは思わないけど、文字をきれいに書く人間のことは信用したくなるし、一目おいちゃう自分がいる。

文字って面白いなぁ。書いてある言葉の意味を伝えるだけでなく、文字の美しさそのものにもメッセージがのっかるなんて。


文字を書くことについて、改まって考えることってあんまりないので、この展覧会はいいきっかけになった。

寝る前につけている日記。
今日ばかりは背筋を伸ばした姿勢で、いつもよりきれいな文字で書いてみたいと思った。



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