母は今日も元気です。
パーキンソン病の母と 虐待されていた私が 一緒に暮らすということ
#4 葛藤
明らかに私より元気な母。
動きにくいなりに日々アクティブに過ごすそんな母ですが、パーキンソン病になっていなければ、おそらくもっとやりたいこともあったでしょう。今頃”スーパーばあちゃん”にでもなって、富士山登山に挑戦したいなどと言い出していたかもしれません。
母のことは今でも憎くて悔しくて…、できることなら私が受けた苦しみを同じだけ味わわせてやれたらいいのにとまで思う私ですが、それでも病気に立ち向かう母を姿を見ると胸がざわつきます。
震える手で書く字は判別つかず、スマホのボタン1つ押すのにも苦労して、歩く姿もおぼつかない。それでも”できる限りやってみる”をモットーに母は奮闘しています。
私が80歳になって同じようにパーキンソン病を患ったとして、母のように前向きに頑張れるとは思えません。日々トライを繰り返す母のことが少しだけ誇らしいです。本当に少しだけですが…。
ただその一方で、あれやこれやと自らの欲求そのままに挑戦するその様に、”あの頃の母”の姿も散らつきます。
自分のストレスを解消したいがために、私をサンドバックにしていた母。自己愛の塊で自分第一主義。やりたいようにやる母。世界一憎い母の姿です。
何年、何十年経ってもついて回る過去。
何があっても許せないと憤る私がいる一方、もはや水に流すしかないのではと白旗をあげようとする疲れた私も同居していて…。
まいったまいったです。
【許せない/許す】以外にも、【気にしない】や【無視する】など色んな選択肢がある”自分を苦しめていた相手への接し方”。
虐待に限らずいじめやパワハラなど、人生において”自分を苦しめる相手”と向き合わなといけないシチュエーションは多いかと思います。
私は【歩み寄りたい】という無謀な選択をしてしまいましたが、これを読んで下さった皆様はどのようなチョイスをされますか? よければ教えてください!
親子関係の構築ー。
医師すら「無謀」と胸を張って言うほどの未知のチャレンジですが、せめて、”愚か者の事例”としていつかどこか誰かの参考になればと思っています。
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いつか母と仲良くなれたら、母と私と猫さんで旅行に行きたいと思っています。 野っ原をのんびりと散歩。 母との生活は始まったばかり。 夢は大きく、まだまだ諦めません^^