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【感想文】弓浦市/川端康成

『大改造!劇的ビフォーカワバター』

▼あらすじ

香住と婦人はかつて弓浦市で深い仲になったみたいだけど弓浦市なんてそもそもあれへんがな、的な話。

▼読書感想文 ~ 川端康成「匠の技」のご紹介 ~

この小説は一歩間違えると凡作と成り果てる。なぜなら、読者にしてみれば「婦人」を単なるパラノイア患者と容易に判断してしまい、その結果、「精神疾患あるあるを描いただけのフツーの作品」と皮相的に捉えることができるからである。しかし、吟味を重ねると本書はれっきとした文学作品でありさらにその完成度も高く、それはひとえに職人・川端康成の「匠の技」による仕事の成果であるといってよい。

下手すると凡作と化す本書『弓浦市』。これを文学作品に仕上げるために匠は一体どんな技を施したのか。

◎匠の技①「神秘!回想世界」

この小説には「回想世界(※後述)」という細工があるからこそ文学として成立していると思う。
で、それが窺える場面は、婦人の話が進むにつれて香住が思う、

<<回想という世界で、香住は婦人客と同じ国にはいってゆけぬもどかしさがあった。その国の生者と死者とのような隔絶である。>>

という香住と婦人の両者に存在する <<回想という世界>> である。これと同様に、作中ラストで他の客たちが婦人を <<頭がおかしいという結論>> を出した直後から始まる香住の、

<<自分の頭もおかしいと思わないではいられなかった。この場合、弓浦市という町さえなかったものの、香住自身には忘却して存在しないが、他人に記憶されている香住の過去はどれほどあるか知れない。―以下省略― >>

という表記も然り、最終的に香住は婦人の話を受け入れている点に匠の技がある(普通の人間なら、婦人をさっさと追い返してキチ●イ認定するであろう)。で、前述二点の引用から察するに、この小説は「現実世界(香住)と異世界(婦人)」という二つの世界を示唆した話ではなく「香住の回想」と「婦人の回想」から構成された、たった一つの <<回想という世界>> がまず存在し、三十年前に二人はこの回想世界にある「弓浦市」で確かに出会っていたのである――と仮定して考えれば、婦人の言い分は理屈が通る。そしてなぜ香住の回想世界には弓浦市が存在しないのかと言うと、これは文字通り「回想」の中での出来事のため、彼が単純に忘れただけとすればこれも理屈は通る。また、前述した通り、香住は婦人の話を聞いて普通の人ならドン引きするところを淡々と受け入れている点からして、彼は「かつて過ごした回想世界」との親和性が無意識に生じたものと考えられ、その結果、婦人の話を否定することなく受け入れたとすら思えてくる。解釈まみれで恐縮だが、こうした細工こそ匠なり。

◎匠の技②「神業!ほぼ一人称小説」

この小説は「三人称かつ香住視点」という形式で描かれているが、よく見ると地の文にも香住がやたら紛れ込んでくるのでほぼ一人称小説である。ではなぜこれが匠の技なのかというと、話に「神秘性」が増すからである。もし仮にこの小説を「三人称神視点」で書いてしまうと「香住という変なヤツがそれを上回る変な婦人と三十年前に回想世界で乳繰り合った話」という展開が作中に露骨に提示されてしまい、読者にとって非常に興ざめではないか。そうならぬよう、「ほぼ一人称小説」を採用することで「ウソかホントか分からないような世界観を香住という変なヤツが一人で勝手に語ってる不思議な話」となり、そのおかげで作品に奥行きが生じ、読み終えてもなお後味が残り続けるといった効果があるように思う(大岡昇平『野火』も然り)。まさに匠の仕事なり。

◎匠の技③「恐怖!婦人の話芸」

といったことを考えながら、婦人が涙ぐみながらも話の中で唐突に放り込んでくる「台所で刃物を研いでおりましたりして……」という台詞が非常に不気味であり、この一文にも匠の意匠が凝らされているナリよ。

以上

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