セフレは低俗で、恋人は崇高で。
常々、疑問やった。
どうして、身体的結びつきよりも精神的結びつきの方が、「神聖なモノ」みたいな取り扱いを受けるのか。
日本の近代文明の産物であるイエ制度が作り上げた、モノガミー*1規範のせい?
それとも、ロマンチックラブイデオロギーの浸透のせい?
そんな疑問が私の狭い狭い脳内で、でーん!!とあぐらをかいてるくせに、友達から「好きな人のセフレ状態になってしまった〜泣」なんて相談を受けたら、なんのバックグラウンドも想像せずに、
「もっと〇〇のこと大切にしてくれる人がいるよ!」
「そんな人に固執しなくてもいいよ!!」
なんて声をかけていた。これが、ほんの1、2年前の話だから、もう穴があったら入りたいとは、まさにこのことである。
今なら、せめて第一声は「そうなんだ!それって、あなたにとって今はしんどいことなの?幸せなことなの?」くらいの言葉なら選べるようになった(まだ、これが最適なのかは要検討中ではあるんだけどね)。
恋人>セフレ>友人
Twitterで仲良くしてくださっている方が、言っていた。
「私は、恋愛も性欲も独立したモノだと思ってる」と。
その一言で、私の長年の疑問は、そもそも私の固定概念が生み出したモノだったんだな〜と気づいた。
もちろん世の中の”一般的”な意見では、セフレは都合のいい相手で、「遊び」でしかなくて、「友達以上恋人未満の存在」なんて比喩される。
おそらくそれを定式化するなら、恋人>セフレ>友人と、表せるっぽい。
でも、この不等式には矛盾を感じる。
恋人は崇高で。
海外のいわゆるFWB(Friends With Benefits)の位置関係が、肌感ではわかってないので、あくまでも”日本では”のお話だが、一般的に、恋人(ないしは、配偶者/パートナー:以下はめんどくさいので「恋人」とだけ書く)とは、「崇高なモノ」のという価値観が日本は根強い気がする。
でも、そろそろこんな価値観に転換期が来てもおかしくないんじゃないのかな〜と思う。
恋人が「崇高なモノ」と考えられているであろう理由を考察するなら、多くの人にとって、誰かを「恋人」と呼称する行為は、精神的繋がりと身体的繋がりをもった唯一無二の存在がいるという宣言と解釈される傾向にあるからなんだろう。
続けて、私の所見だけで、まとめさせていただくと、
というのが、いわゆる”一般的な回答”という感じだろう。
でも、そうでもないから、世の中のカップルの多くは、セックスレスと浮気の間で頭を悩ませるんじゃなかろうかと思う。
精神的繋がり>身体的繋がりという図式に納得しているなら、セックスレスで悩むカップルは少ないはず。
しかし、セックスレスが多くの人にとって悩みのタネになるのは、精神的繋がりと身体的繋がりに優劣はつけられないからじゃないだろうか。
恋愛感情も、性的欲求も抱くということを前提とするなら、この2種類の「繋がり」は、なんらかの符号で繋ぐことはできない独立事象だと思う。
FWBとセフレ
なんでもかんでも他国の文化がいい!と言うのは好きじゃないんだけど、新しい視点で物事をみるためには、非常にいい引き合いにはなる。
きちんと「交際しましょう」といい合う文化のない国には、FWBの期間を経て、「僕たち/私たちって付き合ってるよね?」と「恋人」がスタートしたりするそうだ。
これは、「FWB=試用期間」みたいな感覚なんじゃないかな。日本だと、この感覚に否定的というか、「理解はできるけど、感情論で許容できない」と感じる人は多そうではある。
ただ、私はかなり合理的でいいと思う。
付き合った後に、「性交渉の観点から、どうも相性がよろしくないですね、、、」となって頭を抱えるとか、「どうしよう。この人とは、価値観が違いすぎて精神的に強い繋がりなんて築けなさそうだ、、、」と気付くことなんてザラにある。
でも、日本のFWBを強いて訳すなら「セフレ」になるわけだけど、日本のFWBこと”セフレ”は、どうもFWBとは少し形態が違う気がする。
おそらく、セフレは恋人の下位互換であったり、浮気相手の別名だったり、恋人に昇格することのない友人と体の関係を持ってしまった時に、ラベリングすることでどうにか関係性を正当化したい時の常套句だったりする。
だから、日本の「セフレ」は、多くの人にとって「低俗」なのかもしれない。
「恋愛も性欲も独立したもの」
私は、この考えに賛成の人だ。だから、どちらか一方だけを欲している時があっても、両方を同じ人に求める時があっても、どちらも要らないと思う時があっても、すごく自然だと思う。
日本での、”セフレ”は低俗なものなのかもしれないけど、そんなの本人たちの解釈次第だし、本人たちの納得の度合いで「いい関係か否か」が決まるものなはずだ。
少なくとも第三者が「崇高だ。低俗だ。」と勝手に批評するのは、とても無粋だなと思った。
名前のない関係が心地いい時だって、誰にだってある。
ハリネズミのジレンマを起こしてしまう時が往往にしてあることくらい、ある程度生きていれば経験する。
だから、私はこれまでの自分の言動を内省しながら今日も眠りにつく。
次は、”ちゃんと”返事を返せるように。