Sachiko_LIFEBLOOM/花と移住とキャリアのスペシャリスト

オランダ在住フローリスト。 オランダで花を学びフリーランサーとして独立。 オランダ移住…

Sachiko_LIFEBLOOM/花と移住とキャリアのスペシャリスト

オランダ在住フローリスト。 オランダで花を学びフリーランサーとして独立。 オランダ移住・キャリア相談お気軽にどうぞ!

最近の記事

オランダ移住:海外移住は親のエゴなのか?

到着して1週間。娘発熱。早いものでオランダに着いて1週間が経ちました。 この間に家具や食材が揃い、家の周りもなんとなくわかってきて 生活が整い始めた実感があります。 ただ、1つ。来月3歳になる娘が一筋縄ではいかず、ちょっと何かがあると「ばあばんちに帰りたい」と泣きべそをかく状態。 着いて数日はまず英語にイライラし、私や夫が大家ファミリーや業者さんと英語でやりとりしていると必ず「英語で話さないでー!」と爆発。 オランダのおいしいチーズやヨーグルトもお気に召さず何も食べたくないと

    • オランダ移住:日本大好きオランダ人

      アムステルダムの女性ホテルオーナー下見の時から感じていたこと。 一部のオランダ人は日本がとてつもなく好きだということ。 アムステルダムのホテルに宿泊した時、チェックインをして私が日本人だとわかるや否や抱きしめて日本についてマシンガントークを繰り出すオランダ人オーナー。彼女は日本の庭が大好きで自宅には石庭があり、アンティークの着物や雑貨を集めるのが趣味だそうで、庭や花、インテリアのことなどたくさんお話をしました。 「それはそうとあなたなぜアムスに来たの?」と聞かれ私のターンに。

      • オランダ移住:しょっぱなのちょっとしたトラブル!

        オランダの家は傾いているこれはオランダに限らずヨーロッパではよくある話だけれど、日本のように新築で家を建てる文化がないため、建物は築100年以上がデフォルト。 我が家も例にもれず1920年に建てられた街のセンターにあるアパートメント。 私は全く気にならないのだけれど、夫はしきりに 「この家傾いてて気持ち悪い」と言っていて、 娘のスーパーボールを転がすところころと窓際に転がっていきます。 中でも寝室が一番傾いていてせっせと夫はベッドの足の下に段ボールを敷き 4つの足の高さを整

        • オランダ移住:夢の国に到着!正直な気持ち

          13時間のフライトを経て、さらに北へ2時間電車に揺られ新居のあるHarenに到着。 23kgの大荷物4つ抱えて、10kg越えのバックパックを背負いたどり着いた新天地。 そこにはこの日まで連絡を取り合った不動産ブローカーで大家の息子さんが立っていました。 彼と顔を合わせて、「本当に実在した!詐欺じゃなかった!神様ありがとう!(そしてなんてグッドルッキングガイ(叶姉妹風)!)」と心の中で叫びました。 オランダでは住宅難に目をつけた悪い人たちが大家や不動産屋を装って家賃や敷金が振り

        オランダ移住:海外移住は親のエゴなのか?

          なぜオランダなのか?オランダには世界一がたくさんある。

          世界一子供が幸せな国とても有名な、オランダが誇るべき世界一。 これには2つ理由があって、まず1つ目に、 「家族といる時間が長い」というのが挙げられます。 オランダの保育料はとても高く、日本のようにフルタイムで毎日保育園にお世話になった場合、30万円以上の保育料がかかります。 そのため保育園ではなくPeuterspeelzaalと呼ばれる幼稚園に通うのが一般的です。費用は自治体によって補助が出るため、低額で通わせることができます。 登園は平日4日、午前中のみ。 そのため両親がフ

          なぜオランダなのか?オランダには世界一がたくさんある。

          改めましてご挨拶|プロフィール

          「悩みなき幸せ星人」群馬県前橋市出身。1984年5月16日生まれ。 立教大学を卒業し、オランダ北部Harenという街に住んでいます。 26歳の時に初めてオランダ花留学に参加し、W杯チャンピオンであるWim Hazelaar氏に師事。 オランダスタイルの花の素晴らしさはもちろん、 オランダ人の生き方やライフスタイルに深く感動し、それ以来花と生き方を学ぶために何度も足を運び、マスターディプロマを取得。 ヨーロピアンフラワーデザイン連盟のデザイナーを経てフリーランスのフローリスト

          人生は思い出作り

          前回の記事からだいぶ間が空いてしまいました。 この4ヶ月間、私が何をしていたかと言うと… 来週に迫ったオランダ渡航の準備と家探し。 今回の移住は私が言い出しっぺなので、 手続きや家探しなど諸々は私が主体で進めています。 夫は主夫となり家事育児を担当し、 一家を裏で操るフィクサーとして活躍してくれています。 この記事のタイトル「人生は思い出作り」は この移住のきっかけとなった夫の言葉です。 娘が生まれた私たち夫婦にとって、1番大切なのは、 老後の資金のためにがむしゃらに働くこ

          オランダで学んで人生が激変

          出生~高校生まで 私は北関東のゴリゴリの公務員家庭に生まれました。幼稚園は私立の寄付金でお遊戯会の役の優劣が決まるこの辺りでは有名なお受験幼稚園。卒園後は兄が受かったからと私も国立大附属の小学校を受験し、中学まで通い、高校はクラスの半分が通うからと迷うことなく地元では名の通った公立の女子進学校に通いました。親の口癖は「普通が1番」。一緒に育った兄は当然親の希望通り警察官に。私は「国立附属に入れておきながら普通ってなんだよ」と歯向かう、万年反抗期の娘として何不自由なく育ててもら