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オランダ移住:実家問題

避けては通れない介護のこと

日本をしばらく離れる前にやらなければいけないことは多岐に渡りますが、実家のやるべきことをきちんと済ませてから発つことは大事なことの1つです。
以前こちらの記事でもサラッと触れましたが、私の実家には今年101歳になった祖母が母と同居していました。

母と祖母は嫁と姑の関係。娘から見ても関係は良好で、母はよく「もう実母よりも長く一緒に住んでるし、血のつながりは超えたわ」と言っていました。
なぜ二人で同居しているかというと、3年前に父が旅立ってしまったから。
父が亡くなった後も当たり前のように母が一人でお世話をしていましたが、今回私たち家族が渡蘭前に2か月一緒に住まわせてもらう中で、母一人で祖母の介護をするのは限界ということがわかりました。
私自身この2か月でどうにかすることは決めていましたが、実際に動いてみるとそれはそれはそれは大変でした。
何が大変か?父の兄姉との折衝です。聞いてはいましたが介護は揉める
それを体感した出来事でした。年を重ねれば多くの人が避けては通れない介護問題。私たちはオランダ移住がきっかけになりました。

祖母の介護度

介護をするにあたって、介護度というのが重要なポイントの1つとなります。これはどれだけ介護が必要かを示す数字で8段階で表されます。私の祖母は介護度3。これは24時間介護が必要な状態です。
頭ははっきりしているときもありますが、身体的には介助が必須。オムツを履いてはいますが夜中に何度もお手洗いに行き、見守る側としては熟睡することはできません。
そんな中、私たちが群馬に帰ってきてから母が30年ぶりに風邪をひき寝込みました。私たち夫婦がいる安心感とずっと一人でお世話をしてきたプレッシャーからの解放と、特にこの3年はゆっくり熟睡することもできず久々に休めたと話します。そして続く「もう限界かな」という言葉を聞き、私の夫は決意します。

父との約束

父は生前私の実家のすべてのことを全幅の信頼を置く私の夫に託しました。
「ばあさんとお母さん(私の母)をよろしく。然るべき時が来たらばあさんの手続き等全部君が進めてほしい。」そう夫に話したそうです。
「お母さん、僕はお父さんからそう言われています。公務員時代は福祉のプロとして何人も高齢の方の施設入所のお世話をしてきました。ただ僕の経験上必ず介護は揉めます。お母さんが前面に進めるとお母さんの気持ちが持たないので僕に任せてください。仕事として粛々と進めます。」
そう母に告げて祖母の施設入所に向けて動き出してくれました。

介護問題のリアル

まずは父の兄姉のもとに相談に伺いました。
長男であるおじは早くに未亡人になった祖母をずっと資金援助しており、今回の入所に関しても「できれば家で看取るのが理想だけど、自分たちでは世話はできないしそうなったなら入所しかない。君たちがいるうちに手続きを進めてほしい」と頭を下げます。

続く姉は、夫が相談に上がりたいと伝えただけで電話越しで発狂。
「ただ寝てるだけのおばあちゃんがそんなに大変なの!?」と叫んでます。おばは週に1回実家を訪れ、寝ているおばあちゃんの顔をチラッと見て母が入れたお茶を飲んで30分で帰ります。オムツを変えたりお風呂に入れてくれたことはもちろんありません。それでもおばは母と一緒に介護をしていると言いますが、おばがやっていることはお見舞いです。私たちにあまりに腹が立ったようでこちらの予定は全く無視して、電話の10分後に実家に怒鳴り込んできました。
こちらの話を聞かずただヒステリックに怒っています。私の3歳の娘の前にもかかわらず。私も娘もこんなに感情的に怒る人は見たことがなかったのでポカーンとしてしまいましたが、娘にこんな有様を見せるのは教育上よくないので、ひと言「娘の前でやめてくれない?」と伝えたところ、少し我に返ったのか「勝手に進めてちょうだい!」と捨て台詞を吐き帰っていきました。そんなに怒ってても自分の家で引き取る気はないんかい!心の中でツッコミの嵐です。

夫としてはその言葉だけが欲しかったので、今お世話になっているデイサービスに空き状況をすぐに確認。本来であれば4か月待ちだけれども、101歳と高齢で急を要する状況から、たまたま出た空き部屋に優先して入所可能ですとの返事をいただき、1週間後の入所が決まりました。

ほっと一安心と3人で胸を撫でおろしていたところ、長男であるおじから電話が。改めて夕食を食べながら話をしたいというので伺うと、早々に話を切り出してきました。
オランダなんか行かないで、俺が毎月10万やるからお前(私)が面倒を見ろ
豆鉄砲を食らった鳩になる私。何言ってんの?このおっさん。どうしたらそうなる?と思い一応続く言葉に耳を傾けると、要は40歳なんてそんな年齢だから私が適任。そしてチャラチャラ海外に行くのが気に食わないと。
月10万やってそれを10年貯めれば1000万!悪い話じゃないだろっ!お母さんと相談しろ(ドヤァ)。
いやいや待って。私の仕事の話は詳しくしたことないから知らないのはわかるけど、月10万なら自分で貯められるし、そもそも私のことなんだと思ってんの?そういうこと言うならあなたのNYにいる子供たちも介護に参加してもらいますけどどうします?と言おうとした途端、夫が「話は分かりました。今日はいったん帰ります。」とにこやかに退散のご挨拶。もちろん夕食のお誘いは固辞しました。その様子を黙ってみていた伴侶であるおばは「お母さんには今までお疲れさまと伝えてね。あなたたちも自分たちの人生に悔いのないような選択をしてね」と耳打ちして見送ってくれました。まともな人が一人だけここにいた!
帰りの車中は怒りに狂う私と大爆笑の夫。想像以上だったなと余裕の表情の夫を見ていたら怒っていること自体がバカらしくなり、車内カラオケをしながら帰りました。人ってほんと自分勝手だな。

ガランとした祖母の部屋

入所に伴い祖母の部屋の整理が始まりました。施設に持っていくものと使わないものとで分けて事前に必要なものは運び込みます。
ここまで私たち3人は感情を消して進めてきましたが、共通の気持ちはきっとこう。
「おばあちゃん、この家で最後までお世話できなくてごめんね」
誰だって面倒をみられるならみてあげたい。一緒に生活したい。そう思っても現実不可能だから苦渋の決断をしている。そういう想像力が介護をしていない人たちには足りません。
一番辛いのは介護をしていた人です。
なんでそういう人に「今まで私たちの分までありがとう」と一言言えないのか。身内ながら本当に恥ずかしく思います。

渡蘭前の面会で発した祖母の言葉

施設に入所してからは週に1回が面会の上限だったので、毎週会いに行っていました。もともと調子がいい時は誰が誰だかわかりますが、オランダに行く前最後の面会の日は私のことがわからなかったようで、少し他人行儀なやり取りから始まったのですが、「明日オランダに発つよ!しばらく会えないけどそれまで絶対元気でいてね!」と伝えたところ、
あら!いいわね!若いうちは何でも挑戦しなさい。それが海外移住なんて1番いい事よ!家族みんなで仲良く頑張るのよ!
海外旅行が大好きだった祖母の心からの言葉でした。
その言葉を聞いた夫は、ばあちゃんが1番いいこと言っていたなと笑顔で部屋を出ていきました。

母と祖母の健康を守ること。その最適解が施設入所でした。
そしてその手続きを自分の家のことのように進めてくれた夫には感謝しかありません。母だけでも、そして私が加わってもこの結末のようにはできなかった。お父さんと約束したからと動いてくれた夫、そしてこの状況を見越して夫を指名した父もグッジョブです。

日本を発つ前に避けては通れないことがある。感情が揺れたり嫌な思いをしたりもあるけれど、だからといって逃げて問題を先送りにして無責任なことはできない。いなくなる身だからこそやらなきゃいけないことがあります
「行ってらっしゃい!」と快く見送ってくれる大切な家族のためにできることをする。それが大切だと思っています。


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