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人生の中できっと思い出し続ける、忘れてもいい

Instagramで読書日記だけではなく、日常のことも投稿するようになった。なんのことはない、ノートだけが並ぶ投稿欄の見栄えにあきてきたのと、日によって違う写真の光の加減が妙に気に障ったという理由なのだ。

そうすることで、InstagramとTwitterとnoteの境目が曖昧になり、3つも本当にいる?という問いが生まれ、書き分けにも悩み、やれこまったとなっている。

もとは誰かに見てもらうために始めたことではなかった。でも今はそれぞれに読んでくれている人がいることも、続けられるひとつの意味になっているようで、自分にとっては誰かに見られていることで整う何かもあるようだ。

誰が読むんだこれ、という問いはナンセンスで、僕が読むんだよなこれを。読むことは書くことで、書くことは読むことなんだよな。

-プルーストを読む生活より

というようなことを柿内さんも言っていて、そうだそうだと思い、自分の残したいものを、自分の残したい形で記録しているだけなのだ。なにより自分が見返して、納得していたいのだ。今のところはこれでいい。

まあそんなことはそれくらいにしておいて、この間『秋』を読み終えてしまったので次にドストにもどるのかどうなのか迷っていた。

そこで本棚をながめていて手に取ったのは滝口悠生さんの『死んでいない者』で、かなり前に装丁がだいすきな猪熊さんという理由で買っておきながら積読され続けていた本に突如、読む気分というものがやってきたのだった。

一気に読んでしまい、正直とても、かなりよくて、うまく言えないけれどいろんな人の生きている断片に触れたようで、読み終えた瞬間、ふぅと息をついた。

淡々とした文章でいろんな人にうつりかわっていく視点。言葉にすると陳腐になるけれど、人生のなんでもなさ、くだらなさ、それでいて尊さみたいなものを同時に感じて、たしかにわたしもこういう感じ知っていると思うのだった。すべての瞬間が映像として脳裏に鮮明に浮かび、とくに知花が川に寝そべる瞬間、それと美之の歌うテレサテンは、多分なんどもなんども思い出すだろう。でも、それを忘れてしまってもいいのだというようなはっちゃんの言葉も、何かを思い出そうとするたびにきっと思い出す。

釣りバカ日誌で有名な山田洋次さんの喜劇舞台『家族はつらいよ』を南座で見て、笑って泣いたのを思い出したりもしたのだった。そのとき感じたものに近い感覚があった。

何気なく手に取ったときが、やはりいちばん読んでよかったタイミングだったりもするのかもしれない。

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