見出し画像

余韻から抜け出せず

この間ついに『カラマーゾフの兄弟』を読み終え、興奮の中まだ自分の中で感想を書けるまでに整理されておらず、いつものコラージュ読書日記を作りかけては出来栄えに納得できず途中で放り投げ、先にずっと書きたくてうずうずしていた相関図をまとめようと、上巻から順にぱらぱらと人物描写部分を改めて読み直している。

カラマの新潮社の解説を読み、えっそうなのとびっくりした部分があったので、光文社の方の解説も読みたくて、本屋さんで立ち読みしかけ、いやあかん…と思いとどまり、BOOKOFFで5巻だけ買おうか真剣に悩んでいる。

その流れで『地下鉄の手記』あたりに手を出したいところだけれど、ひとまず休憩として、阿刀田高さんの『新約聖書を知っていますか』を読みはじめたけど、これは!正直かなりいい!阿刀田さんの分かりやすい例えと、聖書を読み解くにあたって、絵画や戯曲などと照らし合わせながら解釈していく方法がわたしには合っているらしく、聖書を知るための入門書としてかなり!おすすめしたい。

例えば、有名な「受胎告知」の絵がまぎれもなくイエス・キリストのはじまりであることを、知っているようで、意識していなかったし、あの絵の前後に何が起きているのかを知ることで、ただただ精密で美しいとか感覚でしか見てこなかった宗教画の鑑賞の視点が広がってゆく。

受胎告知の絵といえばわたしにとってはダ・ヴィンチの描いたものだったけれど、世界にはさまざまな人が描いた受胎告知があり、それぞれにマリアと天使の様子がちがう描かれ方をしているというところもおもしろい。

その絵に描かれたのは聖書に出てくる誰で、聖書のどんなシーンで、画家はその場面をどう解釈しているのか。そんなことを考えながら改めて絵を見ると、うわわ、たのしいいいいとなる。

受胎告知は、絵画としては多く描かれている一方で、聖書の方ではあまり重要視されていないらしく、民衆のマリア崇拝の影響で後から聖書に付け足されたエピソードなのではないかという説も興味深い。

そしてふたつめの例えばは「サロメ」。これもわたしにとってはオスカー・ワイルドの戯曲の妖女のイメージが強かったけれど、聖書のサロメはぜんぜん妖女じゃなかった。しかも殺されたヨカナーンは預言者ヨハネのことで、イエスと同じく、神が俗世に授けた子で、イエスの洗礼までした超重要人物であることを知る。そっかそこがつながるのか。ヨカナーンとヨハネが同一人物とは思わなかった……

などなど、読んでいると、知っている絵や物語と聖書がどんどんつながっていき、さいこうにたのしい。もう一度言う、さいこうにたのしい。

同時に『カラマーゾフの兄弟』のページをぱらぱらめくりながら、あ、この引用、聖書のあのエピソードだ、と、つなぐ作業をしていくのもたのしい。そうやって見ていくとドストは、新訳では「ヨハネの福音書」( 預言者ヨハネとは別人らしい ) を多く引用しているし、旧約聖書では「ヨブ記」のことを多く引用しているぽく、『旧約聖書を知っていますか』も読まねばなという気になってきた。

分からないなりにも知見がすこしずつ広がっていくと、強気な気持ちになってくるもので、これだから読書はやめられないやい!と、他にも関連本を漁る日々がつづきそう。

この記事が参加している募集

読書感想文

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?