働くこと、生きること

先日新しいバイトを見つけた。
今住んでいる町の有名なコーヒー屋さん。
以前も某コーヒーショップのフランチャイズ店に勤めていた。
6年間いた。
6年といっても、私はあまり働かない人間なので、勤務時間は実質3年分くらいだろう。
いや、もしかすると2年くらいかも。
ただ、楽しい職場だったのでダラダラ長居してしまった。
コーヒーが好きで、どうせバイトをするならカフェで働きたいというだけのこだわりで、またもやコーヒー屋さんだ。
ただ、コロナが大変なのでどうなることやら。
働きはじめてすぐ営業自粛も全然あり得る。
いや、濃厚だ。
まぁ、どうせ働かない人間だし、食べるのに困っているのはみんな同じみたいだし、別に構わない。

コーヒーへの愛はかなり強く、いつか趣味で海外まで豆を買い付けに行って、自分で焙煎して淹れてみたいと思っている(今は豆を買ってきて自分で挽くまでしかしていない)。
これは私の中では、わりと大した夢だ。
なにしろお金がいる。
私は、自分で自分の生活の面倒をみるために、自分で働いてお金を稼ぐ、という当たり前の考えが、完全に欠落している。
ので、お金に対する切実さが全くない。
これは重大な欠陥で、自分でもとんでもない人間だな、と思うが、どうしても生きるためにお金を稼ぐ、という思考回路が作れない。
全く理解不能。
てめぇ、さてはお坊っちゃんか!と思われるかもしれないが、残念ながら全然庶民の出だ。
ただ、今日食べるものがないとか、学校に通えないとか、ヤバいところの借金がある、とかもないので、普通に辛酸を舐めていない。
要するにお金のありがたみが分かっていない。
だからお金に対する貪欲な姿勢がない。
これは一度本当の貧乏をしてみるまで治りようがないだろう。
いや、というより貧乏をして苦しんだとしても、結局「なんとしても生きたい!」という一般的な生への基本姿勢それ自体に疑問が残っているから、本質的に私には関係ないかもしれない。
なんとなく、誰かに生かされている。
それで呑気なことばかり言っているわけだ。
ホントにとんでもない。

うーん、でもそんなに責められることかな、とも思う。
まぁ、それくらいの気概じゃないと24にもなって1日中あれやこれや考えて、寝て、食べてるだけをやる度胸はないだろう。
我ながらあっぱれだ。
せめて絵を描いたり、小説を書けば、少しはましなのだけど今は何もアイデアがない。
そもそも私は、正直に言って、自分がなぜ存在するのか、という非常に初歩的な場所で躓(つまず)いたきり、ずっとそこをぐるぐる歩き回っている。
だから「よし、生きるために働こう!」というステップになかなか進めない。

生きるためにはお金がいる。
でも、どうして生きるのだろう。
というか、なんで生きているんだろう。
あれ?いつからはじまってたっけマイライフ。
何の約束があったんだっけ。
忘れた。
いや、最初から知らない。
なぜだ、なぜ「何か」があるんだ??
しかも、よりにもよって"こんなふうに"。
とにかくいまだに眼に映るすべての物事が信じられないくらいに根本的に理解できない。

私が手を伸ばそうと考えて手を伸ばすと、机の上のマグカップを持てる。
これがもう不思議だ。
全然ふざけているわけではない。
いったいどういう仕組みで?
これは自分がしたこと?
え、でも何が?
何をしたんだろう。自分は。
自分?なのかな。
そういうふうに感じるから、自分以外の人間も不思議で仕方ない。
この人も喋った。マグカップを持った。
この人もマグカップを持とうと思ったわけ?
いや、私がこの人もマグカップを持とうと思ったのか?
という調子で、他者がまるで群像劇の役者みたいに見えてくる。
みんな私のためにいろいろな振り付けやセリフを?
あれ、でもこの人から見たら私もそうなのか?
え、なんで「私」は私の中にしかいない?
今、この人の頬に触れたら、どうなるのか。
寝転んで天井を見上げる。
どうしてこの天井。
どうして空、どうして空気。
分かってもらえるだろうか。

人の顔を両手でつかんで、ぐっと自分の顔に近づけて、じっと目を見つめる。
この人を、見ているのか。
この人が、見ているのか。
この人と、見ているのか。
この人と私以外に今、世界に何があるのか。
どこからが自分で、どこからが自分ではないのか。
誰とも一度も入れ替わらない。
私が見ていないところでも物事は着々と進行している。
進行しているのか?
宇宙から地球の自分を見下ろす想像をする。
逆のことをしたら、どうなる?
宇宙の自分を見上げる地球の自分を想像する。
今、自分はどこにいる?
これを読んでいるあなたが決して私ではない!
え、今、入れ替わったような?

ホントに、全然、ふざけてない。

お客様のためにこぼさずにコーヒーを注いだ。
素晴らしい。
ん?でも、それはつまりどういうこと?何?何が起こった?
お金をもらって、食べ物を買って、食べたからお腹がいっぱいになった。
けど、で、そもそもどうして全部「ある」んだっけ??
分からない。
当たり前のように存在する当たり前が全く分からない。
服は寒かったり、危なかったりするから必要で作った。着た。
うん、分かる。私も着る。
すべては目前の切迫した必要により動き始める。
そうなんだけど、でも、だから、なんで今ここに存在してるんだっけ?

鼻かゆくないけど鼻かいてみるよ。
やろうと思えば何回でもできる。
この意志は何?どこから来ている?脳から?脳には誰が?私から?私はどこにいる?ここに?ここはなぜある?宇宙があるから?宇宙はなぜある?ビッグバン??じゃあ、ビッグバンはどうしてあった?何が最初にあった?最初は何もなかった?え?どういうこと?何もないのに何かがあり始めた??

何もないのに?

朝起きて豆を挽いて、コーヒーを淹れる。
とても美味しい。
優雅な朝。
考えてみるとすごい。
この豆はグアテマラで栽培されたそうだ。
ということはグアテマラの人が見て触って育てた。
その人はいつもコーヒーチェリーのことを気にかけながら。
で、収穫して卸した。
パッケージされて、日本に来た。
巨大なロースターで一斉に煎られる豆。
店頭に並ぶ。
私が、お店に、来る。
買う。
自宅でコーヒーを淹れる。
美味しい。
なぜ美味しい、なぜリラックスする?
成分?効果?
いやいや、だからそれで美味しくてリラックスするのはなぜ。そういう仕組み?
じゃあ、仕組みはなぜ?
何が仕組み?
どうして"こうなる感じ"になる感じで「ある」?

ヤバいのか、私は。
さては赤ちゃんなのか。
いやいや、みんな思っている。ホントは。
いや、でも別に隠せる。
隠せる?
何を?
バレたらまずいこと。
赤ちゃんだってバレたらまずい。
まずい?
あるものをないように?
あぁ、なるほど。
これはよほど辿り着けないのか。
じゃあ、考えたって仕方ない、時間の無駄だ。
よし、上手いもん食いたい、働こう。
あれ、上手いもん?
あ、やからした。
上手いもんって、上手い。
え、美味しい。
これを食べると美味しい、幸せだ。
幸せ。え?
なんで幸せ?
本能?習慣と教育?価値観?好き嫌い?好き嫌い!?

いや、でも、そもそもなんで存在は「存在」するんだっけ。

...。

すみません、働けません!
全然はじまりから身動きができません!

あ、それは言い訳にはなりませんか...。
はぁ、困ったなぁ。

...ん?


ん!!?
あれ?

え?

「いやいや、言い訳しているのはどっちですか。」