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作品を鑑賞するのか、コンテンツを消費するのか。

 倍速視聴に抵抗感がある陳氏は、映像作品を倍速視聴する行為を「料理をミキサーにかけること」にたとえ、流暢な日本語でこう説明した。「料理をミキサーに放り込んで、ブーンと回してドリンクにして飲む。たしかに普通に食べるのと同じ栄養がとれます。だけど、それって食べ物と言えるでしょうか?」

稲田豊史『映画を早送りで見る人たち』(光文社、2022年)



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これが非常に面白かった。

時代の変化につれて、人々のコンテンツの見方が変わってきているというのが書かれていて、それを皮切りに「人々の価値観」「社会」「時代」の変化について言及している本だ。

本書ではZ世代の若者に行ったインタビューの内容が要所要所で引用されていて、その価値観の変化が窺えるとともに、作品の作り手や作品を届ける人たちの意見も引用することで、あらゆる観点から思考するきっかけを与えてくれる。

さらに、「なぜ僕らは倍速再生で映画を見るのか」「10秒スキップをしたり、1話を見たらすぐに最終話に飛ばしたりするのか」「その背景にはどういった社会の変化や人々の欲求が隠れているのか」などの問いに対して、根本から紐解いて説明されている。

こういった本書の構成によって、「作品を鑑賞する(またはコンテンツを消費する)」というテーマについてフラットに客観的に考えることができた。

加えて、つらつらと客観的に語られる若者の価値観や心理が、自分にも当てはまることだらけで、自分を見つめる良い機会をもたらしてくれた。「失敗したくない」「すぐに正解を求める」「時間を無駄にしたくない」「コスパ、タイパ(タイムパフォーマンス)を求める」など、SNSをはじめとするテクノロジーが発展したこの社会の環境が、僕らにこうした価値観を根付かせているということも分かった。



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本書を読んで、僕はどう変わったのか。何かを変えていく必要があるのか。

本書においても「作品を鑑賞する」という言葉と、「コンテンツを消費する」という言葉が明確に分けて使われていて、その定義もはっきりと示している。

 ここで、言葉の定義を明確にしておこう。 「鑑賞」は、その行為自体を目的とする。描かれているモチーフやテーマが崇高か否か、芸術性が高いか低いかは問題ではない。ただ作品に触れること、味わうこと、没頭すること。それそのものが独立的に喜び・悦びの大半を構成している場合、これを鑑賞と呼ぶことにする。
 対する「消費」という行為には、別の実利的な目的が設定されている。映像作品で言うなら、「観たことで世の中の話題についていける」「他者とのコミュニケーションが捗る」の類いだ。

稲田豊史『映画を早送りで見る人たち』(光文社、2022年)

そして筆者は、作品の鑑賞からコンテンツの消費へと人々の動画の視聴の仕方が変わってきているという。

このような観点で動画について考えたことがなかったので、この定義はかなり参考になり、自分に取り入れようと思った。それを踏まえて僕は、動画を見る前に「これは通常倍速で鑑賞する作品なのか?倍速再生で消費するコンテンツなのか?」をはっきり区別してから見るようになった。

鑑賞する作品と判断し、通常倍速で楽しもうとする場合は、特に目的を持たずに、ただ楽しむ。娯楽として、趣味としてしっかり時間を浪費することを大切にするのだ。NetflixやAmazon primeの作品を見るときに多い傾向がある。

逆に、YouTubeの動画や音声プラットフォームのコンテンツに多いのだが、目的を単なる情報収集としてコンテンツを消費するような場合は倍速再生で視聴する。

無限のように供給される動画に対して自分の中にこのような基準を設けることで、よりよいインプット、娯楽に繋げていこうと思う。



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ということで、現代の流れがわかり、自分の価値観や行動を見直すきっかけになる良著だった。興味がある方にはぜひ読んでいただきたい。

ではまた。



かくいたくや
1999年生まれ。東京都出身。大学を中退後、20歳で渡独するもコロナで帰国。鎌倉インターナショナルFCでプレー後、23歳で再び渡独。渡独直後のクラウドファンディングで106人から70万円近くの支援を集め、現在、プロを目指しドイツ5部でプレーするサッカー選手。好きなテレビ番組は『家、ついて行ってイイですか?』『探偵!ナイトスクープ』

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