言葉が生まれるということ
これだけ言葉にあふれているのに、本物の言葉を口にしている人は、とても少ないんだ。
僕はね、非言語なものを伝えられない言語は、言語じゃないと思っている。
非言語的な存在は、言語という存在を、本当の意味で裏付けるからだ。
だから、どんなにありえないフィクションであっても、現実以上に現実である感じをもって持ち上がることはあるし、たとえ現実に起きたことを伝えているのであっても、全くもって嘘のように聞こえることがあるんだ。
そういう言葉の使い方を、誰も教えてくれないだろ。
今の学校教育というのはだな、いってみれば国語という科目によって、言語を生き埋めにしようとしているわけだ。
誰もかれもが「はじめに言葉ありき」を誤解して、言葉のない世界の前に、理解可能な言葉という世界を打ち立てているのだ。
おい、じゃあお前は陽の光を知っているのかよ。
青い空を知っているのかよ。
それなら教えてくれよ。
陽の光ってどんな感じなのか、青い空ってどんな感じなのか、君自身の言葉でさ。
誰もが、それを楽して答えるでしょ。
え、陽の光って、ほら、あの眩しいやつさって、そういう言葉を一言でも発しようとしないでしょ。
陽の光は陽の光、それで終わりさ。
当たり障りのない、空っぽの言葉を使って、伝わっていると思っているでしょ。
そういうバカみたいな言葉を使っていたら、そりゃもう誰も見向きもしなくなりますわ。
だけどね、言葉っていうのは本当は魔力を持っているわけです。
誰でも魔力を持った言葉を発することができるわけです。
どんな魔力かといえば、現実に影響を及ぼすという魔力です。
ただ、それを実現できるのは、言葉が非言語的な実質を伴っている時だけ。
言葉が、非言語を言語化している時だけ。
ああ、そう、君がこれを読んでいるのなら、この言葉たちをじっと、ぼーっと見つめてみて。
見つめてみて、それがどうも言葉らしくなく見えてきたら、それを言葉で伝えてみて。
それができるなら君は立派な言葉の使い手だよ。
できないのなら、君はまだまだ修行を積まなきゃいけない。
現実は、ゆっくり、ゆっくりと頭を持ち上げて、ついに僕たちを飲み込む。
その飲み込むものこそが僕らの真の姿だ。
その真の姿から湧き出るものが、真の言語だ。
はじめに言葉ありき。
だが僕らはその言葉を生む主体とならなければならない。
主体があって初めて言葉は生まれ、現実は動き出すのだ。
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