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魂が汚れるよ。-ADHDツイートに対するナナメ-

面白いと感じるポイントは人それぞれ違う。
ダウンタウンを面白くないという人もいる。
劇場版名探偵コナンのシリアスな場面で笑う人もいる。
そして、悲しきかな。
人を馬鹿にして面白いと思う人もいる。

「お互いに楽しんでいると思っていた。」
これはいじめをした側がよく口にするものだ。
後付けの言い訳としか感じれないが、おそらく当人が本当にそう思っているケースは少なくないのだろうと思う。
誰しも悪役にはなりたくないし、いじめをすることが格好悪いというのは現代社会において、大人よりも、むしろそのような共通認識の中で育っている子どもの方が理解していることだと思う。
それにも関わらずいじめが起きている現状を鑑みて私は上記のような考えに至っている。

「魂が汚れるよ。」

誰しも、自分が悪役になることなど想像もしていないことだろう。
私もそうだ。
そんな私が友達からの警告にも似たツッコミを受けてハッとさせられた。
「魂が汚れるよ。」

私は以前も記事で書いたが注意欠陥・多動症(ADHD)という発達障害をもっている。
この症状のせいで、社会で生きていく自信がなくなり頭を抱えた夜は数え切れないほどある。
だからこそと言ってよいと思う。
Twitterなどで、ADHDの症状を上げるツイートに対して書かれている、
「自分も同じ時あるんだけどもしかしてADHD??笑」
「え、俺もADHDだったんだwww」
のように何故なのか、ADHDになりたそうな返信をみると、少し馬鹿にしたような目で見てしまう。

1つに、そんなにADHDになりたい、もしくはそう思われたいなら勝手に自称したらいいのに。と思う。
正直、Twitterの自己紹介欄に「ADHD」などと書いている人も私には目的がわからないので少し冷たい目で見てしまっているのだが。。。
お医者さんでもない他人から「それなら絶対ADHDだよ。」というお墨付きを得る必要性がわからない。
もう1つが、そんなにADHDになりたがっている人は、おそらく苦しんで頭を抱えた夜を重ねていないのだろう。という点。
この2つをもって、私は少し引いた位置で冷笑してしまうのだ。

この気持ちを物事の感じ方が私と似ていると勝手に思っている友達にツイートと共に送った。
そして返信が届いた。
「魂が汚れるよ。」

心ではなく魂。
心の汚れは、すぐに落とされるような気がする。
本を読んで、ドラマや映画を観て、著名人の言葉を聞いて、心の持ちようやその色というのはすぐに影響を受けて柔軟に移りゆくものだと思う。
だけれども、魂は違う。
心の深い部分に長く持ち続けた考え方や感性が、簡単には拭えないほど心身にベッタリとこびり付いて、その人を形成する核になったもの。それが魂だと考える。
そうした時に改めて考える「魂が汚れるよ。」の真意。
私が平気で人を傷つけたり、自分でも気づかないうちに嫌な気持ちにさせてしまう人間になりかけていることに警鐘を鳴らしてくれたのだと思う。
「今ならまだ間に合うから。」と、そう言われているように受け取った。
もしかしたら、そこまで考えていないかもしれない。
しかし、近からずも遠からず。
同じような感情を抱いていたことは間違いないだろう。

今思うと、ADHDになりたそうに見えるような返信がきているのだろうと分かりつつ、そのツイートを覗いている私の思考はかなり薄汚れている。
友達の一言は達観した気持ちになっている時、それは同時に自分を見失いがちな時でもあるという教訓にもなった。

一緒に冷笑してくれると思っていた友達からの私に向けられる正しい魂の査定結果は、ショックでもあったがそれ以上に嬉しかった。
私には注意してくれる友達がいるのだということ。
それは、まだ魂の浄化が間に合うということに他ならない。

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