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乱読してたらちょっと不思議なことが起こった。
乱読して、頭の中を情報でいっぱいにするのが、
好きです。
とくに不思議なことが起きやすくて、
昨日もちょっとびっくりしたんです。
「乱読」とは、
本を読み終える前に別の複数の本を
同時に読んでいくというのが僕の使い方です。
![](https://assets.st-note.com/img/1689822253391-xtsJhvUBZb.jpg?width=800)
現在の僕の乱読ラインナップはこちら。
篠田節子「聖域」集英社文庫
河盛好蔵「人とつき合う方」新潮文庫
アラン 神谷幹夫訳 「幸福論」岩波文庫
カリエール 坂野正高訳「外交談判法」岩波文庫
本を数ページ読んでやめて、
別の本を読む。また数ページでやめて、
次の本を読む。の繰り返しです。
1回で読むページ数は、
2ページのときもあれば、150ページになるときもあります。
読む順番もランダムです。
同時に何冊読むかも、ランダム。
一つのことをし続けられない性分からなのか、
この読書法が一番しっくりきてます。
(外に持っていく時は2冊くらいにしぼります)
昨日も篠田節子の小説「聖域」から始まり、
乱読していました。数ページ読んで
「幸福論」を読んで、2ページほど進んだあたりで
おや?と思うことがありました。
どちらにも「死」に関して深く掘り下げている部分でした。
別々に読み始めた本でテーマが同じ部分。
小説「聖域」から、以下、少し長いですが、
やばいと思った文章なので、引用します。
【主人公が愛する人を亡くして、思い出すシーン】
日常のそこかしこに、こうして思い出の断片は立ち現れる。しかしそれも二ヶ月か三ヶ月のことだ。やがて千鶴の面影はゆっくりと色褪せていくに違いない。残された者の哀切な思いは、永遠に続きはしない。心の内で、そっと謝りながら死者は死者の国に送り、新たな愛情の対象をみつけていく。忘れはしない。愛しながら、亡くなった者をどこか次元の違うところに落ち着けてしまう。そして愛しているという感情自体が、ひどくあいまいなものになっていく。薄情なものだ、と実藤は思う。それでいい。そんなものだ、とわかっていても、ここのインクと黴の入り混じった独特の匂いを嗅いでいると、悲痛な思いが胸を締め付けた。
素晴らしいシーンのページは、
角を折り返して読み返せるようにしてまして、
このページも漏れなく角を折りました。
愛する人の突然の死を迎えたときはどんな感情なのか?
抽象的な「死」というテーマにも触れつつ
揺れ動きながら感情に決着する感じが、好きです。
アランの「幸福論」から、
61 死者のための祭儀
死者のための祭儀は美しい習慣である。
(中略)
呼び出したいのは死者たちの思いであって、肉体でないのは全く明らかである。彼らの思いが眠っているのはわれわれ自身のなかであることも明らかだ。そうは言っても、花や花環や花で飾られた墓などは、やはりそれなりの意味をもっている。(中略)
死者たちは死んでいない。そのことはまったく確実である。われわれが生きているのだから。死者たちは考えている、語っている、行動している。助言し、欲し、承認し、非難することができる。これらはすべて本当である。しかし、それに耳を傾けなくてはならない。それらはすべて、われわれのうちにある。われわれのうちで確かに生きているのだ。
人の死に立ち会ったとき
自身の中にいる「死者」の対峙する。
直前に読んだ小説「聖域」の主人公が愛する人に思いを馳せるシーンと
見事に一致していて、ゾクっとなりました。
その瞬間、LINEの通知音が鳴りました。
父からで、「お盆は墓参りいけるか〜?」でした。
死について考えていたときに、
墓参りの話が来る。
偶然にしても
重なりすぎて、何かしらのご縁を感じてしまいます。
乱読をしているとたまにこういうことはあって、
全然違うジャンルの本の中に
共通することを見つけたり
同じテーマをそれそれの角度から具体的に触れていて、
偶然の一致が起きることがあります。
そういう「偶然の一致がもたらす小さな幸運」のことを
「セレンディピティ」というそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1689822167525-drxY9o0SRh.jpg?width=800)
雑多な無関係のものたちから
関係を見出して共通点を見出すのに、
乱読はぴったりの読書法です。
この本は自分の読書法を作るのに、大いに参考にさせて頂きました。
父に「わかったいくわ」と返信して、
お盆には死者(祖父、祖母)を目の前にして、
自分にどんな感情が起きるのか、
観察してみようと思います。
以上、僕の読書法と
それが起こした偶然の一致による幸福のお話でした。
このタイミングで自分にとって、
「死者」に向き合うことが必要なのかもしれません。
お読み頂きありがとうございました。
ここまでお読み頂きありがとうございました。 こちらで頂いたお気持ちは、もっと広く深く楽しく、モノ学びができるように、本の購入などに役立たせて頂いております。 あなたへ素敵なご縁が巡るよう願います。