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最近のコロナさんと僕の生活の話

やっぱり未来のことなんて予想できないんだと思った。
1ヶ月前に今の世界の景色は想像もつかなかった。

スーパーやコンビニのレジにはビニールカーテンが引かれていて、どこのお店も営業時間を短縮したり。
大手チェーン店は一斉に休業したり。

毎朝、喫茶店に行っていた僕は行き場所がなくなってかなりペースが乱れてしまった。ドトールもサンマルクカフェも休業している。
そして、仮にいけたとしても、ウィルスが気になってしまう。
買い物に出なくてはならないけど、手が何かに触れるたびにとても気になってしまう。
人とすれ違うときも、かなり気になってしまう。できれば、誰ともすれ違いたくない。

僕の大好きな音楽をやっているDJはZoomでファンと接続しながらライブを行なっていた。
ファンの中にはコロナビール片手に、画面の前で踊っている人もいた。とても楽しそうだ。
外に出ると、黙々とランニングをする人や、散歩を楽しんでいる人がいる。
人は適応するのがうまい。だから、こうやって生き残ってきたんだなと思う。

一人暮らしをしようと思って、引越しの計画を立てていた。GW中に引っ越しなのだけれど、今のところコロナの影響はなく、淡々とことが運びそうだ。
ミニマリスト、と積極的にアピールしていたことはないのだけれど、基本的に持ち物は少ない。
というか、自分の好きなもの以外にあまり関心がない。
服はユニクロか無印がほとんどなんだけれど、無印は生地の肌触りが好きで、ユニクロはMBチャンネルでいろいろ学んでから好きになった。
小物や靴は革製品を選ぶ。手入れをして育てるのが好きだからだ。

自分の持っているものには、どうしてそれを持っているのか、という理由を持つようにしている。
そうじゃないものは、だいたい使わなかったり埃をかぶったりしている。
だから定期的に物を減らすようになる。
引っ越しは、物を見つめ直すのにいい行為だと思う。
定期的に引っ越しをしたい。住んでいる場所に飽きてしまうというのも理由の一つだけど。

人間は、街を作って文明を発達させてきた。合理性を追求した社会を作ろうとしたら、基本的にどんなものも「近接」していくことになる。
僕が社会に感じていた窮屈さはこの「近接」にあったのかもしれない。
コロナが「近接」した社会を壊そうとしている。
どんなことでも適応してしまえるのが人間だけど、「近接」しない社会にも慣れてくれるのだろうか。

誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。