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別に毎日書くつもりはなかったけど、なんとなく気持ちが良かったので続けてみる。
だいたい、継続させたい時は継続を考えないことが大事だ。
できなかった時は素直に諦める。遅れを取り戻そうとなると、絶対に続かない。借金と同じだ。

仕事があんまりうまく行ってない。転職を何回かしてたせいか、いつも新卒で若くてニコニコしてる感じが普通だったけど、実際のところもう中堅の年齢になってしまっていた。
若手は失敗に対して寛容な扱いを受けるけど、責任という面では信頼感が足りなくなってしまう。
こういうのは自然と貫禄がつくものだろうか。今はわからない。

若くないというので行くと、最近熱量も無くなってきたなと思う。
もっといろいろなことに邪念なく取り組めてたと思うんだけど。
年を経るごとに、いろんなことを経験して、どんなことも予測の範疇になってしまうからだろうか。
ネトゲにハマって興奮しているときのあの感覚は最近ない。

自己啓発本なんかは今でもとても好きで、読んでしまうんだけれど、同時に「自分はこっちの方向じゃないな」とも思う。
起業とか大企業に勤めるとか、やったことないからそう思うのだろうか。
でも、人間なんてそんなふうに漠然と生きて漠然と死んでいくのが普通なのかもしれない。

気難しい、と言われる。
単純素直がウリだったのにこういうこと言われるとは思わなくて衝撃だった。
何事も考えすぎな部分はあるかもしれない。哲学病というのだろうか。でも、そうやって生きてきてしまったから今更変えようはないと思うし、そこのライフスタイルを変える気もないんだと思う。
そう考えると、たしかに自分は気難しいのかもしれない。

phaさんの曖昧日記を少し読み進める。5月くらいに買ったのに随分寝かせてしまった。
身体が固くなって、何をしていいかわからなくなった時に、phaさんの文章はいい。
別に売れっ子作家になりたいわけでも、小説家になりたいわけでもないのだけど、こうやって文章を書いていくのは好きだ。
最後に残るのは、本とコーヒーと文章を書くことだろう。それはなんとなく確信している。

引越しを言い訳にして、色々とモノを買ったけど、やっぱりあまり幸福にはならなかった。無駄なモノもたくさん買った気がする。
良かったのは、包丁とスピーカーくらいだろうか。


誰かを楽にして、自分も楽になれる文章。いつか誰かが呼んでくれるその日のために、書き続けています。 サポートするのは簡単なことではありませんが、共感していただけましたら幸いです。