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【人間失格】葉蔵は嫌いだ

オススメ度(最大☆5つ)
未採点
※日本人ではタイトルを知らない人はいないであろう本作にオススメ度をつけるのもおこがましいと感じたので、「オススメ度」としての採点は出来なかった。
個人的に好みかどうかで言えば星1つである。


〜10代の時にはコメディと思って読んでいた〜

実はこの「人間失格」を読むのは3回目である。
1度目はまだ10代の時。これが太宰治の遺作であり自伝的小説である、という前情報を知らずに読んだ僕は、トコトンダメな主人公・葉蔵の行動や考えを読みながら「これはコメディなんだ」と勘違いしながら読んでいた。
当時の僕は不謹慎ギャグや不条理コメディの映画が好きで、頭もそれに毒されていたのが原因である。

2回目は大学生の頃。
小説好きな知人と太宰治の話になった時、「『人間失格』は、バカだなぁと思いながら読んでいた」と伝えたところ、知人は僕の事を怪訝な顔で見て、「あの作品を何もわかってない。もう一度読んでほしい」と言われ、もう一度読んだのだった。
知人は「自己憐憫の極み」だとか「自己認識の最たるもの」だとか、そんな言葉で「人間失格」を称賛していたが、再度読んでも、葉蔵のダメさ加減にそんな高尚な感想は浮かばなかった。


〜30代半ばで読む「人間失格」〜

そして今回、3回目の「人間失格」。
主人公・葉蔵に対する思いは「嫌い」である。
本作は太宰治の自伝、とも考えられているが、もし、本当に太宰治が葉蔵と同じ人物であるならば、僕は太宰治が嫌いなのだろうと思う。

大学の時の知人からは「自己憐憫の極み」だとか言われたが、まさしくそこが葉蔵の嫌いなところなのだと思う。
犯した間違いを世間や他人のせいにするだけでなく、思い込みにすら思える「他人を欺いて生きている」という自己像をも不幸の言い訳にする。
自分は他人に嘘をつきながら生きている、と言いながら、「女とはこういうものだ」「堀木(作中に出てくる葉蔵の友人)はこう考えている」と、他人の本心はわかる、とでも言いたげな身勝手すぎる物言いにも顔をしかめてしまう。

何かの書評でこの葉蔵の振る舞いを「人間の弱さ」と表現していたのを読んだことがあるが、「自分勝手」「ナルシズム」と「弱さ」を、ごちゃ混ぜにしているとしか思えない。

改めて読んでみて、10代の頃に「人間失格」をニヤニヤと笑いながら読んでいた僕の感覚は、あながち間違ってなかったのだと思う。
「そりゃ、そんな風に考えて生きてたら不幸になるよ」
僕は、葉蔵の生き方は滑稽以外の言葉が見つけられない。


〜嫌いだけど、作品の力に魅了されている〜

さて、というわけで僕は今後この「人間失格」を開くことは2度と無いだろう。
この作品に関して「良い」という感想も持てない。

しかし、僕の人生において同じ小説を三度も読んだことは、ほとんど無い。
実際のところ、何かしら惹きつけられる力がこの作品にはあるのだろう、というのは認めざるを得ない。

日本を代表する作家・太宰治の力は、本作しか読んでいない僕にはまだまだ理解できない。
彼の作品には、僕の語彙では到底表現出来ない魅力があるのは間違い無いだろう。
「人間失格」はもう読まないが、他の作品はまた機会があれば読んでみようと思う。

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