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やさ塩職人の日記

婆さんには感謝しちょる。
婆さんは、朝四時に起きて作業を始める俺のために、毎朝三時に起きて朝食を作ってくれる。
一日中塩を揉んでボロボロになった俺の手に優しく軟膏を塗ってくれる。
俺の作った塩を少しでも高く売ろうと業者と話しをつけてくれる。
そんな婆さんがいたからこそ、俺はやさ塩を作ることが出来た。
やさ塩はとがった気持じゃ作れない。
落ち着いて優しく塩を揉み込んでやる。
そうすると塩のカドが取れ、味わいそのまま
塩分・カロリー50%オフだ。
それがやさ塩の仕組み。

きっかけは婆さんの持病だった。
若くして肝臓をやった婆さんは、夢枕で大好きなハンバーガーをもう一度喰いてえ喰いてえと言っていた。それを聞いた俺は婆さんの悔しい気持ちが痛いほど伝わって、毎日塩づくりの最中に涙を流したほどだ。
もう一度婆さんに肉汁たっぷりのハンバーガーを喰わしてやりてえ。
その思いが神さんに伝わったのか、俺の涙が奇跡を起こしたのか、
その日作った塩は、カロリー・塩分50%オフだった。

俺は早速それを使ってでっけえハンバーガーをこしらえた。
婆さんはそれを頬張って、美味えと言って涙を流した。
そのとき俺は長年塩作りを支えてくれた婆さんに、やっと恩返しができたと思ったんだ。

そんな特別なことがあった日の翌日だったからかもね、その日婆さんは4時を過ぎても起きて来なかったんだ。まあそんな日もあるかと思って、俺は朝食を作りに台所へ行った。そしたら流しに見慣れないノートが置いてあった。それは婆さんの日記だったのよ。
そこには昨日のことも書いてあって、久々にハンバーガーを食べた婆さんの喜びが伝わってきて俺まで嬉しくなった。でも日付をさかのぼるにつれ、内容が変わってきたんだ。
朝早起きするストレス
頑固な俺への文句
塩の悪口
塩が白すぎる文句
塩って漢字が嫌いなこと
塩を見飽きすぎて胡椒とかが可愛く見えてきたこと...
それは婆さんの陰言日記だった。

俺はそれを見て涙が出てきた。
決して怒りや悲しみじゃないよ。
感謝の気持ちでよ。
頑固でわがままな俺に付き合って、嫌いな塩づくりにも文句を言わず、今まで耐えてくれたことを思うと涙が出たの。
なんて優しい秘密だろうね。
正直な思い、嫌悪感を伝えない優しさ。
決して大好きなだけじゃ生まれない、相手に嫌いな部分があっても、それを超える愛を持っている時にだけ生まれるやさしさ。
その何とも歪なやさしさがね、俺にはでぇーら愛おしかったんだ。

俺はすっかり嬉しくなって、婆さんにとびっきりの朝食を食わしてやりたくて、やさ塩を使って腕によりをかけて朝食を作った。
それを早く食べてほしくて、寝室まで婆さんを呼びに行ったの。
婆さんはまだ眠っていたよ。
前日の余韻に浸るような安らかな寝顔だった。
やっぱり邪魔しちゃ悪いと思い、起きて来るのを待つことにした。
でも、どれだけ待っても婆さんは起きてこなかったんだよね。

あれからずいぶん時間が経った。
俺はもう塩を揉んでない。
婆さんの死因は肝臓負荷だった。
やさ塩なんか無かったんだよね。
ぜーんぶ婆さんのやさしさだったんだ。
喜ぶ俺を気遣って、婆さんはハンバーガーを頬張ってた。
婆さんは俺のために沈黙を貫いたんだ。
言いたいことは沢山あるよ。でもそれを俺が言う資格はね。
やさしさに気づかず甘えた俺にはね。
ほんとは気付いてたのかもね、でも目を背けた。婆さんの大きな大きなやさしさを受け入れられるか怖かったんだ。
ほんとのやさしさは沈黙の中にあったのにね。

少しよいパンを食べます