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【日記エッセイ】 「居場所造りボランティア 偶然と走る子供 2019-07-27」

年に1回、居場所ボランティアの子供たちと旅行に行く。今回は、海に入りに、夏の福井県若狭町に泊まりに行った。僕はちょうど、その旅行の日が誕生日で、旅行先で21歳を迎えた。これは書きながら自分で驚いているのだが、これを書いている今日も僕の誕生日で、24歳になる。この話を書こうと思った時は、この話の中の自分が誕生日だったことを全く意識してなかった、後から思い出して書き足している。何も大したことではないが、偶然が祝いに来てくれたみたいでなんだか嬉しい。

子供たちは泊まりやら海やらでテンションが上がっていた。しかし、昼は雨が降ってしまって、あれだけ楽しみにしていた海に入れなかった。夜に雨が止んだので、せめて砂浜で花火でもするかと、この活動を長年仕切っている高田さんというおじさんが言い出した。みんなで手持ち花火をするために、ぞろぞろと、夜の砂浜に向かう。砂浜に着き、辺りを見渡す、真っ暗で何も見えない、向こうに海があることが音と気配で分かる。バケツやチャッカマンを用意して、手持ち花火が始まる。けれど、子供たちの意識は夜の海に向いている。僕は妙な騒めきを感じ取った。

突然、子供たちが夜の海に向かって走っていく。退屈な建前から逃げるように、子供たちはその場から走り去っていく。大人たちが危ないと後を追う。僕は、そのまま逃げてしまえと心の中で願った。あの時の自分もそう叫んでいる。と同時に、周りの大人と同じように子供たちの後を追う僕がいた。危ないし、溺れて死んでほしくないと、体は反応のままに追っていた。夜の海とあの時の自分の距離が相反する。あの時の僕がこっちを見ている。不意に、僕の顔が明るくなって、あの時の僕の姿を掻き消すように、心臓に破裂音が響いた。夜空で花火がパチパチと散っている。近くの花火大会らしい。花火大会があるんて誰も聞いてなかった。僕は立ち止まり、一瞬、夜空の隅に広がる色を見つめたが、そんなことしてる場合じゃないと、足を早めた。「お前ら、勝手に海に入るんじゃないぞ!」と大きな声で叫んだ。少しも返答がなくて心配になる。先が暗くて見えない。海にそのまま逃げ切っているかもと思ったし、死んでしまうかもとも思った。ようやく追いついた。そこには、海に足をつけながら、夜空の花火に目を奪われて立ち止まる子供たちがいた。僕はその瞬間に居合わせた。

僕は偶然を見た。生と死が入り混じった濃密な瞬間、誰にも邪魔されない生と死がそこにあった。生と死のどちらに転ぶなど偶然なのである。生も死も変わらない地点がある、そこに偶然があるのなら。

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