たき

1998年 兵庫県加古川市出身

たき

1998年 兵庫県加古川市出身

マガジン

  • 【自主ラジオ】『滝と小島の踊り食い』

    自主ラジオを載せています。大学の時からの友人と日々の生活から考えたことを楽しく話しています。是非、聴いてください。Spotifyからも聴けます。滝と小島の踊り食いと検索して頂ければ出てきます。そのホームの所にGoogleフォームがありますので感想、質問などドシドジ送って頂けるとありがたいです!

  • 日記エッセイ

    大学を卒業した後の居候ニートの時の出来事を書いています。

  • 日記エッセイ

    5年通った居場所ボランティアでの出来事を書いています。

  • 日記エッセイ

    悲しいことや嬉しいこと、様々なことが起きた家族について書いています。

  • 日記エッセイ

    大学時代の主に映画サークルで起きた出来事を書いています。

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『本棚は生き物である』

私は定期的に本棚の写真を撮ってる。本棚が違う様相になっているなと思う時があるからだ。 今回は5年分くらいの本棚の流れを思い返してみる。 高校生の頃は、本を買う習慣も借りる習慣もなく、本=勉強のイメージが強くて、あまり読まなかった。実家にも本はほとんどなかった。実家にはこち亀、稲中、浦安鉄筋家族、ドラゴンボールがある家だった。それを実家でよく読んでいた。 そんな私は、大学生になった。学生寮に住むことになり、そこには大きな本棚が元から部屋にあった。 それで実家から、テレビ

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『本棚は生き物である』

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    2024/07/25の音声

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    2024/07/24の音声

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    2024/07/23の音声

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    2024/07/22の音声

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    『ヤングケアラーと呼ばれても』

    「最初の記憶」 ある言葉に大学3年生の時に出会った。Twitterを何となしに見いていた。すると、「ヤングケアラー」という言葉がタイムラインに流れてきた。

ヤングケアラー???

横文字で胡散臭くあまり良い印象ではなかった。気になってヤングケアラーを調べた。ヤングケアラーとは、病気や障害のある家族や親族の介護や面倒などの大人が担うようなケア責任を引き受け、家族の世話全般を行っている18歳未満の子どもを指す意味らしい。僕の母はパニック障害、父はギャンブル中毒だった。 僕は

    『ヤングケアラーと呼ばれても』

    『居場所ボランティアで見たもの』

    「不意な始まり」 大学1年生の頃だ。本格的な夏が始まろうとしていた。急にパン屋のバイトがクビになった僕は途方に暮れていた。同じ映画サークルで同級生のKの家で「次のバイトどうしようかなー」と言っていた。 そんな僕にKが突然「遊ぶだけで、2000円貰えて夜飯食えるバイトあるけどする?」と聞いてきた。 「えっ、そんなんあるの?」 「うん、今からできるよ」 僕は手持ちのお金もなかったし、何より飯が食えるってのが響いた。何もわからないままに、とりあえず「する」と言った。「じぁ

    『居場所ボランティアで見たもの』

    『少年時代の面白い日々たち』

    こんにちは、タキと申します。小学生の時に起きた面白かった出来事を思い出しながら書いてみました。是非、読んで頂けるとありがたいです。まだまだ思い出す出来事があるのでどんどん書いていきたいと思っています。 「転機??Aとの出会い」 小学4年生の時である。忘れもしない出来事が多目的教室で起きた。理科の授業でペットボトルロケットを作って飛ばす授業中のことである。 同じクラスにAという男がいた。Aは図体がデカく運動神経発群で、クラスの、いや学年の番長的な存在だった。 僕はペット

    『少年時代の面白い日々たち』

    書くラジオ「自分はありがとうを言えない人だった」

    僕は24年間ありがとうを言えなかった。その話をラジオでした、今回はそれをまとめて書いてみようと思う。 僕がありがとうを言わない理由しては、ルソーの言う所の自然状態を志していた所がある。枠組みを超えて飛び交う世界、自然な邂逅と振る舞いを僕は夢想していた。それ故に各々がありがとうなどと言わないでもいいという思っていた。 つまり、僕はありがとうと思われなくてもするよと思ってる。ありがとうを言って欲しいという見返りを求めてやってるんじゃないんだから、ありがとうと言っていらないと思

    書くラジオ「自分はありがとうを言えない人だった」

    書くラジオ「自分など置き去りにして話すこと」

    僕は大学の友人の小島とラジオをしている。内容としては、主に僕が日常の中の出来事から考えたことを話している。 前回のラジオで僕は小島に「お前最近暇だろ?」と言われた。小島は僕のラジオでの話でそう思ったらしい。確かに、僕は現在、暇で時間がたくさんあった。時間がある分悩んでしまい、独りよがりに頭でグルグルと考えてしまっていた。そんなグルグルになって考えてしまってることも小島に指摘されたのである。 僕はラジオで話す時は、普段の生活をそのまま出しているつもりはなく、大枠だが頭でまと

    書くラジオ「自分など置き去りにして話すこと」

    書くラジオ「僕はこの世界に悪者がいる物語を見ている」

    僕は大学からの友人とラジオを録っている。そこで、僕は現状の自分への不満から資本主義のせいにして、資本主義を変えようと話していた。なぜこうも、自らの感情と向きわず、自分の不満を外部の要因のせいにするのかを考えていた。 そんな時に、最近読んでいる、國分功一郎の『目的への抵抗』という本に興味深いことが書いていた。 この本は、目的は絶対に必要であるけれど、目的のためだけに生きるのではなく、その目的の過程で逸脱したり、脇道に逸れたり、目的を超えてしまうような遊びが大切であることが書

    書くラジオ「僕はこの世界に悪者がいる物語を見ている」