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今こそ、価値観の異なる人との関わり合いが必須の時代


学校や会社といった集団の中にいると、人との関わり合いでこじれることが多くあります。

人間関係がうまくいかない原因を特定することはできないが、おもに、人それぞれが信じている「価値観の違い」によることがおおい。

「なにを良し」とするか、反対に、「なにが悪い」か。

人の数だけ基準が違うのは、善悪をどう捉えるかという「ものさし=価値観」がみんなそれぞれだから。

あなたは価値観の違う人と関わるとき、どのような対応をするでしょうか?

自分が良しと主張することを、周りの人達が悪いことだと主張すれば、そんな人達の中に入りたいとは思わないし、むしろかかわる必要もないかもしれない。

しかし、学校や会社、家族や親族といった関わり合っていかざるを得ないこともあります。

当然のことながら別々の価値観をもつ人の集まりなので、その違いに戸惑うこともある。

「人はそれぞれの価値観を持っている」と頭では分かっていても、その違いが鮮明になるほど戸惑うのも事実です。

しかし、こういった価値観が違う人との関わり合いにこそ、今の時代、いや、これからの時代に必要なのではないだろうか。

なぜ、このように思うのか?

それは、「信用」が見える化され、それが人の価値や資産になりつつあるからです。

何を言っているのかサッパリわからないでしょう。

少し長めの文章ですが、最後まで読んで頂ければわかって頂けるかと思います。


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読んで頂いている途中でスミマセン。👨
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それでは続きをお読みください。😊


「価値観」の違う人と、どう付き合う?



学校は勉強をするところだけでないし、会社は働くためのところでもありませんよね。

学校なら友達と、会社なら同僚や上司部下との関わり合いで、ときにぶつかってしまうこともあるが喧嘩したりいい合いになる事を経てようやく、人との関わり方を学ぶことができます。

そう、学校や会社といった集団の中では、価値観の違う人との関わり方を学ぶところでもある。

賢明なあなたなら自分と他人の価値観は違って当然だということを前提でいると思います。

そして、自分と違った価値観に触れるからこそ成長するというもの。

そこで、価値観の違う人とどう付き合えばいいのでしょうか。

いろんなところで言われることではありますが、価値観が違う人に、自分の意見を押し付けたり理解してもらおうと思うのは、かえって疲れを感じてしまいます。

無理強いしないこと、自分の考えとして持つこと、なにより、理解されないことをがっかりする必要はないことは心得ておくべきです。

また、自分の価値観の理解を求めないのと同じく、相手の価値観を否定しないことが大切です。

自分の考えと、相手の考え。それぞれの考えを尊重しなければいけない。

それぞれの考えを尊重するというのは、どういうことでしょうか?

よく勘違いをしてしまうことなのですが、もともと違う相手の価値観に合わせることではありません。

自分の価値観を封じ込めて無理に合わせようとすると、必ず我慢が生じてしまいストレスがたまるばかりで、それこそ価値観が違う人との関わり合いがイヤになってしまうでしょう。

価値観は合わせるのではなく、相手の考えを尊重するというのは「あ、そういう考え方もあるんだな」と一旦、自分の中で ❝ 受け入れる ❞ ことです。

他人の価値観をのっけから否定するのではなく、まずは受け止めそこからすべては始まります。

謙虚な態度で相手の価値観を素直に受け止める行為は、相手思いのための世渡り処世術にすぎない、と思ってしまうのですがそれだけではありません。

たとえば、あなたと価値観が異なる相手と会話をしたとします。

あなたは相手の主張を理解することはできないが、否定せずにその人の話を最後まで聞きました。

相手の方は言いたいことがいえたので何一つ不満もなく満足されることでしょう。

しかしそれで終わりではありません。



「価値観」の違う人との関わり合いで得られるもの



あなたが相手の主張をちゃんと聞いて受け止める姿勢を示すと、その相手はあなたの主張を聞こうとしてくれます。

つまり、相手の価値観を受け止めることは、あなたの主張を聞いてもらえるということ。

なぜ聞いてもらえるのかというと、そこにはあなたに対する「信用」が生まれるからです。

たとえば自分の発言を頭から否定する人に対して話を聞いてもらいたいですか?相談事を聞いてもらいたいですか?

しないですよね。頭から否定する人に対し「信用」がもてないからです。

さて、ここで「信用」という言葉がでてきたわけですが、この「信用を得る」ことがこれからすごく重要な時代になっています。

たとえば、生活していくための収入といった経済面に大きな影響力を発揮します。

新しい製品やサービスが続々と登場し、企業の栄枯盛衰が続く現代。これから時代はどう変わり、その中で人はどんなキャリアを築いていけばいいのか、それは若い世代にとって最大の関心事のひとつでしょう。

では、今まさに新しい時代を切り拓いているトップベンチャーの若手経営者たちは、どんな視点で自らのキャリアを築いてきたのかというと、それは「いかにして信用を得られるか」。

こういう言い方をしてしまうと、もしかすると「なんだよ、儲けるためかよっ」って思いましたか?

そう思われた方に話しておきたいことがあります。

お金を得るためには、お金に変換する前の評価が必ず必要ですよね。

たとえば、あなたが少し価格が高めの有名なレストランに食事にいって、食べた料理がおいしいという評価を下せば喜んでお金を支払うと思います。

ですが、有名なレストランのはずが、料理はまずいし、定員の態度もよくなければどうでしょうか?当然あなたの評価はよくないですよね。

不満に思いながらもその場では高い料金を払わなくてはいけないのですが、できることなら払いたいくないはずです。

律儀としてあなたはしっかり支払うでしょうが、そんなあなたも評価という貨幣を払うことはしませんよね。そして再び来店することもしないでしょう。

ここでよく考えてもらいたいのですが、有名なレストランが悪いサービスをしながらもお金を得ることができたのは、「有名なレストラン」というモノをもっていたからにすぎないということ。

本当は、お金を払う条件として評価があるにもかかわらず、有名レストランという物質的なブランドに対してすでにお金を払っているのです。

「モノ」に対する評価はある種、時代性といえます。

農業がメインの時代は、「土地」を所有しているひとが評価され、産業革命がくると資本つまり「お金」を持っている人が評価された。

そのお金を得るためには、立派な家とか、高級車、名の知れたブランドといったモノを持っている人が評価され、どこの会社でどういった役職、学歴、資格といった肩書によって多くの人たちは評価を下した時代。

バブル期なんてまさにその絶頂期だったのではないだろうか。

では今はどうか?情報の時代ですよね。情報革命が起きた現在では何を持っていると評価されるのでしょうか?

「そりゃ、情報でしょ」って思ったかもしれませんが、すでに情報をもっているからといって評価される時代ではありません。

情報を持っていることで評価されたのは、インターネットが流通し始めたころで、今ではいつでもどこでも、誰もがすぐに情報を得ることができます。

みんながみんな持っている情報をもっているからといって特別に評価されたりはしません。情報が均一化されてしまうからです。

専門的にいうと「コモディティ化」といいます。

たとえばそれは、100均の商品のようなものともいえる。

「え!こんなものまで100円なの!」っていうように、流通しまくっている希少性の低い情報は100円で均一されているということです。

ではいったい、情報の時代では何を持っていると評価されるのか?という話。



異なる価値観が生み出す創造



あなた自身で感じ取ってもらいたいのですが、ネットを利用することになってすごくたくさんの情報があるれかえっていますよね。

怒涛の如く猛威を振るっている情報の中からどういった基準で選択しますか?

メーカー名とかブランド名でしょうか?価格のみで選択しますか?

もちろんそれを伝手に選択することもありますが、それよりも「信用できるかどうか」ではないだろうか。

莫大な量の情報からいかにして信用があるかどうかによって決めるはずです。情報時代の今、信用を得ることが最も影響力をもたらすということ。

信用を得るためにはそのための評価が必要です。

その評価基準が「価値観」なのです。

一昔前は、有名な会社員だからとか、どこそこの学校出身だからとか、その人が何者で何をもっているかによって誰もが信用をしていたはず。

ところが今ではどうでしょう。どこの誰とでも繋がることができるネット環境下では、同じ価値観を持った人に対して信用していますよね。

わかりやすいのが、オンラインサロン。お偉いさんだろうが、ニートだろうが、かつての何者で何を持っているという基準ではなく、同じ価値観を持った者たちによる集いです。

僕が子どもの頃は、テレビに出ている人はなんか別世界の人というか、神のような存在でもあった。

けど、今ならそんな世界の人たちも、ネットによってすごく身近な存在になった。

いつでもだれとでも関係性を持つことができる今だからこそ、価値観が影響力をもつようになった。

価値観という基準によって自分との関係性を自らが選択できる時代になったといえます。

ですが、完全に「価値観のつながり」の時代になったわけではありません。今でも、価値観の異なる人たちが集まる学校や会社はあります。

でももしかすると、学校や会社といった枠組みはなくなり、オンラインサロンのような集団が増えてくるのかもしれません。わかりませんが。

そんな世の中になることをあなたはどう思いますか?同じ価値観をもった人たちだけ関わり合えるなんてサイコーって思いますか?

僕は、少し懸念しています。

というのも、人それぞれ異なる価値観に触れることこそが自己成長につながり、喧嘩したりいい合いになる事を経てようやく人との関わり方を学ぶことができるからです。

ところが、同じ価値観を持った人たちばかり集いは、すごい力を発揮するかもしれないけど、その力には限界がありますよね。

違う価値観を受け入れることがない限り、新たなイノベーションが起きることも難しくなるはずです。

それに、同じ価値観を持った人たちが増えつつあるときはすごく盛り上がるかもしれませんが、増えれば増えるほど、その価値は下がるというもの。

いずれは、100均の商品になってしまうという懸念があるのです。



価値観の違いで世界を広げよう



インターネットによって、価値観という評価基準のこの時代をとやかくいうつもりはありませんが、「信用を得る」ことが大切になったことはいいことだと思う。

ただ、信用を得るためには、まずは、自分が相手を信用すること。

価値観の違う相手を受け止めるという原理原則だけは忘れないようにするべきです。

異なる価値観を認めることができる「みんな違ってみんないい」ですよね。

異なる価値観を避け、共有できる同じ価値観の集いは、ややもすると、「そろいもそろってみんなダメ」になってしまうことも過言ではない。

価値観が似ていると話が合う、ともにいてラクなど、居心地が良いでしょう。

しかし、違う価値観というのは自分にとって「新しい考え方」です。

「価値観」が違う人との関わり合いは、新しいものの見方に気づくきっかけになると思いませんか?

新しい刺激を受け、今までとは違うものに興味が出たり、違う考え方ができるなど、世界がきっと広がるのではないでしょうか。

信用を得るためには、人に与えることが大切だというが、本当は

与える方が優れてるわけではなくて、受取る人がいるから与えられるのだ。


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最後まで読んで頂き
本当にありがとうございました😀

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